《ニキフォル 知られざる天才画家の肖像》★★★★(2004年,ポーランド)


 現代ポーランドを代表する天才画家ニキフォル(1885〜1968)と,彼の最晩年の生活を支えた一人の男の姿を静謐なタッチで描いた感動作。ニキフォルには言語障害があり,文字の読み書きもできなかったが,1日に3点の絵を描くという多作家であり一生のうちに4万点の作品残している。彼は特に古い町並みの残る南ポーランドの風景を愛し,教会やイコン(聖人像)を多数描いたことから「アール・ブリュットの聖人」と呼ばれることもあり,彼の作品は死後,どんどん値段が釣り上がっているそうだ。

 この映画はそういうニキフォルの姿を描いた作品だが,全く予備知識なしに観ると多分,全く面白くないというか,何を描こうとした映画なのかが掴みにくいのである。恐らくそれは,作り手側のニキフォルに対する意識と,観客側のニキフォルに対する知識の間に大きなギャップがあるためだと思う。この点については,後ほど説明しようと思う。


 舞台は1960年のポーランド南部の保養地クリニツァ。この地の役所の美術管理部にマリアン・ヴォシンスキ(ロマン・ガナルチック)が勤めていた。自身も画家であるマリアンは事務所の一角に自分のアトリエを持っていた。そんなある日,彼のアトリエに小さなバッグを持った小柄な老人ニキフォル(クリスティーナ・フェルドマン)が勝手に入り込んできて彼の席に居座り,いきなり絵を描き始めてしまった。ニキフォルは観光客相手に自作の拙い絵を売って生活する放浪の変人としてクリニツァで知られていた変人だった。自分のアトリエを占領されて困り果てたマリアンは,仕方なしにニキフォルを自宅に連れて戻り,一室を与えてそこで絵を描かせることにした。マリアンの妻(ルチアナ・マレク)も,短い間だけならと了承する。

 マリアンの上司は最初いい顔をしなかったが,新聞でニキフォルが「クロニツァの放浪画家」として取り上げられたことから,ニキフォルを優遇して売れる絵を描くように世話をしろとマリアンに命じた。マリアンはニキフォルに常に付き添い,彼の創作活動に便宜を図るが,次第に家庭を蔑ろにしていくマリアンに妻は次第に不満を募らせていく。

 そんなある日,いつも咳をしているニキフォルが肺結核の末期であることがわかる。マリアンの上司はニキフォルを役所から叩き出せとマリアンに命じ,マリアンの妻も結核が子供たちに感染することを恐れて,すぐに家を出ていって欲しいと夫に迫る。しかし,あくまでもニキフォルを守ろうとするマリアンに,妻は子供を連れて家を出,実家に戻ってしまう。

 マリアンはいやがるニキフォルを連れ出してサナトリウムに入院させる。1967年,一人クリニツァに残ったマリアンは一時退院したニキフォルの世話をし,ニキフォルは絵を描き続けていく。その頃,ニキフォルの作品を集めた展覧会がワルシャワで開催され,彼は現代ポーランドを代表する画家として人口に膾炙し始めるが,それはニキフォルにとっては無関係のものだった。

 しかし,ニキフォルの肺結核はどんどん進行し・・・という映画である。


 生前のニキフォルの写真とこの映画のニキフォルを見比べるとまさにうり二つ,生き写しである。ところがなんとニキフォルを演じているのは男性でなく女優のクリスティーナ・フェルドマンなのである。この女優さんはポーランドの名優であり,この映画の撮影時は84歳頃だったと思うが,歩き方とか身のこなしとか,どうみても高齢男性そのものなのである。とんでもない演技力である。この映画の数年後,彼女は惜しくも鬼籍に入ったが,まさに渾身の名演技である。


 そういう変人ニキフォルの最後の7年間を支えたのが,自身も画家であるマリアンだ。恐らく彼は,その小汚い老人がチャチャっと描く絵を見て,自分にない真の才能を持つ天才が眼前に現れたことを知ったのだろう。何しろこの老人は1日に3枚,来る日も来る日も描くのだが,そのどれもがすごいのだ。しかし一方,この老人は物乞い同然の生活をしている。そしてマリアンはニキフォルを支えることでニキフォルの創作活動を助けていくことを決意する。そういうマリアンの献身的な姿が感動的だ。やがてマリアンの家庭は崩壊することになるが,それほどの魅力・魔力がニキフォルの絵にあったということだろう。

 先に「この映画は予備知識なしに観るのは辛い」というようなことを書いた。つまり,「ニキフォルとはどういう画家であり,どういう作品を書いた人なのか」という知識なしに観始めると,マリアンが家庭を壊してまでニキフォルに入れ込む理由が全く理解できないからだ。なぜ理解できないかというと,ニキフォルの作品が映画の中になかなか登場せず,エンドロールでようやくスライドショーで初めてニキフォルの作品を目にできるからだ。

 これがラファエロとかゴッホとかピカソであればその絵は誰でも知っているから,たとえ映画の中に彼らの絵が出てこなくてもいいのだが,ニキフォルはそういう画家ではないのだ。であれば,映画の最初の方で彼の作風を誰にでもわかる形で紹介する必要があったと思う。このあたりはニキフォルに対する作り手側の認識と,観客側の認識にギャップがあるのではないだろうか。


 では,肝心のニキフォルの絵画であるが,「おお,すごい絵だ! まさに20世紀を代表する大芸術家だ!」と感激するかというと,ちょっと微妙なのである。手早く描いた建物のスケッチに独特の色彩感で彩色した作品が多いようだ。個性とか画家本人の意図とか思想とか,そういうものが一切感じられない素朴な絵である。安かったら数枚買って部屋に飾るのも悪くないな,という絵である。

 しかし,どんなに高値でも購入するかと言われたら私は絶対に買わないだろう(・・・そもそもお金がないし・・・)。素朴できれいな絵で自宅の部屋に飾るなら素敵だなと思うが,オークションで高額で競り落としてまで手に入れたいような絵ではないからだ。もちろんこのあたりは個人の美意識と審美眼の問題であり,巨額の富を投じてもニキフォルを手に入れたい人が世の中に沢山いるから彼の絵は高値で取り引きされているわけであり,私の審美眼が世の中の基準から外れているのだろう。


 彼は一生の間に4万点の作品を書いたという。83年の生涯のうち創作年月が70年だとしても1年間に600作であり,映画の中の「1日に3点も描く」というという説明は誇張でも何でもないことがわかる。恐るべき速書きである。速書きであると言うこと自体が彼の作風を物語っているかもしれない。

(2011/09/02)

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