《ボローニャの夕暮れ "Il Papa di Giovanna"★★★★(2008年,イタリア)


 良心的に作られた佳作でとてもよい映画であることはわかっているのだが,私にはなんだかよく理解できない作品である。そして,「何がよく理解できないのか」を文章で説明するのが大変なのである。というか,うまく文章で説明できるかどうか,自信がないのである。


 舞台は第二次世界大戦前夜,1938年のボローニャ。町の高校で美術教師をしているミケーレ(シルヴィオ・オルランド)は美しい妻のデリア(フランチェスカ・ネリ),ミケーレが務めている学校に通学している一人娘のジョヴァンナ(アルバ・ロルヴァケル)の3人家族。ミケーレはいつも,17歳になるのにまだ恋愛に奥手のジョヴァンナを励ましていた。そんなある日,ミケーレは男子生徒ダマストリとジョヴァンナが楽しそうに話しているのを見る。ダマストリは成績は悪かったがイケメンで,学校中の女子生徒の人気の的だった。そして,進級すれすれの成績のダマストリに,娘と仲良くしてくれたら進級も考えよう・・・と話してしまう。

 そんなある日,学校の体育館でジョヴァンナの親友マルチェッラの刺殺死体が発見される。当初,マルチェッラの叔父がムッソリーニ支持派の上院議員だったため,政治がらみの事件とも考えられていた。一方ミケーレは,自宅で血のついたカミソリとタオルを見つけてしまうが,妻のデリアにそのことを告げても彼女は素っ気無い反応しかしない。やがて,ダマストリの証言からジョヴァンナが容疑者として逮捕されてしまう。ダマストリに愛されていると思って有頂天だったジョヴァンナが,体育館の片隅でダマストリがマルチェッラと抱き合っているところを見てしまい,逆上して刺し殺したのだった。

 ジョヴァンナが犯人であることは疑いなかったが,無二の親友でありジョヴァンナの名付け親でもある警察官セルジョの奔走もあり,弁護士は彼女が心神耗弱状態で善悪の判断がつかない状態だったと主張し,それが認められて,ジョヴァンナは精神病院に収容される。

 そんな娘にミケーレは毎日のように面会に訪れるが,なぜか母親のデリアは会おうともしない。やがて戦況の悪化とともに精神病院へのバスもなくなったため,ミケーレはデリアと別居して病院近くに移住し,一人暮らしを始めるが・・・という映画である。


 原題は"Il Papa di Giovanna",つまり《ジョヴァンナの父》である。一言で言えば,「どんなことがあっても娘を守ろうとする父親の物語」,あるいは「殺人事件を通じて家族再生の道を模索する物語」となる。

 それはそれでいいのだが,私が最後まで理解できなかったのが「母親の立ち位置」である。父親が必死で娘のために奔走しているのに,母親は最後まで娘に対して冷ややかというか,親身になっていないというか,まるで母親らしくないのである。父親のミケーレは娘ベッタリなのに,父親のデリアは病院に収容された娘に会おうともしないのだ。普通の感覚で言えば,17歳の娘って普通は「父親なんてウザい」と話もしないが,母親とはとても仲よし,となるんじゃないだろうか。どうも,こういう常識が通じない家族なのである。


 「らしくない」といえば,ミケーレとデリアも変な組み合わせの夫婦である。長身で美人で華やかなオーラを身に纏うデリアに対し,ミケーレは風采の上がらない中年小デブで御世辞にもデリアに似合う美男子ではない。ミケーレの親友のセルジョが長身の美男子なだけに,ミケーレの冴えなさがひときわ目立つのである。そして,物語が進めば進むほど「夫婦らしくない夫婦」の様子が加速していくのである。

 このあたりについて映画でミケーレは「妻のデリアは生活のために仕方なしに俺と一緒になった。だから,ことあるごとに悪い妻を演じるようになった」というように説明している。それはそれで理解できないことはないが,だからといって実の娘にもあれほど冷淡な態度を取るようになるのだろうか?


 この映画に対して私が隔靴掻痒感を拭えず,最後まで「映画との距離感」が詰められなかったのは,この映画は普通の世界を描いたものなのか,異常な世界を描こうとしたものなのか,それが最後まで掴めなかったからだ。

 映画は煎じ詰めれば「現実の世界」を描いたものか,「非現実の世界・普通でない世界」を描いたものかのいずれかだと思う。「これは非現実の世界を描いた映画だ」とわかっていればその状況に応じた楽しみ方をするし,「現実の社会を描いたものだ」とわかれば見方もそのモードに切り替えて鑑賞する。だから,ゾンビ映画もファンタジー映画も社会派サスペンス映画も,それぞれ別個に楽しむことができる。逆に言うと,映画の最初の方で「これは現実を舞台にしている映画だよ」,「こっちはあり得ない世界を舞台にしているんだよ」と明示して欲しいし,それがないと落ち着かないのである。少なくとも私はそうだ。

 そういう目でこの映画は現実世界の映画なのか,非現実世界の映画なのかがわからないのだ。ミケーレは「現実の人物」だが,デリアは「現実社会の人間に思えない」のだ。つまり,この映画を作った監督は,ミケーレとデリアを「第二次大戦中のイタリアの平凡の夫婦」として描こうとしたのか,それとも「普通ではない異常な関係の夫婦」として描こうとしたのか,あるいは「普通にそこらにいる母娘」なのか「異常な犯罪を犯した精神のおかしな娘とその原因になった異常な母親」を主題にしたかったのか,最後までわからないのだ。だから,「映画との距離感」を詰められなかったのだ。


 こういう映画を観ると,感性というか世界観が合わない映画は一生懸命観ても理解できないものだなぁ,と嘆息するしかない。決して悪い映画ではなく,それどころか感動的なシーン満載の作品だと思う。そういうところに素直に感動し,レビューを書いてもよかったかな,という気もするが,こればかりはしょうがないのである。

(2011/08/12)

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