《パッセンジャーズ》★★(2008年,アメリカ)


 映画のレビューを書くのが最高度に難しい作品だ。ストーリーも結末も単純明快なのに,ネタバレせずに映画の内容を伝えることは多分,不可能だと思う。

 それと,仕掛けの大きさに比べて最後の最後に明かされる真相が,「何だ,それなの」系という感じなのだ(あくまでも私の感想だけど)。途中までは「巨大な事故とそれの背後に隠された陰謀」的な本格派サスペンス映画なのに,最後に明かされる真相は究めてパーソナルでこじんまりしたものなのだ。つまり,「発端は個人的な事件だったのに,真相を探っていくうちに巨大な闇にぶつかり」という映画ではなく,「発端は大事件だったのに,真相を探っていったら個人の問題だった」というのがこの映画なのだ。

 何の予備知識もなしにこの映画を見始めると,航空機事故の真相を闇に葬り去ろうとする大会社と,生存者へのインタビューを通じて矛盾点を暴き出していく若く美しいセラピスト,という映画に思えるのだが,途中から「なんか変だな」という感が強くなっていくのだ。セラピストは当初,事件の真相に迫ろうとしているのだが,途中か変な方向に行ってしまい,真相調査を全くしないからだ。95分強の映画なのに,70分を過ぎても謎解きの方向に向かわないのだ。

 この時点で,よほど勘が悪くなければ「この映画はサスペンス映画じゃなかったのか」と気がつくはずだ。ここまで話を広げておいて残り20分ちょっとで謎解きをするとしたら,宇宙人系かタイムトラベルものかスピリチュアル系,あるいは夢落ちしか残っていないはずだ。案の定,真相はこのうちの一つである。

 そして,この映画の全体像がわかってしまうと,映画前半の「飛行機事故の真相を探るサスペンス映画」という方向性は,単にセラピストが主人公だったからだったことがわかる。ということは,主人公が画家であれば前半は美術ミステリーで後半はスピリチュアル,主人公が税理士だったら前半は企業ミステリーで後半はスピリチュアルとなったわけだ。ううむ,なんだか変だな。これだったら,「助かった5人」のそれぞれの視点からのバラバラの物語として始め,後半に一気に謎解きにした方がもっとよかったんじゃないだろうか。私が脚本家だったら絶対にそうするけどな。


 カリフォルニア沿岸で旅客機事故が起き,乗客の大半が死亡するという事件が起こる。生存者はわずかに5人。そこで精神的ショックを受けた5人の治療のためにセラピストのクレア(アン・ハサウェイ)が呼ばれる。彼女は事件や事故でPTSDとなった人の治療に当たる専門家だった。

 ショックで呆然としている生存者の中で一人,なぜかエリック(パトリック・ウィルソン)は機嫌がよく,むしろハイな状態になっている。クレアはそれが余りに強い精神的ショックを受けたためと考える。クレアは5人を集めて集団セラピーを行おうとしたが,なぜかエリックは拒否し,自宅に来てほしいという。

 航空会社は「事件ではなく,パイロットの過労による過失が原因」と発表したが,クレアの前で,ある生存者は「大きな爆発があった」と言い,別の生存者は「爆発はなかったが,その前に乗客は皆,不安気だった」と話し,記憶が一致しない。そこでクレアは航空会社が何かを隠していると直感する。

 一方,エリック宅を訪れたクレアは次第に彼と親しくなり,ついにベッドを共にしてしまう。しかしその頃から,集団セラピーに参加する生存者が一人,また一人と少なくなり,同時に,航空会社の重役(?)が生存者やクレアの周りにつきまとうようになり,不安が募っていく。そして,クレアはついに驚愕の事実を知り・・・という映画である。


 このような映画だが,問題は最後の「驚愕の事実」をどう捉えるかによって評価が変わってくると思う。ミステリー・サスペンス映画だと思うと「謎解きを放棄してあっちの世界に逃げた作品」ということになるし,「この世とあの世をつなぐ霊的存在って素敵!」系の観客にはものすごい感動作だろう。つまり,予備知識としてどっちの方向に行く映画なのかを予め知っているかどうかが,評価の分かれ道となる。

 確かに,謎解き推理系映画と思ってみていると,「何だか変な感じ」は最初から漂っているのである。セラピストのクレアが,生存者たちの治療の経過で航空機事故に何かの背後があったのではないかと感じ取るのはいいとして,普通ならここで警察とかマスコミなどに話を持っていくはずだからだ。しかも,事件(?)が大きい割には真相究明に動いているのは彼女一人なのである。これは誰でもまず違和感を感じると思う。

 そして,最初から変な登場人物が不気味な行動をするのも変だ。その代表格がクレアの隣人という初老の女性だ。それまで交流がなかったのに,いきなり親切になったようだし,クレアしか知らない秘密まで知っているのである。怪しいと言えばエリックは初めから怪しさ一杯で,初対面のクレアをいきなり口説いたり,クレアの個人的秘密まで知っていたりするのだ。

 おかしいと言えば,事故直後に生存者が運び込まれた病院に,いきなりセラピストが呼ばれるというのも変だ。百人以上が死亡し,生存者がわずかに5名といったら,生存者といっても生きているのが不思議なほどの重傷患者ばかりのはずだ。それなのに,5人の元気なこと,元気なこと。結末を知ってしまうと,この冒頭部分からすでにオカルト系かSF系に行きそうな雰囲気があったことがわかるが,それはあくまでも映画の結末を知ったから言えることであり,普通は気がつかないと思う。


 そして,上記の「不思議で不気味な行動を登場人物」の行動や言動は,映画が終わってみれば納得行くものだが,それらはどれも,最後のスピリチュアル系の結末を予想させるものではないのだ。その意味では,謎解きには全く役立たない伏線である。同様に,「もしかしたら○○の方向で解決する気かな?」と観客が予想することも難しい。だから,この解決はいわば「後出しジャンケン」である。私はこういうだまし討ちみたいな解決は嫌いだ。

 というか,そもそもなぜ,乗客のうち5人(6人?)が「生き残った」のだろうか。このあたりは最後まで説明がなかったと思う。この映画の世界観からいえば,事故で犠牲になった100人全てに同じ「出来事」が起きているはずだし,あえて5人だけ別,というのはおかしいし,整合性に欠ける。まぁ,生存者と犠牲者の狭間を漂っていたのかもしれないが,これはこの作品の核心部分に関わることなので,なぜ5人だけが,という説明はすべきだろう。


 というわけで,「サスペンス映画ならきちんと謎を解決しろよ」系の人は見ちゃダメ映画,「スピリチュアルってなんて素晴らしいんでしょう/あの世に旅立つってこういう事だったのね,素敵!」系の人にのみオススメできる映画でした。
 というわけで,こういう「オイオイ系/後出しジャンケン系」映画が大嫌いな私としては評価は低くしました。

(2011/03/0)

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