第二次大戦中のナチスドイツで実際に起きた国家規模の紙幣偽造計画を再現した実話物映画。ちなみに原作は,実際にこの計画に携わった印刷技師アドルフ・ブルガーの書いた『The Devil's Workshop「ヒトラーの贋札 悪魔の仕事場」』である。
ナチスドイツの計画は巧妙である。本物と見分けが付かない偽ポンド札,偽ドル札を大量に作って敵国イギリスとアメリカに流通させ,ポンドとドルの価値を暴落させて経済を混乱させ,両国が戦争継続できないようにしようというものだった。これはうまくいったら最高の破壊力を持つ最も安価な武器となり,計画としては非常にスマートだ。そしてそれは,貨幣とは何か,貨幣経済とは何なのか,という人間社会の根本を問いかける企てなのである。
そして映画もなかなか良くできているし,ストーリー展開もテンポがいい。
だが,大傑作と言うほどではないのも事実だ。全体があっさりしているというか,事実関係の表面をなぞっただけのように見えるというか,人間のドラマとして厚みと深みがちょっと足りないのだ。これについては後で分析する。
もう一つ気になるのはカメラワークだ。話している登場人物がクローズアップされることが多く,それがやけに素人っぽい感じなのだ。しかも,クローズアップするタイミングがなんだか変なのである。近年のヨーロッパ映画ではハンディ・カメラを使った作品が多いが,これもその一つなのだろうか。これは見ていてすごく気になった。
物語はこんな感じ。
舞台はまず,第二次大戦終結直後のモンテカルロ。その一流ホテルのカジノに大金の詰まったバッグを持った男サロモン・ソロヴィッチ(カール・マルコヴィクス)が入り,次々に大勝負に大金をかけて勝ち続ける。だが彼の腕には囚人番号を示す刺青があった。彼はユダヤ人であり,強制収容所の生き残りだったのだ。
そして舞台は1936年のベルリンに移る。ソロヴィッチは偽造パスポート・偽札作りのプロだった。しかし,アジトに犯罪捜査局の捜査官ヘルツォーク(デービッド・シュトリーゾフ)が踏み込み,逮捕されてしまう。彼は強制収容所送りとなり,地獄の日々が続く。
しかし,ナチス首脳のヒムラーが「ベルンハルト作戦」を立案し,ヘルツォークがそれを指揮するように命じられたことからソロヴィッチの運命が変わる。ベルンハルト作戦とは敵国イギリスとアメリカの紙幣を偽造して大量に流通させ,両国の経済を崩壊させようとする作戦であり,そのために収容所のユダヤ人の中で印刷技術に長けた者が集められ,偽札作り界のスーパースター,ソロヴィッチが責任者として任命される。彼らは収容所内の隔離された偽札工場に集められ,衣食住が約束され厚遇される。その一人が印刷技師のブルガー(アウグスト・ディール)だった(・・・ちなみに,この映画の原作小説の作者)。
彼らはまずイギリス・ポンド紙幣の偽造に取りかかり,当初謎だった紙幣の紙質の秘密にソロヴィッチが気がついたことから完璧な偽造紙幣が完成する。それはイングランド銀行が「これは本物のポンド紙幣である」という証明書を発行するほどの出来映えであり,大量のポンド紙幣が印刷され,密かにイギリスに運び込まれていく。
彼らの次のターゲットはアメリカ・ドル紙幣だった。当初,ドル紙幣の偽造は困難だったがソロヴィッチは完璧な原盤作りに成功し,後は印刷技師のブルガーの仕事となる。しかし,そんなブルガーの元に妻と子供が強制収容所で死亡したという知らせが届いてしまい,彼は偽造紙幣作り作業をサボタージュすることを決める。ドル紙幣偽造に成功してアメリカ経済が混乱すればナチスドイツ政権は存続し,ユダヤ人への迫害が続くと考えたからだ。
偽ドル作りが滞っていることに苛立ったヘルツォークは4週間以内に成功しなければ技術者5人を射殺すると宣告する。そのため,ブルガーと他のユダヤ人の間で対立が起こるが,ちょうどその頃,各地でナチスの敗戦が続くようになり,戦局はナチスに不利になっていく。
ソロヴィッチは期限内に完璧な偽造ドル紙幣を完成させるが,その数日後,親衛隊は「機械を解体し,車に運べ」と命令する。連合軍が迫ってきたため,国家ぐるみの紙幣偽造の証拠を隠滅するためだった。その夜,空っぽになった工場にヘルツォークが忍び込む。隠匿しておいた偽造ドル紙幣を持ち出すためだった。しかし,そこにソロヴィッチが・・・という映画である。
映画の前半は非常に快調だ。終戦直後のカジノで大金を張り続ける謎の紳士ソロヴィッチが登場する冒頭部分といい,その彼が偽造紙幣作りの天才であり,その才能をナチスに買われてベルンハルト計画の中心人物となっていく過程はまさにスリリングでワクワクさせる。そして,偽造パスポートを作る入念な手際も見ているだけで楽しい。多分,このままソロヴィッチを中心とする波瀾万丈のストーリーが展開するのだろうと期待が高まる。
しかし映画はその後,印刷工のブルガーが登場することからテーマが次第にぼやけてしまうのだ。家族をナチスに殺されて自分自身が生き延びる意味を失ったブルガーは,ナチスに抵抗することだけを生き甲斐とする。だから,偽ドル紙幣作りに協力することは同胞のユダヤ人を迫害に手を貸すことだとサボタージュを決意する。だが,サボタージュすることは自分たちの仲間の命を奪うことになる。ブルガーもその他のユダヤ人職人たちも究極の選択を突きつけられるが,これは最初に予想された展開から異なっているのだ。
しかも,ソロヴィッチは彼らとは距離を置いているというか,超然としている感じがするのだ。それが,自分自身が生き延びることにしか興味がないためなのか,あるいは,完璧な偽造紙幣を作ることにしか興味がないためなのか,それがよくわからないのである。ソロヴィッチが自分自身や生き方について語るシーンがほとんどないからだ。
多分,完璧な偽ドル紙幣を作ることにしか興味を持たなかった一人のユダヤ人が,己の才覚だけで収容所生活を生き延びる物語にした方がよかったのではないだろうか。私だったらそういう映画にする。
なぜこうなったのか。それはブルガーの実録小説を元にしたからだと思う。ブルガーの小説を読んでいないので何ともいえないが,恐らくブルガーの行動や考え方を中心に書かれた小説なのではないだろうか。だから当然,自分が中心になって行ったサボタージュがナチスドイツの敗戦を早めた要因の一つだった,という感じの書き方になっても不思議はない。
だが,映画にしようとした時,ブルガーを中心とするかソロヴィッチを中心とするかで考えると,ブルガー中心では面白い映画にならないのである。「ベルンハルト計画」という歴史秘話で映画を作るためには,計画の中心人物であるヘルツォークとソロヴィッチを中心に据えるべきなのである。ところがこの映画は,前半はソロヴィッツ中心なのに後半はブルガー中心にしてしまった。その結果,前半と後半が別々の印象を与えてしまうことになったのだ。やはりここは,ソロヴィッチを中心に据えた映画にすべきだったと思う。
歴史的な事実関係から言えば,偽ポンド札に関してはベルンハルト計画は大成功同然で,「ヒトラーの死があと10日遅れていたら,イングランド銀行は破綻し,イギリスはドイツに降伏しただろう」という見方もあるくらいだ。実際,この事件はイングランド銀行にとっては触れられたくない最大の事件であり,同行がこの事実を正式に認めたのは2003年というから,どれほど大きな打撃を受けたのかが逆にわかる。
なぜ,ソロヴィッチは英国ポンド紙幣の偽造に成功したのだろうか。それは,伝統を重んじるイギリスでは18世紀以来の造幣の方法(紙幣のデザイン,印刷方法など)を変えなかったためらしい。実際,当時のポンド紙幣は紙は無地の単色刷りだったらしい。このため,ソロヴィッチが「ボロボロになったアマ布を細かく裁断して紙幣の紙が作られている」と見抜いたあと,簡単に完璧な偽造紙幣が作れたらしい。
一方,ドル紙幣の偽造にソロヴィッチは手間取るが,これは単純に,ドル札の製造技術がポンド札より格段に高度だったためらしい。当時のドル紙幣は紙も特殊で,印刷方法も一般的な凸版印刷でなく凹版印刷を用いていて,同じ凹版印刷機を手に入れない限り偽造できなかったらしい。ソロヴィッチはコロタイプ印刷機で疑似的に偽ドル札を作ることを考えたが,この印刷機を使える唯一の技師がブルガーだったのだ。
この映画の中では,ブルガーのサボタージュが奏功して偽ドル札の完成が遅れ,偽ドル流通によるアメリカ経済の混乱を未然に防ぎ,第二次大戦の終結を早めたことになっているが,これは史実とは異なっているらしい。たまたまドイツ軍の降伏の時期が偽ドル札完成と重なっただけで,ドイツ敗戦を決めた要因とはならなかったというのが定説である。
ちなみに,映画の冒頭とラストはモンテカルロのカジノのシーンで終わる。ご存知のようにモンテカルロはモナコ公国(世界で2番目に小さな国家。地中海のイタリアとフランスに接している国)の4つの地区の1つである。冒頭,ソロヴィッチが佇む海岸に「ドイツ敗戦」を伝える新聞があるから,恐らく1945年5月8日か9日のものだろう。一方,ヒトラーの自殺が4月30日,連合軍によるユダヤ人強制収容所の開放が5月1日である。つまりソロヴィッチは,ナチス政権崩壊と押し寄せる連合軍による混乱のさなかに8日たらずでベルリンからモンテカルロに到着し,瀟洒な身なりになって超高級カジノに入ったことになる。事実だとすれば,かなりの早業である(もちろん,バッグ一杯の偽ドル札が威力を発揮しただろうが・・・)。ちなみに,1945年当時のモナコはドイツに占領されていて,ユダヤ人や迫害されていたそうだ。
それにしても,貨幣というのは不思議なものだと思うし,ある意味,人類最大の発明品ではないだろうか。「鯛一匹とリンゴ5個なら交換していいよ」という物々交換の方式なら誰でも考えつくが,そういう世の中にあるモノに値段を決め,それを金とか銀とかの量(重さ)に換算する,という方式を考えつくのはかなりの知者であろう。ましてや,その金や銀そのものでなく,「この紙切れは金と同じ価値があるよ」というシステムを考えつくのはさらに頭がいい。金や銀では持ち歩いているうちにすり減ってきて小さくなって価値が目減りしてしまうが,貨幣にはそういう心配はないからだ。考えてみると非常に見事なシステムである。
唯一の問題は,貨幣の原価はただ同然という点である。一万円札といえども所詮は特定の図柄を印刷した一枚の紙にすぎない。逆に言えば,偽造しようとするとできないわけではないよね,という問題に直面するわけだ。そして実際,完璧に偽造紙幣が作れたら大金持ち間違いなしだ。だから,貨幣制度誕生とともに偽金作りという商売(?)も誕生したわけだ。
これを一般化すると「原価がただ同然なのに高価で取り引きされる物ほど,偽物を作る価値がある」となる。この点,貨幣は原価はただ同然で,しかも価値については全国民(そして世界中の人)が認めているわけで,偽造する対象物としてはベストである。だからこそ,古来から貨幣偽造が行われてきたし,国家は偽金作りを重罪としたわけであろう。
そういうわけで,水準以上に面白い映画だが,ソロヴィッチを主人公にした作品としてリメイクしてほしい作品だ。
(2011/02/08)
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