新しい創傷治療:幸せはシャンソニア劇場から

《幸せはシャンソニア劇場から "Faubourg 36"★★★★★(2008年,フランス/チェコ/ドイツ)


 とても良質で感動的なシャンソン・ミュージカル映画である。なんでも,1930年ころのシャンソンをイメージして新たに作ったシャンソンの歌詞を基に映画のシナリオが後から作られた作品とのことである。パリ郊外の架空の下町にあるミュージックホールを舞台にしたハートウォーミングな傑作人情劇である。フランス映画の素晴らしさ、フランス映画の底力を思い知らされた作品である。


 舞台は1936年のパリ。ミュージックホール「シャンソニア劇場」はパリっ子たちに長年愛されてきた下町の劇場だった。しかし,フランスは長引く不況から脱出できず,次第に観客も減り,ついにシャンソニア劇場も閉館の憂き目にあってしまう。この劇場で長年,裏方を務めてきたピゴワル(ジェラール・ジュニョ)や照明係のミルー(クロヴィス・コルニアック)らは職を失ってしまう。新しい職が見つけらないピゴワルは酒に溺れ,妻は男と一緒に逃げてしまう。彼の一人息子のジョジョ(マクサンス・ペラン)は得意なアコーディオンを街角で弾いては家計を助けるが,ある日,警察に補導されてしまう。そして,失業状態から抜け出せないピゴワルは保護者の資格なしとして,別れた妻(=実業家と再婚している)がジョジョを引き取ることになる。

 最愛の息子と一緒に暮らすためには定職に就くしかないし、定職に就かない限り,息子には会えないのだ。しかし,ピゴワルは劇場の仕事しかできない。そこで彼は決意する。シャンソニア劇場を再建し,そこで働こうと。

 ピゴワルはシャンソニア劇場の新オーナーである不動産屋のギャラピア(ベルナール・ピエール・ドナデュー)に掛け合い,1ヶ月間のうちに利益を上げることを約束する。そして,かつての劇場の仲間たちは彼のもとに集まり,シャンソニア劇場は昔の姿に戻り,劇場再開の日を迎え、客席は満席となる。しかし、最初の頃こそ昔のよしみで客が集まったが,しかし所詮は素人芸であり,次第に飽きられて客席は空席だらけとなる。

 そんな時,ドゥース(ノラ・アルネゼデール)という若い女性がオーディションを受けに来る。かつて,母親がパリの舞台で歌っていたらしい。彼女は舞台の司会係として採用されるが,初舞台の日,客席から「歌え,歌え」という野次が飛んで騒ぎになる。その騒ぎを抑えるためには彼女は急遽,歌う羽目になる。しかし,舞台の彼女は母親譲りの美声の持ち主であり,彼女の歌声に観客は圧倒される。そして彼女はシャンソニア劇場の希望の歌姫になる。

 だが,彼女の才能に目をつけたパリの大劇場は彼女を引き抜き,またしてもシャンソニア劇場は倒産の危機に直面する。そんな時,ピゴワルの古い友人が立ち上がり・・・という映画だ。


 とにかく音楽が文句なしに素晴らしい。最初にドゥースが歌うシーン,ジョジョのアコーディオン演奏もいいが,新生シャンソニア劇場の象徴とも言うべきシャンソン "Partir pour la mer" で繰り広げられる後半の10分近いミュージカル・シーンはまさに圧巻だ。歌うことは生きること,生きることは踊ること、と歓喜と希望を歌い上げ,生の喜びが炸裂する。このシーンは感動的だ。この舞台劇シーンだけでもこの映画を観る価値があると断言する。


 主人公のピゴワルはとても格好悪い。頭は禿げ上がっているし,中年太りだし,どう見てもジョジョの父親と言うには歳を取り過ぎているように見える(これがこの映画唯一の誤算だろう)。少なくとも,アメリカ映画だったら主役には絶対になれない不格好ハゲ中年である。そしておまけに劇場が潰れて仕事がなくなり,新しい仕事にも就けず,息子の稼ぎを当てにする酒浸りダメ男である。これでは奥さんに逃げられても文句は言えない。そんな父親を支えるジョジョの健気さが涙を誘う。後半,ミルーたちがジョジョを取り戻し,ピゴワルの部屋の下で「ジョジョの歌」を歌うシーンは本当に感動的だ。

 そんなダメ男が,息子とまた暮らすために一念発起するのだ。しかも,劇場を再建しても問題山積で興行はすぐに行き詰まってしまう。それでも彼は諦めないのだ。中年ダメ男が必死で頑張る姿に涙しない中年男はいないと思う。

 そして何より格好いいのがラジオ男(ピエール・リシャール)と呼ばれる初老の男だ。ピゴワルの古くからの友人であり,ジョジョのアコーディオンの先生だが,ある出来事から部屋から一歩も出なくなり,終日ラジオを聞く生活をしている。いわゆる世捨て人状態、隠遁生活だ。しかし,ドゥースが登場し,彼女の死んだ母親とラジオ男の関係が明らかになったことから彼は作曲家、指揮者として復活する。ラジオを通じて世の中の事情や音楽の好みを習熟していた彼は,聴衆に訴えかける新しいシャンソンを次々に産み出していき,ドゥースがをそれを歌う。シャンソニア劇場のオーケストラを指揮する彼の姿は男の気概に溢れ,誇りに満ちている。恐らく,この映画最高のシーンだろう。


 しかもこの映画は毒に満ちている。何しろこの映画は、ピゴワルが殺人犯として逮捕され、尋問されるシーンから始まるのだ。のっけからハードなのである。見ている側には悪徳不動産屋が絡んでくることは最初からわかっている。そして、ドゥースが登場して彼が彼女をものにしようと考えて、一方、彼女はミルーと恋仲になるのだ。案の定、映画の後半はドゥースを軸に人間関係が緊迫していき、一触即発状態となる。このあたりのサスペンスフルな描き方もうまいと思う。

 結局、ピゴワルは殺人犯として刑務所に収監される。あの喜びに満ちたミュージカルシーンが一挙に暗転する。このあたりの容赦のなさは、まさにフランス映画かもしれない。

 しかし、この映画はそれでは終わらない。刑を終えて娑婆に出たピゴワルの目にシャンソニア劇場の目映いばかりの光が入る。劇場の看板の文字が泣かせる。そして彼は劇場の暖かい光に包まれる。諦観と希望、逡巡と決意、未来と過去が交錯する心に残るエンディングである。


 音楽が好きな人なら絶対に見て欲しい作品だ。

(2011/01/01)

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