《トラフィック》★★★★(2000年,アメリカ)


 2000年のアカデミー賞4部門受賞作(助演男優賞,監督賞,脚本賞,編集賞)。アメリカとメキシコとをつなぐ巨大で複雑な麻薬の問題を抉りだした社会派映画にして良心作。3つの局面から麻薬の生産側と消費側,売る側と買う側,そしてそれらを取り締まる側を見事にそして分かりやすく描いているし,問題解決が決して容易ではないこと,しかし,どこかに解決作があることを示している。その意味では一度は見た方がいい映画だし,見るべき映画だろうと思う。


 最初の舞台はメキシコの町,ティファナ。ここはアメリカ国境に接する町であり,アメリカへの麻薬輸出の玄関口でもある。町の警官,ハビエール(ベニチオ・デル・トロ)は麻薬取り締まり担当であり,末端の麻薬売人を検挙する仕事をしている。そんな彼に,メキシコ政府の麻薬撲滅担当者,サラサール将軍から直々に操作協力の申し出があり,麻薬組織の壊滅に奔走するが,やがて彼はサラサールの裏の顔を知ることになる。

 第2の舞台はアメリカのオハイオ。ロバート(マイケル・ダグラス)はアメリカ政府の麻薬取り締まり最高責任者に任命される。彼は麻薬撲滅のために日夜奔走しているが,家庭のことは妻に任せっきりだった。彼の一人娘のキャロラインは成績優秀な高校生だったが,同じく成績優秀なボーイフレンドからマリファナの手ほどきを受け,やがて彼女はコカイン,クラックと「ドラッグとセックス」にのめり込んでいく。だが,ロバートは家庭で何が起きているか知る由もない。

 第3の舞台はアメリカのサンディエゴ。ここで一人の実業家が逮捕される。容疑は麻薬密輸だ。彼はその地域の麻薬密輸の総元締めだった。もちろん,彼の妻(キャサリン・ゼダ・ジョーンズ)は夫の裏の顔を知らず,うろたえる。しかし,彼から麻薬を買っていた連中が「旦那が捕まって大損だ。息子の死体を見たくなかったら金を出せ」と大金を要求してくる。実業家だとばかり思っていた夫の会社はすべてペーパーカンパニーであり,現金は手元にない。息子を守り夫を守るため,彼女は一つの決断をする。


 このような3つの物語が並列的に進んでいき,それぞれの物語同士には接点はない。それぞれの登場人物たちは互いに接触することなく,絡み合うことなく映画は終わってしまう。もちろん,3つの物語に共通する登場人物はいる。いうまでもなく「麻薬」だ。麻薬という一点でこれほど多くの人間が繋がり合っているのに,個々の人間に接点はないのだ。これがこの映画の訴えたいことだろう。そして,現代のアメリカ社会ではそれほど麻薬が普遍的に存在することを暴き出している。

 3つの物語は無関係に平行して語られるが,それぞれの物語の切り替わりは,非常に分かりやすい。画面の色調が全く違うからだ。メキシコの場面では黄色を基調としたセピア調の映像,ロバート一家の物語は青を基調とした映像,そして,サンディエゴの麻薬密輸王とその妻の物語はフルカラーだ。もちろん,この「黄」「青」「フルカラー」には,それぞれの社会的背景や経済的背景が隠喩されているのだろうと思う。

 そして3つの物語の中心的人物3人,つまり,メキシコの刑事,アメリカの麻薬取り締まり担当の高官,そしてアメリカの麻薬密輸王の妻の姿も見事に描いている。それぞれが守るものがあり,それを守るために三者三様の結論に達してしまうのは麻薬問題の難しさを改めて考えさせるものだろう。


 このような麻薬問題を扱った映画は幾つもある。社会派映画,サスペンス映画など枚挙に暇がないし,私もかなり見ている。だが,レビューを書くことは多くない。書いたのはただ一つ,《そして,ひと粒のひかり》のみである。これ以外の映画のレビューを書くことが何か空しいからだ。

 たとえばこの映画は2000年公開の作品だが,2000年当時と10年後の現在で,麻薬問題は恐らく全く解決していないし,変化もしていない。麻薬が問題であることは世界の誰もが知っているのに,状況は全然変化していないのだ。だから,素晴らしい映画だとわかっていても,見ていて何か空しいのだ。

 何が空しいかというと,見る前から結末はわかっているからだ。麻薬密輸がなくなる,世界中の麻薬組織がなくなる,麻薬中毒者もいなくなる・・・という結末は絶対にないのだ。だから,映画を見ている側の興味としては,個々の登場人物が最後まで無事なのか殺されるのか,くらいしかなくなってしまう。要するに,どんな映画であれ,結末は「麻薬問題は大問題であり,解決していない」の一つしかないのだ。

 このあたりは,「歴史的事実の秘話映画」と同じだ。史実に忠実であれば結末はわかっている。第二次大戦でドイツが負け,源平の戦いでは平家が滅び,南北戦争では北軍が勝利する。こういう「史実」を曲げるわけにはいかない。だから,「史実に基づく秘話映画」は最初から結末がわかっている。わかっていないのは個々の登場人物の運命だけだ。現実の世界を舞台にした「対麻薬戦争映画」はこれと同じだと思う。


 デル・トロ扮するメキシコの刑事はアメリカの捜査官に「金は欲しい。それで野球場に照明がつけられるからだ。夜,安全に安心して野球で遊べるようになったら,子供たちは麻薬の売人になることもないから」と話し,その願いは叶えられる。同様に,ロバートは政府の要職を捨てて娘を立ち直らせるために彼女と真剣に向かい合うようになる。恐らく,「問題解決は一筋縄ではいかないし,簡単な解決策もない。一人一人がこの問題に立ち向かい,自分ができることから始めることしかない」と訴えたいのだろうと思う。
 それはそれで正論だし,恐らくそれしか解決法はないと思うが,これだって空しいといえば空しい。それらはこの巨大な問題に対し,「蟷螂の斧」でしかないからだ。

 世界の麻薬問題の根底には貧困問題があることは誰の目にも明らかだ。この映画の根底にあるのはメキシコとアメリカの経済格差であり,アメリカ国内の経済格差だ。貧困な社会がありすぐ隣に裕福な社会があることがわかれば,誰だってその貧困から逃げ出したいし,地道に働いたって手に入る金はたかがしれているし,そもそも,地道に働こうと思っても職業も職場もないかもしれない。だから,残っているのは一攫千金,手っとり早いがヤバい金儲けだけだ。その代表が麻薬だ。要するに,麻薬しか生活の手段がない人たちがいる限り,彼らは生活のために麻薬の販路を確保しなければ生きていけないし,麻薬問題は永遠に解決しないはずだ。

 恐らく,この映画の作り手は「この映画を一本作ったところで世界は変わらないし,麻薬問題は解決しない。それはわかっている。それでも,この問題を取り上げる映画を作る意味はあるし,告発を続けることに意味がある」と考えていると思うし,もちろんそれは意味がある行為だと思う。


 とりあえず社会派映画はすべて押さえておきたい,という人には必須映画だろうと思う。

(2010/09/24)

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