《消されたヘッドライン》★★★(2009年,アメリカ)


 もともとイギリスBBC放送が2003年に作成した「ステート・オブ・プレイ 陰謀の構図」という6話連続のテレビ用映画をアメリカでリメイクした作品。物語のテンポはよく,丁寧に作られている映画なのだが,ラスト5分で明かされる真相はちょっと肩すかし。この映画って平和時における軍需産業の巨悪を告発する骨太の作品だとばかり思っていたのに,最後の最後で明かされる真相はそういう巨大なものから一気にスケールダウンしちゃいました。確かにこういう真相でなければ物語全体の謎が解き明かされないのはわかるのだが,これではまさに竜頭蛇尾の見本である。

 それと,もともとイギリスを舞台にした設定だったのに,それをそのまあアメリカに持ってきたため,ちょっと不自然な部分も少なくないのである。そういう部分にもうちょっと手を加え,ラストの謎解きどんでん返し部分をなくして「記者が巨悪を糾弾する」というシンプルな構成にした方がよかったのではないだろうかと思う。


 舞台は現代のワシントン。一人の黒人青年が銃で射殺され,それを目撃したピザ配達員も撃たれ,重傷を負う。そして同じ頃,地下鉄駅で下院議員のスティーブ(ベン・アフレック)の女性秘書ソニアが転落死する。そして,ソニアの死を伝えられたスティーブは記者会見を開くが,会見場で泣き出してしまう。その様子がテレビに流れ,マスコミはスティーブとソニアが不倫関係にあったために取り乱したのだろうと報じる。

 黒人青年射殺事件を追っていたワシントン・グローブ紙の敏腕記者カル・マカフリー(ラッセル・クロウ)は実は議員のスティーブと学生時代からの友人であり,不倫報道を気にかけていた。しかし,主剤の途中で射殺された青年の携帯電話の通話履歴にソニアの名前があったことを知ったことから,この全く無関係と思われた事件が背後で繋がっているのではないかと考えるようになる。そして,ソニアの事故死を取材していたWeb版グローブの若い女性記者デラ(レイチェル・マクアダムス)とともに事件を追い,二つの事件の背後に巨大な闇が潜んでいることに気がつく。

 実は,スティーブはアメリカの巨大民間軍事企業の不正問題を追求していて,ソニアはその資料をまとめる仕事をしていたのだった。この企業はアメリカ軍の海外派兵を支えていたが,アメリカ国内での警察組織の民間移行を計画していて,それに伴う巨額の利益を独占しようとしていたのである。スティーブが暴こうとしていたのはこれだった。

 カルとデラは一つ一つ証拠を積み重ねて巨大企業の悪行に迫ろうとするが,カルの身にも刺客の手が伸びてきて・・・という映画である。


 イラク戦争の時に民間の軍事関連企業の存在が大きく取り上げられたことは記憶に新しい。補給や兵站など,戦闘以外の部門をこういう企業に任せることで軍事費の削減を目指そうということだったと思う。確かにこれで国の軍事費は確実に削減できたが,反面,「戦争がなければ食っていけない・利益を生み出せない企業」が生まれてしまったのだ。何しろこういう企業は戦争がなければ社員に給料が出せないし利益も出ないのである。

 となると,こういう企業が生き残るためには戦争が必要になり,場合によっては戦争を作り出すことまでやりかねない。まして,これと兵器産業(=兵器を消費してくれないと商売にならない)が結びついたら(というか,結びつかない方が不思議だ),戦争を新たに作り,戦争が終わらないように裏工作する,なんてことは現実に起きているらしい。

 まして,この映画のように「警察の仕事の民間移管」は小さな政府を目指す国にとっては願ったりかなったりだろう。実際,水道事業を民間会社に委託(=丸投げ?)している国は珍しくないくらいだから,警察機構の民間移行は決して夢物語ではないと思われる。そういう意味で,この映画の世界はきわめてリアルである。


 そういう戦争関連企業の不正,国家規模の陰謀を一人の国会議員が命を懸けて追求し,新聞社が社運をかけて真相を暴こうとするのがこの映画(・・・正確に言えばラスト5分前までだが・・・)である。もちろん,強大な力を持つ企業であり恐らく強力なロビー活動をしているだろうから,一人の人間が相手にするには余りにも巨大すぎるが,それでも新聞社の協力があれば真相を国民にばらすことくらいはできそうな気がする。まさに正統派の社会派サスペンス映画のテーマとしては最高のものだろうし,これなら間違いなく骨太の作品が作れるはずだ。

 もちろん,この映画も途中まではその路線で突き進む。当初は無関係と思われた二人の死(麻薬がらみの事件と思われた黒人青年の射殺,議員秘書の地下鉄ホームからの転落事故)の間の関連性がわずかな手がかりから明らかになり,それに伴ってスティーブが取り組んでいる巨大企業の正体が次第に明らかになり,それらに迫っていくカルとデラの取材の様子はまさにスリリングであり,息つく間もないほどの迫力である。その意味では,見事な正統派サスペンス映画である。

 それがラスト5分で全く変わってしまうことは前述したとおりである。社会に巣くう巨悪を糾弾する映画かと思ったら,一気に個人レベルの犯罪にスケールダウンしてしまうのだ。あの戦争企業の企みはどうなるんだろう,とか,国家レベルの陰謀は解決されないままなんだろうか,とか,そういう疑問はすべて置き去りにして,「実は黒人青年の死もソニアの死も○○の個人的な犯罪だったのだ」ということで終わってしまうのだ。ううむ,これで納得しろと言われてもなぁ・・・。


 そして,この映画の全体像がわかってしまうと,細部は結構穴が多いことに改めて気がつくのだ。

 例えば,映画の冒頭の黒人青年の死体が発見されるのはいいとしても,その現場にカルが駆けつけるのがまずおかしい。これは銃による殺人事件が日常茶飯時のアメリカでの事件だからだ。これが銃の所持が規制されているイギリスや日本なら大事件だが,銃規制がないに等しいアメリカでは珍しい事件でもないし,大事件でもないはずだ。そういう事件現場になぜ辣腕記者のカルが急いでやって来たのだろうか。なぜ新聞社がこの珍しくもない事件を取り上げるようにカルに命じたのだろうか。これは映画冒頭から違和感を感じた。

 ましてカルはソニアの携帯電話を調べたりするのであるが,これはどう考えても違法行為じゃないだろうか。なぜ,カルはこのどうでもいいような射殺事件にそこまでこだわるのだろうか?

 そして,黒人青年とソニアの関係が明らかになる資料をカルが入手する過程も余りに偶然すぎるのも気になった。黒人青年がたまたま盗んだものにソニアの写真が入っていたという説明だったと思うが,ちょっと都合がよすぎないだろうか。


 と,ここまで考えると,この映画は要するに射殺事件とソニアの転落事故が同じワシントンDCで起きたから成立したということに気がつく。たまたま同じ地域で事件が起きたから両者の関連性が明らかになっただけのことで,もしも,二人が別々の州で殺されていたら,いくらカルでも二つの事件の関連性には絶対に気がつかないはずなのだ。

 変と言えば,国会議員スティーブが重要調査の主任に,雇ったばかりの20代のソニアを据える,というのも余りにも不自然である。○○がソニアを送り込む理由は納得できるが,スティーブがソニアにこれほど重要な仕事を与えることは普通はないと思う。

 そういえば,最初の記者会見でスティーブが泣くのもちょっとおかしい。なぜかというと,スティーブは○○であることを知っていたからだ。ということは,あの記者会見に臨む前に「泣いた方がいいのか,泣かない方がメリットがあるのか」について十分に考える時間があったはずだし,その結果として普通なら「泣かない」選択をするはずだ。泣くことによるデメリットに気がつかないような人間なら,そもそも国会議員にはなれないはずだ。


 違和感というと,カル(ラッセル・クロウ)とスティーブ(ベン・アフレック)の見た目が違いすぎ,どう見ても同い年に見えないのも困りものだった。アフレックが余りにも若々しすぎるため,クロウが一回りくらい年上に見えてしまうのである。

 そういえば,ラストで事件の真相の糸口となるスティーブの妻の「月に4万2,000ドル」という重要なセリフも必然性がないのだ。なぜこいつがこの場面で「4万2,000ドル」と口走ったのだろうか? この場面を繰り返し見直したが,唐突で意味がないセリフにしか思えないのである。重要なセリフだけに,この唐突感がなんとも惜しい。

 何より,警察がほとんど捜査に関与しないというのも変である。何しろ,この映画の警察は捜査権のない新聞記者の取材程度の捜査もしていないのである。普通なら,カルたちが偶然手に入れた資料を警察に渡した後,警察が一気呵成に捜査を進めて真相に近づくんじゃないだろうか。


 要するに,何も考えずに見ればすごく面白い映画なのだが,不自然さにちょっとでも気がつくと,やたらと説明不足と不自然な展開が目に付く作品である。やはり,基本設定の部分をもっとしっかり作り直して,リメイクして欲しい。

 ちなみに,「消されたヘッドライン」という邦題は,カルが最後の最後で真相に気がつき,一面の見出し(ヘッドライン)を載せた新聞の輪転機を止めさせて別の見出しの一面にする,という意味なんだろう。

(2011/01/21)

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