《ウォッチメン》★★(2009年,アメリカ)


 世の中には原作を知らないと全然楽しめない映画がありますが,この《ウォッチメン》はその代表的例です。原作はアメリカンコミックの有名な作品ですが,私はアメコミは趣味でないからもちろん読んだことはなく,そもそもどういうマンガなのかも全く知りません。

 そこで,原作も知らず,予備知識もなしにこの映画を見たらどうなるだろうか,って思っちゃったわけですよ。ま,無謀な挑戦ですな。要するに,暇だっただけですね。

 というわけで観たのですが,本当に訳が分からなかったです。まず,この映画の基本的な世界観というか基本ルールがまるっきりわかりません。なにやら超人が登場するらしいことは最初の数分でわかりましたが,そこから先がわかりません。なんだか,ルールのわからないスポーツの試合を見ているような感じです。おまけに,超人さんの数が多く,名前と顔と性格が覚えられません(・・・単に記憶力が悪いだけだけど)。さらに,1985年という舞台設定なのになぜかアメリカ大統領はニクソンです。なぜニクソンなのかわからないまま,映画は先に進んでいきます。

 というわけで,この映画をこれから見る方は,この映画について書いているいろいろなレビューをしっかり読み,予備知識を十分に仕入れてから観た方がいいです。できれば原作のアメコミも読んでその世界観を理解した上で鑑賞した方がいいです。でないと,2時間40分をドブに捨てます。


 この映画の世界とは要するに,世界の平和のために戦うヒーローが現実の世界にいたらこうなるだろう,というシミュレーションらしいです。そのスーパーヒーローのチームが「ウォッチメン」であり,彼らはアメリカの平和を守るために日夜戦うのですね。彼らの持つ超人的な能力のおかげで,ベトナム戦争は見事にアメリカの勝利で終わり(だからニクソンが再選されたわけです),アポロ計画も彼らの協力で成功します。もちろん,犯罪者も捕まえます。彼らはまさに,アメリカ社会を陰で支えるヒーローたちでした。

 しかし次第に,「超人たちに監視されている生活はイヤだ」という市民が増え,ついに「ウォッチメンは誰が監視するんだよ!」と暴動が起こる始末。そこで,任期3期目となったニクソン大統領は法律でウォッチメンの活動を停止させます。その結果,ウォッチメンたちは一般市民となり,あるものは地味に生活し,あるものは精神を病んで病院送りとなり,あるものは能力を生かして会社を起業したりしました。

 ウォッチメンの顔ぶれは次の通りです。

 そんなある日,コメディアンが何者かに殺されるという事件が起きます。活動停止中とはいえ,超人的戦闘能力を持つコメディアンを殺したのは普通の相手ではありません。そして危機感を覚えたロールシャッハは捜査に乗り出しますが,他のウォッチメンたちにも危険が迫ってきます。

 一方そのころ,世界に核戦争の危機が勃発します。米ソの冷戦が頂点に達し,互いに核兵器の使用を宣言したのです。米ソともに地表の全てを破壊してもまだお釣りがくるほどの核兵器を保有しているため,全面核戦争はまさに人類絶滅の危機でした。

 ウォッチメンの命を狙うのは誰なのか,そしてウォッチメンたちは核戦争の危機を回避できるのか・・・というような映画でございます。


 このように内容を要約してみるとわかりますが,これは2時間半に納めること自体が不可能な内容なんですね。本来,前後編2つに分けるべきで,前編ではウォッチメンの誕生と活躍を,そして後編では核戦争の危機とウォッチメンたちに忍び寄る暗殺者たち,という感じにすべきだったような気がします。もちろん,アメリカ人の誰もが原作マンガを読んでいて,ウォッチメンと聞けば,ああ,あれね,とほとんどの人が知っているのかもしれませんが,そうでない観客にとっては,「だからウォッチメンって何なんだよ」というあたりでつっかえてしまうのです。

 ちなみに,これだけの内容を2時間40分に押し込めるため,セリフによる状況説明では足りず,映画では新聞の見出しとかテレビのニュースのアナウンスとか,ありとあらゆる手段を使って状況を説明しようとしています。様々な工夫を凝らしているのはわかりますが,予備知識のない観客にとってはやはりそれだけでは理解の助けにならないようです。

 そして,核戦争の回避の部分と,ウォッチメン暗殺の謎の部分が最後の最後まで結びつかないため,この映画は結局,どこに向かおうとしているのかが映画を見ているだけでは最後までわかりません。核戦争を阻止するために超能力を使おうという○○さんの意図は理解できますが,そのためにウォッチメンを殺す必要があったのかと考えると,必然性は希薄という感じです。もしも本当にこの計画を実現するんだったら,もっとシンプルで効果的な方法があるし,殺す必要もありません。このあたりは,ストーリー捻り過ぎ,という感じです。


 それと,映画を最後まで見てわからなかったのは,そもそもウォッチメンって何なの,という部分です。Dr.マンハッタンが超能力を持った経過は説明されていますが,その他のウォッチメンたちは「ちょっと強すぎる普通の人間」なのか,「何かの原因で人間を限界を越える能力を持ってしまった超人」なのか,全くわからないのです。映画を見る限りでは,紅一点のシルクとパチモン・バットマンのナイトオウル,そしてコメディアンは後者のように見えるし,弾丸も掴めるオジマンディアスは前者のように見えます。つまり,同じウォッチメンと言っても能力差がありすぎます。そしてそもそも,ウォッチメンは志願兵なのか,選抜チームなのかも不明。

 また,シルクは母娘二代にわたるウォッチメンですが,二人とも,ウォッチメン同士の恋の駆け引きに絡んでいるというのも,何だかなぁ・・・。超人たちも社内恋愛(?)で済ませているんだな,ってなんだか笑っちゃいます。

 おまけに,Dr.マンハッタンは「人間の感情をなくし,宇宙規模の意識を持っている」はずなのに,シルク@娘と同棲してるし,シルク@娘に振られて傷心旅行で火星にワープしちゃうし,彼の性格設定と行動の間にギャップあり過ぎです。


 ちなみに,若い頃のシルク@母が若い頃のコメディアンに襲われてあわやレイプ,というシーンがありますが,ここは一人二役でなく,別の若い女優をたてるべきですね。でないと,なぜ若き日のコメディアンがちょいデブおばちゃんを襲うのか理解に苦しみます。もしかしたらコメディアンって,「熟女ラブ」なんでしょうか。

 そういえば,シルク娘がナイトオウルに迫るシーンで,ナイトオウル君が「ごめん。ちょっとダメなんだ」とEDダメポちゃんになっちゃうシーンがあります。その後,二人は超人コスチュームを着てビル火災現場に取り残された人たちを助けるんですが,お互いのコスチュームに興奮したのか,その後,しっかりとエッチします。ナイトオウル君,そっちの方の風俗プレイがお好きだったようです。


 説明不足と言えば,古代エジプト文明大好きのオジマンディアスも,なぜエジプトなのか理由がわかりません。彼の超能力は古代エジプトと何か関係でもあるんでしょうか。いきなり南極に移動して,内部を古代エジプト風に装飾しても見ている方は訳が分かりません。いずれにしても,この映画だけではエジプトを持ち出す必然性は皆無です。多分,原作のマンガではきちんと説明されているんでしょうが・・・。

 ちなみに,この映画のメインテーマは「アメリカの正義は世界の正義なのか? アメリカは世界の警察を自認しているが,それは正しい考えなのか?」と言うことのようです。それを最もよく表しているのは,「ウォッチメンを監視する奴はいないのか?」というプラカードの文字です。「ウォッチメン=アメリカ」であることは言わずもがなでしょう。もちろん,アメリカ人以外は皆,「アメリカの正義を押しつけられても困るんだよね」と思っているわけですが,ようやくアメリカ人もそれに気がついたようです。

 そんなわけで,この映画は原作マンガとペアでないと理解できません。原作があって初めて成立する映画です。逆に言えば,映画単独では作品として完成していないと言えます。従って,原作をよく知っている人にとっては「あの作品の世界を見事に再現した大傑作」という評価になるでしょうし,原作を知らないその他の観客にとっては「何がなんだかよくわからない映画。面白くない訳じゃないんだけど,面白いわけでもない」という評価になるはずです。


 ちなみに,現実の世界で1985年当時のアメリカ大統領はロナルド・レーガンでした(この映画の中では,「レーガンみたいなハリウッド俳優が大統領になることなんてありえないよ」というセリフがあります)。ニクソンが大統領だったのは1969年から1974年までで,ご存じのようにウォーターゲート事件で失脚しています。仮に,ベトナム戦争で勝利して3期連続大統領をしたとしても,1981年には任期が切れるはずですから,この映画のように1985年に大統領というのはあり得ないことになります。それなのになぜニクソンなのか,という疑問が生じますが,やはり,アメリカ史上もっとも不人気の大統領の一人であり,核戦争のボタンを押す愚かな大統領候補ナンバーワンと見なされているからかもしれません。

 この映画で「米ソの全面核戦争が起こる」ことになっている1985年ですが,現実にはそういう状況ではなかったようです。この年,ソビエト連邦共産党書記長に就任したのはミハイル・ゴルバチョフで,彼はペレストロイカ(=改革)と新思考外交を掲げて国内体制の自由化と軍縮を提案し,冷戦の終結に向けてソ連は大きく舵を切ります。そして1987年には中距離核戦力全廃条約(INF)をアメリカと調印します。その結果,米ソ冷戦の代理戦争と言われたアンゴラ内戦,チャド内戦,カンボジア内戦は1988年に相次いで終結しています。そして,1989年に東ヨーロッパ諸国の共産党政権は相次いで崩壊し,ついに11月にベルリンの壁が崩壊し,12月にゴルバチョフとパパ・ブッシュがマルタ島で会談し,冷戦の終結が宣言されます。つまり,この映画の舞台となった1985年は,現実には米ソの核軍縮が始まり,冷戦が終結する端緒となった年と言えます。その意味で,この映画がなぜ1985年を舞台に選んだのか,理解に苦しむところです。

 ちなみに,この年の日本の状況を調べてみると,内閣総理大臣は中曽根康弘,3月には青函トンネルが貫通,東北新幹線が上野まで全線開通(それまでは埼玉県の大宮まで),8月には日本航空機が群馬県御巣鷹山に墜落して520人が犠牲になり,かたや,スーファミの「スーパーマリオブラザーズ」が発売されています。

(2011/02/18)

Top Page