ま,一言で言えば国際警察インターポールの捜査官が,世界中の武器商人やら紛争国に不正武器売買をしている国際メガバンクを相手に闘いを挑む,という痛快アクション映画である。正義とは何かとか,国際政治を陰で動かしているものは何かとか,そういうのが一応メインテーマにはなっているが,作り手の意識はそういうところになく,クライヴ・オーエン主演の派手なアクション映画を作りたい,世界の各都市を舞台にしたアクション映画を作りたい,というあたりにあったんじゃないかと思う。そういう意味では,頭を空っぽにして楽しめばいい映画である。
しかも,安っぽさが微塵もなく,重厚な映像と華やかな舞台,そして美術館を丸ごと一つ派手な銃撃戦の戦場にしちゃう気前の良さと金の掛けっぷりが見事だ。しかも,舞台が次々と移り,しかも世界中の有名都市がロケに使われていて,観光地を巡っている気分にさせる。このくらい派手に金を使って作られた映画ってのはバカバカしくて気持ちがいいのである。とにかく,2時間たっぷりと楽しめることだけは間違いないと思う。
ちなみに監督は《パーフューム ある人殺しの物語》のトム・テイクヴァである。
インターポールの捜査官サリンジャー(クライヴ・オーエン)とニューヨーク検事局のエレノア(ナオミ・ワッツ)は共同で世界第5位の国際メガバンクIBBCの不正武器取引を追っていた。メガバンクが武器輸出国と武器商人・紛争国の間に立って取引を仲介しているというとんでもない事件である。そして,IBBCの内部告発者とエレノアの部下がベルリンで接触するが,サリンジャーの目の前でエレノアの部下は暗殺され,内部告発者も交通事故で死んでしまう。サリンジャーは暗殺の方法を突き止めるがなぜか捜査に邪魔が入ってしまう。
二人はわずかに残された手がかりからミラノに飛び,イタリアの武器メーカー会長にして次期イタリア首相候補のカルビーニと会い,IBBCが武器取引の黒幕にいることを彼の口から聞くが,カルビーニは演説の最中に狙撃されて命を落とし,警官が狙撃犯の潜むホテルの部屋を襲撃して狙撃犯は呆気なく射殺される。
サリンジャーは銃の弾道から狙撃箇所が2カ所であることを割り出し,そこに残された特徴的な靴の跡から第2の狙撃犯が義足を付けていて,その義足からニューヨークの整形外科医を割り出し,エレノアとともにニューヨークに急ぎ,狙撃犯の殺し屋を見つけるが,そこにもIBBCの魔の手が伸びていて・・・という映画である。
この手の「この世に巣食う巨大な悪と対峙する」映画は多いが,結末はだいたいモヤモヤしたものとなる。なぜかというと,相手(例:麻薬巨大カルテルとか国際メガバンクとか)が余りに巨大すぎ,こいつらを本当に壊滅しようとしたらアメリカとヨーロッパと東アジアと中近東をすべて破壊するくらいのことをしなければ到底無理だからだ。
要するにこれらの大問題は「戦争なぜ起こるのか,なぜ戦争がなくならないのか,貧困問題はなぜ解決できないのか」というあたりの問題に直結しているため,「この地球に70億も人間がいたら問題が起こるのは当たり前。70億もいたらいがみ合いも起こるし,貧困も解決できるわけない。世界人口を100万くらいに減らせば戦争はなくなるだろうし,貧困問題もなくなるんだ」的な解決しかないのである。
もちろん,映画を作る方にもそれはわかっているが,しかしそれでは映画として成立しないため,「警察組織を離れて一匹狼となった主人公がその悪の組織のトップを個人の立場で処刑するが,悪の組織は依然として残っている」という結末にすることが多いわけだ。実際,そのような結末を迎える映画・小説は多いし,この映画もその一つである。
そういう中で,この映画のサリンジャーはよく頑張っていると思う(エレノアはちょっと影が薄いけど)。そして,「捜査はできるが逮捕権なし。各国警察に捜査情報を流すことくらいしかできない」インターポールという組織の限界もよく知り尽くしているし,いくら捜査で証拠を掴んでも,実際の逮捕に当たるそれぞれの国の警察上層部がIBBCと間接的に繋がっていては打つ手がないのだ。だから,サリンジャーは組織を離れて個人制裁の形でIBBC頭取を殺すくらいしかできないことになる。
おまけに,それでもIBBCという組織は残っているし,仮にIBBCを潰したとしても「IBBCみたいな銀行を必要とする武器輸出国と武器商人」がいる限り第2のIBBCがどこかに登場するわけだ。要するに,武器と戦争が付き物の人間文明世界では,それらの不正を告発するのは世界を相手に「お前らは狂っている」と告発して戦うようなものだ。
この映画は言ってみれば「組織 vs 個人」,「組織としての正義 vs 人間個人としての正義」の対立を描いているのだが,その中で最高に格好いいのがコンサルタントという名の殺し屋だ。彼は金でIBBCに雇われてはいるがIBBCの方針を肯定しているわけでなく,依頼された仕事をただ完璧にこなしているだけであり,ゴルゴ13と立ち位置は全く同じだ。だから,あの美術館での銃撃戦では自分の身が危うくなれば自分が生き延びるためにIBBCが向けた襲撃者を撃ち殺し,結果的にサリンジャーに手を貸すことになる。組織に頼ることなく己の力と能力で生きていく彼の姿が潔くて清々しい。
それにしても,サリンジャーがIBBCを追いつめることができた理由はただ一つ,殺し屋コンサルタントが義足を付けていたからに過ぎない。コンサルタントが義足の殺し屋でなければ,そして彼の義足がニューヨークの整形外科医の特注品でなければ捜査は行き詰まっていたわけである。要するに,二重の意味で偶然頼みの捜査である。まぁ,それだけIBBCの工作が巧妙で完璧だったということだろうが,「殺し屋が義足」という「オイオイ,それって何だよ」的な推理・捜査でなくIBBCを追いつめて欲しかったな,とちょっぴり残念だ。
それにしても,最後のトルコのイスタンブールのトプカピ宮殿にIBBCの頭取はなぜ警護も付けずに単身出向いたのだろうか。あれほど,世界中に殺し屋をいつでも向かわせるくらい世界中にネットワークを持っているのだから,イスタンブールでだって一声かければ武装集団を調達でき,身を守れたんじゃないだろうか。もちろん,急いでトルコに向かわなければいけない事情があったとしても,ちょっと無防備すぎないだろうか。それまでの完璧な防御ぶりとの落差が大き過ぎてちょっぴり興醒め感が漂ってしまう。もちろん,こうでもしないと映画として終わらせようがないけどね。
ちなみに,この映画の中で初めて,インターポール捜査官に逮捕権がないことを知った。何しろ大半の日本人にとってインターポールと言えば《ルパン3世》の銭形のとっつぁんであり,とっつぁんは口を開けば「ルパン,逮捕する!」がお約束のセリフだから,インターポールって逮捕できるとばかり思っていた。
閑話休題。
ちなみに,この映画は1991年に破綻した国際商業信用銀行(BCCI)をモデルにしているらしい。これは途上国向けの融資を行うメガバンクで,あらゆる地域紛争・民族紛争に武器調達を武器に介入し,CIAからヒズボラからイスラム原理主義勢力までを商売相手にして成長した銀行であった。例の,アルカイダのオサマ・ビンラディンもこの銀行から資金援助を受けていたらしい(ちなみに,この時期のビンラディンはアメリカのCIAからも援助を受けていた。いわゆる「敵の敵は味方」というのがアメリカ側の論理だった)。BCCIはこの映画のIBBCと同じルクセンブルグに本部を置いていた。
と言うわけで,ルクセンブルクについてのミニ知識。
ルクセンブルクは立憲君主国で世襲のルクセンブルク大公(ヴァイルブルク家)が代々,国家元首を務めている。位置的にはフランス,ドイツ,ベルギーに挟まれていて,面積は佐賀県と同じくらいで人口48万人というミニ国家である(ちなみに佐賀県の人口は87万人)。
ところがこのミニ国家がすごいのである。世界で最も豊かな国と言われ,国内総生産世界トップなのだ。おまけに,現在も経済成長を続け,失業率が低く,おまけに国内の所得格差が北欧並に小さいというから,今の日本から見たら夢みたいな国である。
何でそんなに豊かというと,重工業と金融という二枚看板が極めてうまく行っているかららしい。まず,地理的にこの国はヨーロッパの中心に位置していて,交通,物流の要所であり,どこに行くにも便利である。しかも,国民の多くが英語もフランス語もドイツ語も話せるらしく,これも経済の中心地として理想的である。このため,ヨーロッパの各企業がここを活動の拠点にしているらしい。
かつては鉄鋼業が世界一だったが,オイルショックを期に金融サービスへの方向転換を図り,GDPの8割を占めるようになったらしい。実際,金融業の規模はスイス全体に匹敵し,ユーロ圏の不動の金融センターとなっていて,プライベート・バンキングの中心となっているとのことだ(ちなみに金正日さんの隠し資産のほとんどがルクセンブルクの銀行に預けられているんだってさ)。そんなわけで,労働人口の2割以上が金融関連産業についているらしい。道理で失業率が低いわけである。
こういう国をみていると,国力というのは国の面積でも人口でも地下資源の量でもないことがよくわかるのだ。
(2010/12/22)