新しい創傷治療:ザ・ムーン

《ザ・ムーン "In the Shadow of the Moon"★★★★(2007年,イギリス)


 あのアメリカの月着陸計画「アポロ計画」の映像とそのミッションに参加した宇宙飛行士たちの回想をまとめて作られたドキュメンタリー映画。月から見た地球の映像は息を飲むほど美しいし,実際に月に着陸した男たちの言葉はどれも重く,そして深い。その意味では一見の価値はある。


 第二次大戦後,世界は資本主義と社会主義の二つの陣営に分かれた。一方の盟主がアメリカ,他方のトップがソビエト連邦(ソ連)であり,両国は実際の戦闘行為こそしなかったが,様々な場面で対立し,時には一触即発の危険な場面になることもあった。そして,宇宙開発は米ソ両国にとって互いの国力と科学技術を誇示する最高の場となった。

 そこで最初に優位に立ったのはソ連である。ソ連のボストーク1号に乗り込んだガガーリンは1961年4月,史上初の有人宇宙飛行を見事に成功させたのだ。ここでソ連は高い技術力を世界に見せつけ,アメリカ政府とアメリカ国民は宇宙開発においてソ連の後塵を拝している事実に愕然とする。

 それに危機を抱いたアメリカは1964年,ソ連を一気に抜き去るとんでもない計画をぶちあげた。「1960年代のうちにアメリカは月に人間を送る」というアポロ計画である。1964年といえばアメリカの最初の有人宇宙ロケットの打ち上げ成功からまだ10年も経っていない時期である。それから6年以内に月に人を送ろうというのだから,世界は唖然とした。それなのに,ケネディ大統領は10年以内に人間を月に着陸させ,安全に帰還させるという演説をしたのだ。当のNASAですらその実現性に疑問をもつほどの巨大かつ困難なプロジェクトだった。

 しかし,1966年2月の無人ロケット(非公式にアポロ1Aと呼ばれている)の発射実験に始まり,1968年10月のアポロ7号での地球周回成功,同年12月のアポロ8号による月周回飛行成功(この時,人類は初めて球体としての地球を自分の目で確認することができた),そして1969年7月のアポロ11号でついに人類は月面に降り立ち,以後,1972年までアメリカは9機のアポロを月に送り込み,合計12人が月面に足跡を残した。この映画はそんなアポロ計画の栄光の歴史を振り返る感動の記録である。


 このような映画なのだが,映画として面白いかと問われるとちょっと微妙である。映像と飛行士たちの回想の言葉だけでは説明不足の部分があり,アポロ計画と当時のアメリカの状況についての知識がないと完全に理解できないと思われるからだ。私は1969年当時12歳で,アポロ11号の月着陸のシーンをテレビでリアルタイムに見ている。それこそ,世界中があの瞬間,固唾を飲んでテレビを食い入るように見ていたはずだ。そういう人間にとっては,この映画は見ただけで胸が一杯になり,感動に打ち震えるはずだ。

 だが,現在の20代,30代の人にとってはどうなんだろうか。何しろ,最後の月面着陸からもうすでに40年も経っているのである。この40年で科学技術は驚くほど進歩したのに,あれから人類は月に行っていないのである。もちろん,科学技術の目標が月からそれ以外に変わっただけなのだが,それまで何とか行けていた月に行かなくなったというのは,一種の退歩であり,科学の歴史の中では他に類例をみない異常事態だと思う。だから,今の20代の人たちに「1969年に人類は月に降り立ったんだよ」といっても,リアル感がないだろうし,下手をすれば「それって本当なの? 21世紀でも月に行っていないのに,なぜ40年以上前に行けるわけ?」と疑問を持つはずだ。


 以下,1969年という時代を個人的に回想してみる。

 アポロ11号の頃,12歳だった私はそれを秋田の片田舎でテレビで見ていたわけだが,月着陸の映像を見てどう思っていたのだろうか。恐らく,自分が暮らしている日本と比べてあまりの違いに,「アメリカってやはり別世界なんだなぁ。アメリカって夢のような国なんだなぁ」と感じるのが精一杯だったと思う。何しろ当時の秋田県には,「海外旅行」という言葉自体が存在しなかったのだから,アメリカも月も「行けない」という点では同じだったのだ。

 私は東京オリンピックを自宅のテレビで見た記憶があるから,多分それに併せて買ったのだろう。アポロ11号着陸を見ていたテレビは白黒だった。あのころ自宅にあった電化製品といえば,冷蔵庫,洗濯機,電気釜くらいじゃなかったろうか。


 映画の中では「コンピュータのデータでは・・・」というシーンがあったが,あの頃のコンピュータってどういうものだったのだろうか。当時のコンピュータ関係の資料を調べてみると,LSI(大規模集積回路)が試作されたのは1968年である。最初のノイマン型コンピュータが作られたのは1950年前後のことで,この頃はまだ真空管が使われていたが,その後,回路を半導体で製造する技術が開発されて多数の素子を一つにまとめた集積回路が作られ(1958年),その後,集積度を高めて回路基盤を小さくしたLSIとなったが,商品化は1970年代中盤である。つまり,アポロに搭載していたコンピュータはLSI登場以前の演算能力,処理能力のものか,あるいは試作品レベルのLSIしか搭載していなかったはずだ。よくこんなもので月まで行けたなぁと感心するしかない。

 ちなみに当時はまだ「コンピュータ」という用語はなく,「電子頭脳,人工頭脳」と呼んでいた(1964年放送開始したアニメ「エイトマン」は最先端の電子頭脳を持っていた,という設定でしたね)。また,アラン・ケイが「ダイナブック思想」を発表したのも1968年である。当時は夢のまた夢,という感じだったと思う。


 ちなみに1969年というのはどういう年かというと,1月に東京大学で安田講堂事件が起きている。大学紛争,学生紛争が下り坂に向かう分水嶺となった年だった(と思う)。この年,NHK-FMが開局し,各地に続々と地方テレビ局が開業し,「水戸黄門」と「サザエさん」の放送が始まった。ちなみに映画でいえばこの年封切られたのが《明日に向かって撃て!》,《イージー・ライダー》である。

 まさにこういう時代をバックに,アームストロング船長は「人類にとって大きな一歩」を踏み出したのだったのだ。

(2011/05/04)

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