《15ミニッツ》★★★★(2001年,アメリカ)


 2時間たっぷり楽しめる良質なサスペンス映画なんだけど,なんだか複数の映画を無理に一つの映画にまとめたようなちょっと変な感じなのである。で,それをどう文章で説明したらいいか,レビューを書き始めた段階でもまだ迷っているのである。まぁ,何とかなるだろうという感じで見切り発車的に書き進めることにしよう。


 映画はアメリカの空港にいかにも怪しそうな二人の男が到着し,入国手続きをとるシーンから始まる。エミルとウルグと名乗る二人の狙いは,アメリカで暮らすかつての仲間のミロスに会いに来たのだ。3人は実は銀行強盗で,エミルとウルグは捕まって服役し,ミロス一人が金を持って妻と一緒にアメリカに逃げたため,分け前の金を受け取りにきたのだ。途中の電気店でウルグはビデオカメラを万引きする。いつか自分の映画を撮るのがウルグの夢らしい。しかし,ミロスは金は使い果たしてしまい,今は真っ当に暮らしているという。その返答にキレたエミルはミロスとその妻を惨殺してしまい,ウルグは殺人の様子をビデオに撮影する。

 だが,その様子を隣に住む若い女性ダフネが目撃してしまう。ダフネはあわてて逃げ出すが,エミルは彼女の財布を発見し,彼女が不法滞在者であることを知る。エミルとウルグは事故に見せかけてアパートに火を放つ。

 火災現場に真っ先に駆けつけたのは次々と難事件を解決したことで有名な刑事エディ(ロバート・デ・ニーロ)だった。そしてそこに消防局の若い捜査官ジョーディー(エドワード・バーンズ)も到着する。ジョーディーは一目でそれが放火殺人であることを見抜き,エディは彼の観察眼に一目置くようになる。一方,ジョーディーもエディの刑事としての能力に憧れていて,二人は共同捜査をすることになる。

 一方,エミルとウルグはダフネが風俗嬢をしていると勘違いし,間違って別の女性をホテルの部屋に呼び出し,またしても些細なことでキレたエミルは彼女を殺してしまう。その後,二人はダフネの勤める美容室を見つけ彼女を脅すが,そこにエディとジョーディーが現れ,ダフネを保護するとともに部下たちが二人を追うが,逆に襲われて二人を取り逃がしてしまう。

 エミルとウルグはテレビを見て,殺人鬼が自分の経験を小説に書き,それがバカ売れして大金持ちになっていることを知り,一つの計画を思いつく。「一事不再理の原則(ダブル・ジョパディ法)」を逆手に取る方法だ。超人気刑事エディを拉致してじわじわ殺し,その様子をビデオに収め,逮捕されたら精神異常を装って心神喪失として病院に収容され,その後に「実は正常だった」と明かし,その上で殺害ビデオをテレビ局に売り込む方法だ。これならダブル・ジョパティ法の原則から殺人罪を問われることはない。さらに,視聴率のためなら何でもするテレビ局なら,有名刑事惨殺ビデオを言い値で買い取るはずだ。そして二人は無実になり,同時に大金をせしめることができる。これが彼らの計画だった。

 一方,エディは恋人のTVレポーターに結婚を申し込もうとしていて,自宅マンションに彼女を招く。しかし,エディの部屋にエミルとウルグが侵入し,エディをなぶり殺しにする。もちろんその様子はウルグがビデオに収める。

 エミルとウルグはそのビデオを,衝撃映像で視聴率を稼いでいる番組の司会者ホーキンスに売り込む。ホーキンスは100万ドルを支払い,同時に二人に辣腕弁護士を紹介する。そして,エディの葬儀の当日,テレビにエディが殺される生々しい映像が編集なしで放映される。大金を手に入れ,自分たちの顔が映っているバーの大型テレビを見て祝杯を挙げるエミルとウルグだったが,些細なことで言い争いになる。そこにジョーディーが登場し,エミルを逮捕するが,ウルグは逃亡してしまう。

 エミルの弁護士は早々に「エミルは精神異常であり,ウルグに命令されてどうしようもなくて殺人を犯してしまった」と声明を発表し,世論もそれに同調する。そればかりか,彼を逮捕したジョーディーの些細な過去の捜査ミスがテレビで針小棒大に取り上げられ,ジョーディーは消防局を解雇されてしまう。しかし,全ての罪を自分に着せようとするエミルの計画を知ったウルグは・・・という映画である。


 と,このようにストーリーはまとめられると思うが,この映画の中心テーマは何なのだろうか。恐らく,「テレビに出れば誰でも15分間は有名人になれる(これがこの映画のタイトルになっている)というアメリカの異常な状況を暴き出し,併せて,辣腕弁護士さえ付けば白も黒,黒も白になってしまうアメリカ訴訟社会の異常さを描きたかったのだろうと思う。それはそれでいいと思うし,視聴率のためには故人の名誉などどうでもいい,殺人の様子でも何でもテレビに流してしまえ,という司会者の傲慢さもよく描けているし,殺人犯の手記がベストセラーになって映画化され,莫大な著作権料を殺人犯が手にする不合理さも容赦なく暴き出している。


 だが,そのためにエミルとウルグという「東欧二人組」を登場させる必然性はあるのだろうか。これが「アメリカ人二人組」であってはいけない理由があるのだろうか。この映画を振り返ってみると,どうもこのあたりに対する説得力が皆無なのである。「生まれて初めてアメリカのテレビ番組を見て驚いた東欧の二人が犯行を思いつく」よりは,「アメリカ生まれのアメリカ人がいつも見ているテレビ番組から思いついた」という方が自然ではないだろうか。

 また,不法滞在のダフネを登場させる必然性も薄い。彼女は確かに二人組の殺人を目撃したが,彼女の目撃証拠で二人が犯人と断定されたわけでもないし,せいぜい彼女は「チェコから一緒に来た妹がレイプされ,レイプ犯の持っていた銃で射殺したらそいつは警官だった」というだけの役割である。しかもこのエピソードはその後全く生かされない無駄エピソードなのである。


 となると,ジョーディーが消防局捜査官である必然性も実は希薄であることに気がつく。彼が消防士として活躍するのはせいぜい,最初の死体の口の中を調べるシーンと,ダフネの部屋に発火装置が仕掛けられていて火の海となるアパートから脱出シーンだけである。これなら,「エディに憧れる若手刑事」という設定でもよく,「拳銃を携行する消防局捜査官」という設定にする必要はなかったと思う。

 というように考えると,エディとTVレポーターが恋仲で結婚を申し込もうとしている,という設定も余計であることに気がつく。彼女がエディと恋仲であるという設定が生かされるのは,最後のエミルが彼女を盾にとって逃げようとするシーンだけであり,これまたこの設定はほとんど生かされない。

 そうなると,最初の方の「ダフネと間違われた風俗嬢」殺害のシーンも必要だったのだろうか。これもせいぜい,「些細なことでキレまくるエミルの不気味さ」を説明するだけのシーンであり,単にオッパイを見せただけのような気がする。


 それと,エミルとウルグはどうみても緻密な犯罪者という感じでなく,特にエミルは衝動的に殺人を重ねているようにしか見えないのだが,その後の隠蔽工作にしてもダフネのアパート放火工作にしても実に緻密なのである。特に最初の殺人は成り行きで殺してしまったものであり,そのあとで冷静になって時限装置発火装置を有り合わせのもので作って,しかも死体に工作するという行動がなんだか結びつかないのである。しかも,二人は後で喧嘩別れするんだけど,その理由も「オイオイ,これで大の大人が大喧嘩することかよ」という取るに足らないものだ。何でこの二人が,殺人後にあんな緻密な工作を考えつけるんだよ。

 映画の中ではエミルはキレると何をするかわからない殺人者,ウルグはビデオカメラを構えるだけのおバカさん,というようにしか見えないのだが,ウルグを「カメラで常に記録する冷静沈着な犯罪者」と描くべきだったのではないだろうかと思う。

 映画を見ているときは「次から次へと事件が起こり,予想外の展開が続く面白い映画だな」と思っていたんだけど,レビューを書くために各場面を思い返すと前後の関連が希薄であったことに気がつく。多分この映画は,そういう目で見ちゃだめな映画なんだろうな。


 それにしても,アメリカ映画ではよく「有能な弁護士が付けば殺人犯でも無罪になる」,「地獄の沙汰も弁護士次第」という様子が描かれていて,この映画はその典型なのだが,そういう現実をアメリカの人たちはどう思っているのだろうか。

(2010/09/01)

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