あのR.B.パーカーが原作を書き,エド・ハリスが監督と主演,そしてハリスの相棒にヴィゴ・モーテンセン,ヒロイン役がレニー・ゼルウィガーという豪華な顔合わせによる西部劇映画。非常に評判が高い映画だし,男臭い雰囲気に中年映画ファンは噎び泣きしたいところだが,ただ一点,ヒロインの弾くピアノが信じられないほどド下手なため,このピアノがすべてを台無しにしてしまった。感動的な男の世界を,こいつのピアノがお笑いにしてしまった。誰だ,ゼルウィガーにピアニスト役をやらせたのは!
とりあえず,あらすじを紹介。
舞台は1882年のアメリカの西部の町アパルーサ。町外れで牧場を経営しているブラッグ(ジェレミー・アイアンズ)は人手が足りないことをいいことに,他の地域で違法行為で逃げてきた男達も雇い入れている。そんなブラッグの牧場に保安官は,殺人犯を引き渡すように言うが,逆に殺されてしまい,ブラッグはやりたい放題だった。
そんなアパルーサの街にやってきたのが,無法者たちを相手に街の安全を守ることで収入を得ている二人のガンマン,ファージル・コール(エド・ハリス)とその相棒エヴェレット(ヴィゴ・モーテンセン)。やがて二人は町の保安官となり,酒場で無法行為を働いているブラッグの手下をあっという間に撃ち殺し,抗議に来たブラッグに対しても法を遵守するように命令し,次第に町は落ち着きを取り戻していく。
そんな町の駅に一人の女性アリソン(レニー・ゼルウィガー)が降り立つ。彼女は夫を亡くしたばかりだったが,ピアノが弾けるため,それで生活していくつもりだとコールに打ち明けた。娼婦か先住民の女しか相手にしかことがないコールは,気品があって美しくしかもピアノが弾けるアリソンに夢中になっていく。
そんなある日,コールとエヴェレットはついにブラッグを逮捕し,ブラッグが保安官を殺したことを証言する証人が現れたことから,裁判でブラッグに有罪が言い渡され,死刑の判決が下る。そして,刑執行のために鉄道でブラッグを近隣の市に連れていくことになり,コールとエヴェレットが護送にあたるが,ブラッグの手下たちがアリソンを誘拐し・・・・という映画である。
この映画の原作者はあのR.B.パーカーである。「私立探偵スペンサー」シリーズで有名なアメリカの作家だ。饒舌でマチョ,自分で料理も作るグルメな私立探偵というそれまでに類例のない私立探偵を中心に配し,熱い友情と信頼感で結ばれた男たちの世界を見事に描いた作家である。
この映画の原作である「アパルーサ」は2001年に書かれているが,その他にもエヴェレットを主人公に据えた西部劇小説を3編,さらに,ワイアット・アープを主人公にした小説も書いているそうだ。確かに,あの「スペンサー」の雰囲気は西部劇の世界そのものだったことに気付く。というか,西部劇の世界を現代に持ち込んだのが「スペンサー」だったといえるかもしれない。
この映画の主人公はもちろんエド・ハリス演じるコールだが,格好良さで言ったら断然モーテンセン演じるエヴェレットである。コールもとても格好いい保安官だが (特に,決闘での早撃ちのシーンはしびれるほど見事だ),エヴェレットは深い教養を持ち(コールは難しい言葉を言い間違えることが多く,そのたびにエヴェレットが訂正している),終始寡黙で無駄口をたたかず,しかしいったん銃を取ると鬼神のように強いのだ。尻軽女のアリソンが言い寄ってきてもそれを毅然とはねつけたりして格好いいのである。そして,時代が変わり,ガンマンという存在が時代遅れになり,自分の居場所がなくなっていく悲哀も見事に演じているし,最後のガンマンとして決着を付けるラストシーンも深く心に残る。まさに「漢(おとこ)」である。
そういうエヴェレットに比べると,コールはちょっと女々しい気がする。アリソン(=常に一番強い男にくっついていく尻軽女)の本性も見抜けず,彼女との結婚話で舞い上がり,アリソンに頼まれてカーテン生地を選んだりしている。まぁ要するに,「ガンマンとしては超一流だが,女性に対する免疫がないボクチャン」である。コールがアリソンに振り回される姿がリアルであるために,逆にエヴェレットの渋さが引き立つのである。
一方,映画最大の「残念賞」はレニー・ゼルウィガーだ。彼女に要求されているのは小悪魔系未亡人という役だと思うが,どうみてもアリソンは小狸系未亡人である。元々のキャスティングはダイアン・レインだったらしいが,なぜゼルウィがーにしてしまったのだろうか。
このゼルウィガーは「美人じゃないけど愛嬌がある」女優である。この顔は絶対に悪女系,小悪魔系には向かない顔なのだ。しかも,女優としては決して若くないのだ。言っちゃあ悪いが,小悪魔系でなく「ぽっちゃり小狸系おばちゃん」である。だから,途中でブラッグの手下の前で全裸で水浴びするシーン(といっても背中だけだけど)にしても,「太っちょおばちゃんの裸を見せられてもブラッグの手下さんたちもあまり嬉しくないんじゃないか?」という感じにしか見えないのである。要するに,色気がなさすぎで健全すぎのため「男を手玉に取るファム・ファタール」には絶対に見えないのだ。
そして最悪なのが,彼女がピアノを弾くシーンである。これが信じられないほど下手なのだ。いくらアメリカの西部とはいっても,この程度のピアノしか弾けない人間がピアニストとして収入を得られるとは到底考えられないのだ。
私は元々,映画の音楽シーンがよければ,つい甘い点数をつけてしまうのだが,この映画は逆である。音楽シーンがダメなために映画全体の印象が悪くなってしまった。なんで,「ヒロインはピアニスト」という原作の設定を変えなかったのだろうか? あるいは別のまともな演奏にかぶせて「口パク演奏」させるとか,いくらでも手はあったはずだ。
とりわけ悲惨だったのが,映画の中で2度演奏されるフォスターの「草競馬」だ。メロディーはかろうじて弾けているが,左手の伴奏は音を外しまくりであり,和音も弾けていない。おまけに,途中でピアノを練習するシーンでは「ハノン」の第1番を練習するのだが,はっきり言って,ピアノを初めて1年目くらいのヨタヨタぶりである。ここまでひどいピアノを映画で聞いたのは私は初めてである。要するに,空前絶後級のヨタヨタ・ピアノなのだ。
こんなアリソンちゃんなのに,ブラッグは彼女が弾く楽譜を見て「こんなにたくさんの音符が書かれているのに,弾けるなんで素晴らしい!」と褒めるのである。ここまで来ると,ほとんどギャグである。
あと,「コールは教養がないがエヴェレットは深い教養を持つ」ことを強調するため,コールは何か言おうとして言葉に詰まり,エヴェレットが正しい言葉使いを教える,というシーンが何度もあるが,これがちょっとしつこい。もちろん,教養のないコールと対比させることで「知的で深い教養を持つガンマン」という西部劇にはあまり登場しない人物像を描こうとしたのだろうが,それだったら最初の1回か2回で十分だと思う。観ている側としては,コールが言葉に詰まる度に「君は無理に難しい言葉を使わなくていいから,平易な言葉で話していいんだよ」とアドバイスしたくなってしまう。要するに,3度目以降の「口ごもりシーン」は余計だ。
というわけで,「ピアノなんて全然気にしない映画ファン」にはハリスとモーテンセンの素晴らしい演技が楽しめる名作西部劇としてイチオシである。
しかし,「ピアノが弾ける映画ファン」は絶対に観ないほうがいいと思う。超弩級の「ド下手ピアノ」がこの映画をギャグ映画にしてしまうから・・・。
(2011/07/26)
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