新しい創傷治療:ブラインドネス

《ブラインドネス》★★(2008年,カナダ/ブラジル/日本)


 発想は悪くないし,出演者は(一人を除いて)熱演しているし,深い内容を持つ良心作といえる。しかし,設定が乱暴すぎて無理があるため,私は映画の最初の方でシラケてしまった。ま,こういう部分が気にならない人には超感動作なんでしょうが・・・。


 舞台は現代のニューヨーク。車を運転していた日本人男性(伊勢谷友介)は突然,視界が白い光であふれた状態になり,何も見えなくなってしまう。何とか自宅に戻った彼は妻(木村佳乃)に連れられて眼科医(マーク・ラファロ)に診察してもらうが原因は不明で眼球にも網膜にも異常はない。しかし,彼と接触した人たちが次々と失明し,混乱が広がっていく。

 政府はこれが感染症であると判断し,発病者を長いこと使われていなかった精神病院の隔離病棟に収容することを決める。やがて,最初の日本人患者を診察した眼科医も発祥して収容されるが,眼科医の妻(ジュリアン・ムーア)は失明したフリをして夫とともに隔離病棟に入ることを決意する。

 隔離病棟は急遽失明した患者がろくな説明もなしに送り込まれ,外から毎日食料が運び込まれるだけで,患者たちがお互いに助け合うしかなかった。当初,眼科医をリーダーに患者たちは秩序を保っていたが,横暴なバーテンダー(ガエル・ガルシア・ベルナル)が第3病棟に入ったことから,病棟全体は地獄と化していく。第3病棟には生まれながらの盲人が入り込んでいて,盲人として生活できる彼の能力を利用して病棟全体を支配しようと考えたバーテンダーは「第3病棟の王」と名乗る。

 「王」は配給食料を独り占めし,食料を金品と交換するようにし,やがて金品が尽きると「女を差し出せ」と要求はヒートアップし・・・という映画である。


 結局この映画は,「人間は見えているようで実は何も見えていないかもしれない」ということを言いたいようだし,それはそれで意味深いものなのだが,たったそれだけのことを言うためにこれだけ不自然な設定にするのは無茶苦茶な話である。何が不自然かというと,急に全盲になってしまった人間だけを閉鎖病棟に隔離する,という部分である。

 もちろん,感染力が強くて症状が激烈な疾患を封じ込めるために患者を隔離するのは対策としてはありだが,目の見える人間の誘導なしでは彼らは何一つできないはずである。自宅なら何とか動けると思うが,何しろこの隔離病棟は生まれて初めて入った建物であり,どこに何があるか全くわからないし,ろくな説明も受けていないのだ。
 つまり,水を飲もうとしてもどこに水道があるかわからないし,排泄をする場所を見つけるのも不可能。さらに,ウンコをした後にお尻を拭くことも難しい(・・・何しろ,しっかり拭けているかどうかもわからない。拭けてるかどうか確認する術がないのだから・・・)

 もちろん,この映画では「目の見える」ジュリアン・ムーアがお世話しているわけだが,彼女一人ですべての隔離患者の排泄の世話をすることは不可能だろう。まして彼女は「目が見えないフリ」をしているわけで,目が見えることを悟られてはいけない立場である。だから,いくら目が見えても患者たちを世話するわけにはいかないのだ。

 このように考えると,そもそも隔離が始まった時点で隔離病棟内部は直ちに糞尿が散乱して足の踏み場もなくなったはずだ。どこにトイレがあり,閉鎖病棟内のどこに何カ所トイレがあるのかも彼らには告げられていないのだから当然である。


 このように考えると,いくら患者を隔離するとはいえ,「目の見える」人間が全くいない状況で隔離するのは余りに非現実的である。私はこの映画の最初の方で,まずここが気になってしまった。こんな設定は絶対にありえないからだ。
 要するにこの映画とは,凄惨な状況を描くために,非現実的な設定を作って登場人物を非現実的で悲惨な状況に押しやっている面白がっているだけの映画なのである。出演者を痛めつけて喜んでいるだけの映画である。要するに,最初から最後まで「ウソ・絵空事」の世界である。

 しかし,この映画の作り手が狙っていたのは明らかに,「リアルな世界でも起こりうる現実の恐怖」を描くことだったと思われる。そうであれば,映像は徹頭徹尾リアルでなければいけないはずだ。観客に「これは絵空事だよね」と思われたらその時点で作り手の負けなのである。これは明らかに,脚本家の基本的ミスだと思う。


 そういう隔離病棟での悲惨な生活をジュリアン・ムーアは見事に演じている。日毎にやつれていき,化粧はできないからスッピンのままだし,衣服も日ごとに汚れていく。これは他の女優たちも同じで,彼女たちは「日々汚くなっていく女性の姿」をリアルに見せていく。まさにプロの女優たちである。

 しかし,そういう「日々汚れていく」女性たちの中で,最後までお人形さんのようにきれいなのが我らが木村佳乃だ。他の女優がスッピンで頑張っているのに,この女は最後までお肌ツルツル,メイクばっちりなのである。おまけに最後まで着ている服はきれいコジャレていて,「さっき5番街のブティックで見つけた服なの」という感じで興醒めなのである。要するに,プロに徹している女優たちに一人だけ素人俳優が混じっているような感じなのだ。何で映画監督は,こんな「お人形さん俳優」を使ったのだろうか。

 さらに木村佳乃が最悪だったのは,後半,病院から脱出してなんとか眼科医宅にたどり着いたシーンだ。ここで女性たちはシャワーを浴びてようやく人間らしい生活を取り戻す感動的シーンなのだが,他の女優たちが当たり前のようにオッパイを隠すことなくシャワーを浴びていたのに,木村佳乃だけは背中からのカットだけで,それもなるべく画面に出ないように注意深く撮影されていた。要するに,他の女優が「体を張っている」のに,こいつだけは「私,裸なんて下品なことなしませんの」と偉そうにしているのだ。別に木村佳乃がオッパイを出そうが私にはどうでもいいが,この役を引き受けた時点で,自分だけが「体を張らない」不自然さばかりが目立つと言うことに気がつかなかったのだろうか。それに気がつかないとしたら,女優として失格だろう。ジュリアン・ムーアの爪の垢でも煎じて飲めと言いたい。


 あと,眼科医宅にたどり着いた時,電気もガスも水道も普通に使えているのは不自然にもほどがある。確かその前のシーンで,ライフラインは壊滅とか言ってなかった? もちろん,水道と電気・ガスが通っていないと「シャワーシーンが撮影できない」という事情はあったと思うが,「ライフラインは壊滅だが,眼科医宅の水道と電気だけは無事でした」というのはご都合主義である。

 それにしても,なぜ眼科医の妻だけがこの伝染病に罹患しなかったのだろうか。DVDを見返してみてもその理由を説明するシーンはなかったし,手掛かりとなるシーンもなかったと思う。

 そういえば,この疾患はウイルス性と思われるが,それがどこからきたのか,なぜニューヨークのど真ん中で最初の一例が発症したのか,なぜ唐突に治癒したのかも最後まで説明がなかった。「これは感染パニック映画じゃないから,そういう説明はしなくていいよね」というスタンスなのかもしれないが,それは作る方の論理であって,観客にそれで納得しろといわれても困ってしまうと思う。このあたり,適当でいいから説明が欲しかった。


 一般的には評価の高い映画であるが,私は高く評価しない。「突然視力を失った病人だけを閉鎖病棟に閉じこめる」という非人間的な設定に怒りを覚えたからだ。この映画に感動の涙を流した人には悪いが,私にとっては単なるクズ映画でしかなかった。

(2010/07/23)

Top Page