新しい創傷治療:敬愛なるベートーヴェン

《敬愛なるベートーヴェン "Copying Beethoven"》★★★★★(2006年,イギリス/ハンガリー)


 大作曲家ベートーヴェンと彼の楽譜の写譜師にして作曲の弟子アンナ(架空の人物ではあるが)を中心に据えた感動的傑作音楽映画。音楽好きなら見て損はないし,クラシック音楽やベートーヴェンについてほとんど知識のない人でも十分に楽しめる作品だと思う。なお,この映画と合わせて,先に紹介した『秘密諜報員ベートーヴェン』も読むと,1824年のベートーヴェンのおかれた状況がさらによくわかり,この年に「第9交響曲」が初演された意味が立体的に見えてくると思う。

 ちなみに,この邦題は最悪である。何しろ,日本語にすらなっていないのだ。なぜかというと,《敬愛なる〜》という日本語は絶対にないからである。「敬愛」という文字をどうしても入れるのであれば「敬愛する〜」であろうし,「〇〇なる」とするなら「親愛なる」だろう。なぜ,こんな変な日本語にしたのだろうか。


 舞台は1824年のウィーン。作曲家ベートーヴェン(エド・ハリス)は四日後に彼の10年ぶりの新作交響曲『第9番』のウィーン初演を控えていたが,第4楽章の合唱パートの楽譜が未完成だった。彼の楽譜を写譜するシュレーターは癌を患っていて歩くことすらままならなかったからだ(作曲家の自筆手書き楽譜の全ての音符を写譜師が清書して初めて出版用楽譜が作られる。ベートーヴェンの自筆楽譜は極めて読みにくいことで有名)。困り果てたシュレーターは懇意にしている音楽教師に優秀な作曲の生徒を写譜係として派遣してくれるように頼み,23歳の女性,アンナ・ヘルツ(ダイアン・クルーガー)が派遣される。

 ベートーヴェンは最初,「女に作曲ができるか!」と追い出そうとするが,彼女の写譜を見て驚愕する。自分の意を汲んで,ベートーヴェンが書き落としていた(であろう)変音記号を正しく記していたからだ。「なぜわかった? ロッシーニならロ長調からいきなりニ長調に転調させるぞ」というと,アンナは「あなたはそんなことをしないはずです。ロ長調からいったんロ短調に転調し,緊張を高めてからニ長調に一気に進むはずです」と答えた(ちなみにここは,4/4拍子から6/8拍子に移る部分の転調に相当する)。この日から,ベートーヴェンとアンナの二人三脚の4日間が始まる。

 やがて『第9』のパート譜は完成し,初演の日を迎える。『第8交響曲』から10年ぶりの新作交響曲だったが,それは合唱付き交響曲という前代未聞のものであり,おまけに演奏時間は2時間に及ぶと宣伝されていた。しかし,その頃のウィーンの好みはロッシーニに代表される「楽しくて軽い音楽」であり,2時間もの重々しい交響曲は常識外れ,流行遅れであった。おまけに指揮をするベートーヴェン(当時は作曲家=指揮者であって自作だけを演奏するのが常識。他人の作品だけで演奏会を開いたのはピアノではクララ・シューマンが最初と言われている)は耳が聞こえない。『第9』は複雑な曲であり,そもそもオーケストラの音が聞こえないベートーヴェンが指揮することは不可能だったのだ。演奏会場に到着したアンナにシュレーターが声をかける。耳が聞こえない指揮台のベートーヴェンにオーケストラの音を手振りで伝えてほしい,と。

 そしてベートーヴェンが指揮台に上り,『第9』を熟知しているアンナがオーケストラの第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの間に姿を潜め,ベートーヴェンに合図を送ることになる。

 ベートーヴェンの指揮棒のもと,『第9』第1楽章冒頭の神秘のトレモロが奏でられ,前代未聞の巨大な交響曲が姿を現す。疾風怒涛の第2楽章,安寧と平穏の第3楽章と,アンナの手と指の動きは的確にオーケストラの音をベートーヴェンに伝えていく。そしてアンナの手の動きはベートーヴェンの心の中で響く『第9交響曲』の理想の姿と協和していく。
 そして音楽は「第4楽章 合唱」に突入する。誰よりもこの楽章を理解するアンナは「現実のオーケストラの音」を聞きつつ,ベートーヴェンの心のなかにある「理想の第9」を実現しようとする。やがてアンナの指揮とベートーヴェンの指揮は渾然一体のものとなって融け合い,巨大なクライマックスを創り上げる。そしてこの唯一無二の交響曲は比類なき高みに到達する。その圧倒的な力とエネルギーの噴出に聴衆は惜しみない拍手を送り,ホールは大歓声に包まれる。

 しかし,ベートーヴェンにその歓声は聞こえない。彼に見えているのはオーケストラの団員の顔だけだ。そしてアンナがベートーヴェンに近寄り,彼の手を取って後ろを振り向かせる。そこで彼は初めて,観客が大歓声を自分に送っていることを知る。ベートーヴェンなんて時代遅れ,今はロッシーニの時代さ,と言い放ったウィーンの民衆が長大な自分の交響曲に賞賛の拍手をしているのだ。この夜,ベートーヴェンは勝利者となった。

 しかし,ベートーヴェンに「立ち止まる」という言葉はなかった。彼はすぐさま,『大フーガ』という弦楽四重奏曲に着手する。しかしそのメロディーはあまりに奇抜すぎ,前衛的過ぎた。ベートーヴェンはこの曲を「未来への架け橋」としたが,アンナですら理解できない難解な作品だった。そして『大フーガ』の初演は大失敗に終わり,不羈の巨人ベートーヴェンはついに病に倒れてしまう。

 死の床のベートーヴェンはまだなお新作を作曲しようとしたが,頭の中の音楽を五線譜に書き留める力はなかった。そこで彼はアンナに口述で音楽を伝え,彼女は必死で音符を五線譜に書き留めていく。曲のタイトルを尋ねられたベートーヴェンはアンナに『感謝の歌』と告げ,曲を完成するが・・・という映画だ。


 実は私は,映画の感想を書く上で事前にいくつかのサイトを見て参考にしたりしている。事実関係や役者名,背景となっている歴史的事実を確認するためだ。ベートーヴェンを主人公にするこの映画でも,感想を書いているサイトを事前にチェックしている。しかし,そのどれもが的外れな内容であり,参考になるものは一つもなかった。どれもが思い違いをしているように思われたからだ。

 多くの人は,この映画の『第9交響曲』初演のシーンをクライマックスと勘違いし,そうでない人の大多数は『大フーガ』初演のシーンを映画のクライマックスだと思っていた。だから彼らは,この映画はなぜクライマックスで終わらせなかったのだろうといぶかり,この映画は何を伝えたかったのかよく分からないと感想を書いている。


 わかっている人はわかっていると思うが,この映画のクライマックスは病床のベートーヴェンがアンナに弦楽四重奏曲第15番の第3楽章『リディア旋法による,病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌(通称,「感謝の歌」)を口述で伝え,それをアンナが音符に書き留めるシーンであり,それ以外にはありえない。あの奇跡のアダージオ楽章を説明するベートーヴェンの言葉の一つ一つがまさに彼の心からあふれる祈りなのだ。

 自由を求める革命戦士であり,当局から常に監視されている危険思想の持ち主であり,古い音楽の破壊神であり徹底した未来派志向の作曲家,それがベートーヴェンだ。人を人とも思わぬ態度で罵倒し,罰当たりな言葉を常に喚き散らし,暴君のように振る舞った野獣のような男,それがベートーヴェンだ。そのベートーヴェンが自分の死期を悟り,敬虔な祈りを神に捧げた。それが『感謝の歌』だ。神に罰当たりな言葉を吐き散らしてきた男が死を前にして神に向き合い,その祈りは音楽になった。だから,アンナに曲を伝えるベートーヴェンの言葉は限りなく美しく,そして深い。

 ベートーヴェンというとどうしても,『英雄』や『運命』のような疾風怒濤のアレグロが最初に思い浮かぶが,彼の音楽の中核をなすのはアダージオである。

 初期のベートーヴェンのピアノソナタの緩徐楽章は,実は凡庸なものが多い。それが中期以降になると緩徐楽章の重みがまして深化し,作品100番台になって初めて「ベートーヴェンのアダージオ(ラルゴ)」が生み出される。ピアノソナタでいえば『第29番 ハンマークラヴィア』のアダージオ,第30番の終楽章,そして第32番の第2楽章がそれだ。とりわけ,最後のソナタ(第32番)の第2楽章は過去と未来,静謐と歓喜が交錯し,至高の高みに到達して虚空に消えていく。もっとも根源的な5度音程に始まり5度音程で終わる至純の音楽であり,これぞ,音楽のアルファにしてオメガだ。


 また,音楽映画なのだから当然といえば当然だが,音楽の選択は見事だ。特に,写譜師のシュレーターがアンナに『エリーゼのために』を弾きながら「昔のベートーヴェンはこんなに分かりやすいいい曲を書いていたんだが,今の彼には聴衆が求めていないおかしな曲ばかり書いている。特に,この曲はさっぱりわからん」と言いながら上述の『ピアノソナタ第32番』の第2楽章第3変奏を弾くシーンは素晴らしい。
 何しろこの部分は(恐らく)史上初のアフタービート音楽なのだ(通常のクラシック音楽では「強弱強弱」と1拍目と3拍目にアクセントがあるが,ジャズでは「弱強弱強」と逆になり,これがアフタービートと呼ばれるリズム体系だ。ベートーヴェンのこの部分はジャズと同じ「弱強弱強」で演奏するように指定されている)。恐らく,この曲を知らない人にこの部分を弾いて聞かせたら,ジャズと勘違いするんじゃないだろうか。

 音楽の革命家,ベートーヴェンの面目躍如という曲なのだが,19世紀初頭の聴衆はこの曲を聞き,それこそ椅子から転げ落ちるくらいびっくりしたと思うし,このリズムは前代未聞のおかしなリズムであり,理解を超えた野蛮で粗悪な音楽にしか聞こえなかったはずだ。もちろんこれは『大フーガ』の主旋律も同じで,こんなに広い音程を飛び跳ねるメロディーはそれまでほとんどないと思う。

 その点,『第9の合唱』は当時の彼の曲の中では別格的に分かりやすいのである。だからこそ,この曲は初演であれほど聴衆を熱狂させたのだろう。そんな舞台裏も透けて見えてくる。


 というわけで,日本語のタイトルを除けば非の打ち所がほとんどない傑作である。クラシック音楽好きなら是非見た方がいいと思う。

(2010/07/21)

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