新しい創傷治療:スパイ・バウンド

《スパイ・バウンド "Spy Bound"★★★(2005年,フランス)


 いわゆる,実録スパイ映画である。元になったのは1985年に実際に起きた事件で,フランスの核実験に反対するグリーンピース(ご存知,環境保護団体)のクルーザー「虹の戦士号」を,フランスの情報機関DGSEがニュージーランド沖で爆破したというものだ。それに関わった女性スパイの証言を元にヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチ(実生活でもご夫婦ですね)が共演して作られたフランス映画である。「イタリアの宝石」,「世界最高の美女」と呼ばれるモニカ・ベルッチはいつ見ても見惚れるくらい美しいし,イタリア,モロッコ,スペインなどの街の風景は美しいしと,そのあたりはいいのだが,映画としては何だか消化不良な感じ。と言うか,十分に描かない、説明しないというフランス映画の悪い面が出てしまった気がする。

 実際の事件の再現を行い,それに加わったスパイの苦悩を描き,さらに,一度足を踏み入れたら一生抜けられないスパイの悲しさと,彼らを非情に切り捨てていくDGSEの冷酷さを描こうとしたのがこの映画だが,テーマが最期まで絞られないままエンディングを迎えてしまうのだ。エンディングにしても,フランス人はこれで「いい終わり方だな」と思うのかもしれないが,それ以外の国民は「オイオイ,これでお終いはないだろう。俺たちは,ここから先がどうなるか知りたいんだよ」と思うはずだ。はっきり言えば,「消化不良でおまけに糞詰まり」みたいなものだ。


 DGSEは「アニタ・ハンス号」というモロッコに停泊中の船が武器密輸線であることを知り,ジョルジュi,リザ(モニカ・ベルッチ)ら5人の秘密諜報員に船の爆破を命じる。そこでジョルジュとリザは夫婦を装ってモロッコに潜入し,仲間と合流する。しかし,その計画をアメリカのCIAが嗅ぎつけて阻止しようとするが,DGSEはあくまで計画遂行を命じ,ジョルジュらは船への時限爆弾のセットを成功させる。

 だが,ジョルジュとリザが空港から出国しようとしたその時,リザは身柄を拘束され,彼女のバッグから麻薬が発見される。もちろん彼女には身に覚えのないものだったが,そのため彼女は投獄される。一方,ジョルジュはリザが別室に連れて行かれるのを見て異常事態を察知し,すんでのところで逃走に成功し,フランスに戻ってDGSEの上司に会うが,納得の行く回答は得られない。

 一方,獄中のリザには面会に来たDGSEの職員から「同じ刑務所に収監されている女を一人殺せ」という命令が下る。その女は武器商人リポウスキーの部下だった。そこでリザは自分の逮捕が最初から仕組まれたものであり,最初からこの女の殺害が組織の目的だったことを知る。そしてその頃,組織に不信感を持つジョルジュも単独行動を始め・・・という映画である。


 とにかく,何が起きているのか,何がどうなっているのかがとてもわかりにくい映画である。例えば冒頭のちょっと派手な追跡シーンがそうだ。セリフが全くなく映像のみで進行するのだが,追っているのが誰で,追われているのが誰なのか,殺される男がこの映画の主人公なのか雑魚キャラなのかも不明。見ている方としては,「ここまで延々と描いているからには,この男が主人公なんだろうな」と思ってしまうが,実は違うのである。確かに緊迫感のあるシーンだが,雑魚キャラの大したことのないエピソードを冒頭で延々と流すなよ,早く本題に入れよ,と言いたくなってしまう。

 ジョルジュたち秘密工作員が最初に登場するシーンにしても,極端にセリフが少ないため,誰が主人公なのかがなかなかわからないし(というか,ヴァンサン・カッセルの顔を知らないと判断しようがない),彼らがそもそも誰なのかも理解できないまま,物語だけどんどん進んでいく感じなのだ。それでも爆破計画が遂行されていくところまでは何とかわかるが,CIAが絡んでくるあたりからは,実際に何が起きているのか説明不足のため,隔靴掻痒ってこういうことなんだ、という感じである。


 通常,このような実際に起きた事件の再現映画の場合,冒頭に「これは1985年に実際に起きた事件を元にしている」とか何とか断り書きを入れるのが常識だと思うが,この映画はそういうことがないため,見ている方は困ってしまうのだ。多分,映画を作っている方は「この事件の真相は皆知っているよね。だから,事件そのものについては説明を省くよ。実際に起きた事件を基にした,なんてのもわざわざ書くまでもないでしょ?」というスタンスなのかもしれないが,こういう事件があったなんて誰も知らないのである。知らないから,十分に説明してもらわないと困ってしまうのだ。事件の結末を明示せずに終わらせる映画はよくあるが,それはあくまでも「観客もその事件の顛末を知っている」ことが前提となるはずだ。

 映画の作り手側は,「観客皆がこの事件について知っている」ことを前提にしているから,事件の真相を暴くことがこの映画の目的ではないのは当然といえる。日本人相手に浦島太郎の結末を説明しなくてもいいのと同じだ。ではこの映画の主目的は何かというと,スパイの苦悩と内面であり,スパイたちを物か道具のように使い捨てようとするDGSEの非情さと恐ろしさだ。後者についてはそれなりに描かれているが,前者についてはジョルジュとリザが自分の私生活や仕事について語るセリフがほとんどなく,感情面についても十分に描かれていないため,見ている方が判断する材料があまりに乏しすぎるのだ。

 おまけにこの映画は無駄シーンが多すぎ,しかも,そのシーンがあたかも重要であるかのように扱われるのだ。冒頭の追跡劇もそうだし,ジョルジュとリザのプールサイドで会話したり泳ぐシーンもそうだ。このシーンはストーリー展開に全く不要な無駄シーンである。スパイ映画のスパイは無駄に泳がないで欲しいのだ。仲良くプールサイドでお話ししたり,泳いだりしていては,スパイって結構暇なんだな,と思われるのが関の山である。


 無駄といえば,ベルッチご自慢の美巨乳をチラ見せするお約束のシーンが1箇所あるが,ここも全く無駄シーンである。だって,次のシーンに繋がらないんだもの。見せるだけの目的ならもう少し長く見せればいいし,意味が無いとわかっていたら最初から見せなければいいのだ。

 モニカ・ベルッチ(1968年生まれ)は撮影当時30代後半であるが,相変わらず美しいし官能的だ。ずっとこの顔を見ていたいと思わせるほど魅力的だ。これだけでも元を取った気にはなるが,後半の入獄してからは髪型のせいもあって何だかくすんじゃっているのがちょっと残念だ。


 そしてエンディングもちょっとひどい。出所したリザをジョルジュが迎え車を走らせるが,その後ろをDGSEの手下たちが乗った車が追いかけるシーンがあり,ジョルジュの仲間の協力で無事に逃走に成功するのだが,そこでいきなり終わってしまうのだ。思いっ切り肩透かしである。これで終わられても困るよなぁ,という感じである。だって,私達が知りたいのは車で走っていくことではなく,その後二人はどうなったのかなんだから。どうせ実在のスパイがモデルなのだから,エンドクレジットに「その後、二人は・・・」とあってもよさそうなものだ。


 モニカ・ベルッチとヴァンサン・カッセルのファンならとりあえず見て損はないと思うが,それ以外の人はスルーしていいかな。タイトルを見て「スパイ映画かな?」と思ってみると,多分不満ばかり残るような気がする。

(2011/12/27)

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