新しい創傷治療:変態村

《変態村 "Calvaire"(2004年,フランス/ベルギー/ルクセンブルグ)


 私は自分でいうのもなんだか,映画に関してはかなりストライクゾーンが広い方だと思う。どんなクズ映画,どんなアホ映画でも最後まで観て,クズはクズなりに,アホはアホなりに2,000字とか3,000字のレビューを書くようにしている。外角高めにすっぽ抜ける球だろうが,手前でワンバウンドしている球だろうが,とりあえずは「当てにいく」ようにしている。

 だが,この映画はさすがにちょっと無理っぽい。私のサッカーのゴールのように広いストライクゾーンをかすめようともしないのである。キャッチャーに向かって投げたはずなのに,なぜか3塁側ベンチにまっしぐら,というボール球なのである。

 フランス映画には時々,理解を拒絶しているような映画とか,《カノン》のように観客をわざと不愉快にさせるように作っている映画があるが,これは多分,その最たるものじゃないだろうか。とにかく,まともな登場人物が主人公一人しかいないのである。あとは皆,揃いも揃って「基地外」なのである。こいつらの行動をどうやって理解しろっていうんだよ。

 ちなみに原題のCalvaireとはフランス語で「受難」,つまりキリスト様が受けた数々の苦難と迫害を示す言葉とのことだが(DVDジャケットも十字架そのものである),こういう「基地外」設定をして「受難」を描こうというおフランス人の脳みそ,私には理解できないっすよ。


 主人公のマルク(ローラン・リュカ)は地方を巡業するシャンソン歌手である。彼はワゴン車でフランス南部に行こうとしたが,途中で車が故障してしまう。そこで逃げた犬を探している青年ボリスに出会い,彼の案内で宿屋にたどり着く。

 宿屋の主人バルテルは村の修理工場に連絡を取ってくれるが,今日は遠くに仕事に行っていて修理は明日になってしまうと説明する。そしてバルテルは自分もかつてはステージに上がっていた芸人で,妻はマルク同様歌手だったが自分を裏切って家を飛び出したと明かす。そして,同じ芸人仲間なんだから自分のために何か一曲歌って欲しいとせがみ,マルクは一曲歌う。

 しかし翌日,修理工は来ず,電話線は切られて外部に連絡すらできなくなる。バルテルはマルクの車を壊して燃やし,マルクを車のバッテリーで殴り倒す。気がついたマルクは女性の服を着せられて縛られていた。

 バルテルはマルクが自分を裏切って出奔した妻だと信じ,今度こそ彼女を手元から逃がすものかと考えたのだ。そして,村の男達が彼女の美しさに心惹かれないようにと,マルクの髪の毛を刈って坊主刈りにする。

 マルクは何とかしてバルテルのもとから逃げ出すが,森で動物狩猟用の罠に足を挟まれて動けなくなる。翌朝,マルクを見つけたのは,まだ犬を探しているボリスで,彼はマルクをバルテルの家に連れていく。バルテルはマルクを十字架に縛り付け,両手に釘を打たれ,自由を奪われる。

 そしてバルテルは村の酒場に行き,男達に「妻に手を出すな」と宣言するが,これが村の男達の欲情に火をつける。その夜,バルテルの家では犬(・・・と言っているが子牛である)が見つかってご機嫌のボリスとバルテルがマルクを囲んで楽しい食事をしていたが,そこを男達が襲撃する。銃撃戦の末,捕まったマルクは男達に強姦される。

 何とか隙を見てマルクは逃げ出すが,今度は銃を持った村人たちが彼を追いかけてくる。しかし,マルクが底なし沼が口を開けている沼地に逃げ込んだことから追っ手は次第に減っていくが,一人が執念深く追いかけてくる。そしてその追っ手が底なし沼にはまり込んでしまい,動けなくなる。そして,バルテルの妻の名前を呼び,「お願いだ。俺を愛していたと言ってくれ」とせがむ。そして,もう少しで全身飲み込まれようとしている男の前でマルクは「愛していた」と言う・・・というような映画だ。


 えーと,映画の内容をかなり正確に再現したつもりだが,訳が分かんないと思う。ストーリーを書いている私にも訳が分からない。

 犬を探しているボリスは最初から〇〇な人だな,とわかる。しかし,彼は「犬のベラ」を探しているはずなのに,そのベラは「牛」なのである。なぜ牛が犬?

 最初の頃,まだまともな行動をしていたバルテルの前でマルクが歌った歌は,もしかしたら出奔した彼の妻の持ち歌だったかもしれない。それで思わず,「この青年は妻ではないか」と錯覚したのも百歩譲って理解してあげようと思う。
 しかし,殴り倒して気絶したマルクを裸にした時点で,「こいつは男だ」って気がつかないってのは何なの? もしかしたら,その逃げ出した「妻」ってのは男だったとでもいうんだろうか? そしてバルテルは実は男しか見たことがなかった,というオチでもあるのかと思ったが,それもなし。

 おまけに,村の男達までマルクを見て「女だ,女だ」と騒ぎ出し,彼を強姦しちゃうんだから,もうガイキチにもほどがあるというか,お前ら,男と女の体の区別もつかない馬鹿か? わたしゃ,訳がわからんぜよ。

 「何の罪もない一人の青年が,男女の区別もつかない上に性欲だらけのガイキチしか住んでいない村に迷い込み,主イエスが受けたような辱めを受ける物語なんですよ」ということなのかもしれないが,この映画の「男女の区別もつかない男ばかりの村」という初期設定自体が理解不能なんだよなぁ。


 なにより駄目なのが,マルクがバルテルに拉致監禁されるに至る描写である。例えば,マルクがバルテルに最初に殴り倒されるシーンはどう考えてもおかしい。ここは,バルテルがツルハシみたいなので車をボコボコに壊し,それを見たマルクが,「何をするんですか?」と近寄り,バルテルが手にした車のバッテリーでなぐりかかる,というシーンなのだが,普通,自分の愛車をツルハシでぶっ壊している奴を見たら,「何をするんですか?」って大人しく近づくか? 普通なら,有無をいわさず後ろから蹴り倒すか殴り倒すはずだ。
 ましてやマルクは青年,バルテルは老人である。一対一の喧嘩になったらいくら細身のマルクでも老人の一人や二人は倒せるはずだ。それなのに,「何をするんですか?」って相手に質問するか? マルク,君は馬鹿か天然記念物級のお人好し鈍感人間か? 右の頬を打たれたら左の頬どころかケツを差出して犯してくださいと頼むつもりか?

 しかもこのシーン,バルテルとマルクは向かい合っていて,バルテルはマルクの後ろから殴りかかっているわけではないのだ。真正面から殴ったら顔がグチャグチャになるだけで,この映画のように「殴り倒されて意識を失う」とはならないはずだ。

 その後もマルクは逃げ出そうとすればいくらでも逃げられたし,バルテルに反撃できるはずだ。例えば,頭を丸坊主にするシーンでも,椅子に縛り付けているロープは細くユルユルに縛っているだけだから,暴れたらすぐに逃げ出せそうだ。途中のトラクター(?)に乗せられるシーンにしたって,バルテルは隙だらけの様子だから,反撃しようとしたら楽勝のはずだ。それなのに,マルクはなすがままでお行儀よくおとなしくしている。ガンジーさんの生まれ変わりの無抵抗主義者かもしれないが,バルテル相手に無抵抗主義を発揮してどうする? 無抵抗主義をするなら政府とか独裁政府とか,そっちの方で頑張ってくれ。

 要するに,なぜマルクがバルテルに捕らえられ,なぜ逃げられない状況に置かれたのか,という説明がまるで駄目,まるでリアリティがないのである。もちろん,映画監督は実は,「全部ファンタジーなんですよ。こんな村が本当にあるわけないじゃないですか。本気にしちゃ駄目ですって」というスタンスなんだよ,というのはありだと思うが,それだったら「受難」なんてタイトルを付けるな,と言いたい。


 この映画はどうみてもキリストの受難と,最後のシーンの「愛していた」という言葉に象徴されるキリストの愛を描こうとしたものと思われるが,それだったらなぜこんな,無茶苦茶な設定にしたんだろうか。キリスト様の受難を描くには,「男と女の違いもわからない,犬と牛の違いもわからないお馬鹿さんしかいない村」を舞台として想定し,そこに罪の無い青年がたまたま迷い込むという条件設定が必要だと考えたのかもしれないが,ここまで異常な状況にしなければ「キリストの受難」は描写できず,観客も「キリストの受難」が理解できないとでも考えているんだろうか。

 多分,この映画を作った監督はそう考えたのだろう。恐らく,彼の頭の中では「キリストの受難」=「マルクの災難」であり,全く同一のものなのだろう。だが,大半の観客にとっては,「マルクの災難」は「キリストの受難」とは全く別物であり,「マルクの災難」を見て「キリストの受難」を想起する観客ってフランスにはいるんだろうか?

(2011/04/19)

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