映画にしろ小説にしろ,煎じ詰めると「人間の善意を描こうしている」か「悪意を描こうとしているか」のどちらかではないかと思います。ハネケ監督のように徹底的に人間の嫌な部分,悪意の部分を描くタイプの人もいますが,歳を取ってくるとそういう「悪意タイプ」の作品は見ていて疲れてくるんですね。現実の社会で人間の嫌な部分ってどうしても見なければいけないし,そういう悪意に出会って神経をすり減らしたりするわけですよ。なんで映画の世界でもそういう嫌な部分に付き合わされるんだろう・・・なんて思ってしまうのです。
そういう意味で,この映画は「謎のウイルス感染で人類が滅亡しようとしている世界では,悪意のある人間,他人を利用して自分だけ助かろうとする人間しか生き残れない」とという「悪意を根底においた」作品です。もちろん,そういう極限状態になったら「他人のことなんかかまってられるか! 他の全部殺しても俺は生き延びてやるんだ!」というタイプが最後まで生き残るんだろうな,とは思いますけど,でもそんなことはいまさら言われなくてもわかっていることです。
同じ設定でも「善意を根底にした映画」なら,絶望的な状況でも一抹の希望を持たせて終わるんですが,この映画は見ている人を徹底的に落ち込んだ気分のままほうり投げちゃいます。もちろん,こういうエンディングもありですし,こういう終わり方が好きな人も多いかもしれませんが,年齢的にこういう映画はちょっと辛いです。
映画の舞台は近未来のアメリカ。そこでは血液感染どころか空気感染の恐れのある致死率100%のウイルスが蔓延しています。もちろん,治療法はありません。そんな世界を一台の車が疾走する。乗っているのはブライアン(クリス・パイン)とダニー(ルー・テイラー・プッチ)の兄弟と,兄の恋人のボビー(パイパー・ペラーボ),そしてダニーの大学の同級生らしいケイト(エミリー・ヴァンキャンプ)の4人。兄弟は幼い頃に遊んだ記憶のあるメキシコ湾のビーチを目指している。そこに希望があるわけではないが,ビーチのコテージに立てこもって外の世界でウイルスが死滅するのを待つつもりらしい。粗暴でお調子者の兄ブライアンは4人が生き延びるためのルール(感染者に触るな,感染者が触れたものはすぐに消毒しろ,とか)を決め,それで何とか生き延びてきた。
だが,4人が乗っていた車が故障して走れなくなってしまう。そこで,ウイルスに感染した幼い娘を連れた父親に出会い,父娘を後部座席に隔離して車を走らせることになる。娘の父親は特効薬を完成させたという噂の研究所(目指す海岸への途中にあるらしい)を目指していて,車はそこに立ち寄るが,噂はガセネタで感染者への唯一の治療は安楽死だけだと伝えられる。4人は父娘を置き去りにして先を急ぐ。
だが,途中でダニーが感染していることが発覚してしまう。恋人の発病にブライアンは決断を迫られ・・・という映画です。
こういう「致死性ウイルス蔓延 & 人類滅亡」タイプの映画はとても多いです。特に,現実社会で新種の感染症が発見されると,「これで人類はおしまいかも」ということでこのタイプの映画が作られる傾向があります。エイズ,エボラ出血熱,マールブルク出血熱,鳥インフルエンザ,中国でのSIRS騒動,西ナイル熱,そして数年前の新型インフルエンザ騒動がそうです。そのたびに映画界では「ウイルスによる人類滅亡映画」を作り,多数の小説が書かれ,「ゴルゴ13」のネタになりました。その意味では珍しくもなんともない設定です。
問題は,登場人物の性格設定です。通常は「状況は絶望的だけど希望を捨てちゃダメだよ」という人物が主人公,そして,「こんな状況ではみんな死ぬんだ。どうせ死ぬんなら好き勝手やろうぜ」という凶暴タイプが敵役になります。観客が主人公への感情移入がしやすいからです。
ところがこの映画はその逆です。主要登場人物4人がすべて嫌なやつです。兄のブライアンは粗暴で無教養で衝動的な行動ばかりしているし,弟のダニーは嫌なことは兄に押し付けて自分の手は汚したくないという偽善者タイプです。兄の恋人のボビーは思慮深そうに見えて実はあまりものを考えない脳天気タイプ,そしてケイトは他人を利用することしか考えず,自分が生き残るためなら人を殺したって後悔しない女です(しかも,自分では殺さずにダニーに銃を押し付けたりする)。要するに,感情移入できる登場人物がいません。唯一の「良い人」は感染した娘を最後まで守りとおし,娘と一緒に死を覚悟する彼女の父親だけです。しかも,この父親は途中でストーリーから脱落しますから,残るのはクズ4人組です。もう,こいつらに何が起きても「それは自業自得ってもんだよ。お前ら,勝手に死ねよ」と思うだけです(・・・最後の方で,実はブライアンはちょっぴりいいやつだってわかるけど,他の3人が悪すぎるからそう見えるだけですね)。
結局最後,ダニーとケイトが海岸にたどり着くんだけど,ダニーが感染したことは明らかなんで,ケイトはダニーを始末しちゃうんでしょうね。まぁ,人っ子一人いない世界でもケイトちゃんなら生き伸びられそうな気はしますけどね・・・。
それにしても,4人組の浅はかで短絡的な行動を見ていると,なんでこの4人が生き延びられたのかわかりません。特に,真ん中あたりでゴルフ場の建物にゴルフボールを撃ち込むシーンなんて,全く意味のない行動です。移動のためのガソリンだって残り少ないし,食料とか水だって手に入らなそうだし,のんきにゴルフごっこをしている場合じゃないだろ,と言いたくなります。その他にも,簡単なマスクと手袋という軽装備と大雑把な消毒だけで「空気感染する致死率100%のウイルス」を防げるなんて到底考えられないため,この新型ウイルス(?)の怖さが全然伝わって来ません。
結局この映画は底が浅いんですね。「あなたの愛する人が致死性の伝染病に罹患した場合,あなたはどう行動しますか?」という問いかけをしている映画なんですが,なんだか表面をなぞっただけで監督がわかったつもりになり,いかにも深刻そうに作っているんだろうな、というのがミエミエなんですよ。深刻そうなテーマにしている割には,作り手がそのテーマの深刻さを本当には理解していないという感じですね。心の底から理解しているわけじゃないから,同じような設定の映画の設定を拝借して,適当に作っちゃったとしか思えません。だから,「深刻そうなふりをしたオチャラケ映画」になってしまいました。
例えば,映画の最初のほうでブライアンが警官の看板に銃弾を撃ち込むシーンがそうです。この映画が描く「無法地帯と化したアメリカ」では銃は必須でしょう。となれば,銃弾は食料と水の次くらいに重要なものです。次にどこで補充できるかわからないからです。車のトランクに銃弾を山ほど積んでいるというのなら話は別ですが,そうでないのであれば,大切に使うはずです。逆に,このブライアンの無駄な乱射シーンを見ていると,それだけでこの映画が嘘っぽく見えてきます。
この手の「人類死滅寸前映画」を見ていて一番シラケるのは,人類滅亡と言いながら,街灯が点いていたり(電力会社職員は感染していないの?),水道をひねると水が出たり(水道局への電力は保たれているの?),食料は豊富にあったり(その食料,誰が作っているんだよ)と,社会のライフラインはきちんと運営されているシーンがあった時です。ライフラインが保たれているんなら人類は滅亡していないはずだよね,と思うんですね。この映画にもそういう「ライフラインは大丈夫」シーンはいくつかありました。多分,この映画監督はこういう根本的な矛盾点について,全く気がついていないと思われます。
要するにですね、ゲロが汚いことは誰でも知っています(ゲロを吐いたことがない,他人のゲロを見たことがない人を除く)。そしてほとんどの人は,ゲロを見たくないし,あの臭いは嗅ぎたくもないはずです。それなのに,「ほら,ゲロってこんなに汚くて臭いものなんぜ」と本物のゲロを持ってくるのは悪趣味です。この映画はそういうゲロ映画です。「人間は誰でも他人の事なんて知ったこっちゃなくて,自分だけ良ければそれでいいと思っているんだ」と映画監督が考えるのは自由ですが,何もそれを実際に映画にしてもらわなくてもいいのです。
(2011/12/16)