重厚な味わいと奥深さを感じさせるいい映画だ。緊迫したサスペンス映画であり,25年にわたる愛の物語であり,まさに大人のための映画である。ある強姦殺人事件を中心に,被害者の夫,事件を追う裁判所職員とその上司の姿と,1974年当時のアルゼンチン社会を重ね合わせることで,骨太の物語が紡ぎ出されていく。
ちなみに,2009年度のアメリカアカデミー賞の最優秀外国語映画賞を受賞している。
1999年,刑事裁判所を定年退職したベンハミン・エスポシト(リカルド・ダリン)は,心の奥底にトゲのように刺さっている25年前の事件の真相を世に問うべく,小説の執筆を思い立つ。それは25年前の1974年にブエノスアイレスで起きた殺人事件だった。
犠牲者は若く輝くばかりに美しい23歳の女性教師リリアナ(カルラ・ケベド)。彼女は銀行員のリカルド(パブロ・ラゴ)と数ヶ月前に結婚したばかりの新妻だった。そのリリアナが自宅でレイプされ殺されたのだった。ベンハミンは直ちに事件現場に駆けつけるが,その余りに凄惨な様子に言葉を失ってしまう。事件直後,リカルド夫婦が暮らすアパートに出入りしていた職人が犯人として逮捕されるが,ベンハミンと上司の判事補イレーネ(ソレダ・ビジャミル)は自白が拷問により強制されたものであることを見抜き,事件は迷宮入りしそうになる。
しかし,夫リカルドが宝物のように大切にしているリリアナの幼い頃からの写真を見ているうちに,ベンハミンはリリアナの同郷の幼なじみの男イシドロ・ゴメス(ハビエル・ゴディーノ)の視線が気になり,この男が殺人犯だと直感する。写真の中の男の「瞳」がそれを物語っていた。しかし,事件直後からゴメスは姿を消していたため,ベンハミンと同僚のパブロは住所を割り出そうとゴメスの母親の自宅に忍び込み,手紙を盗み出してしまう。しかし,二人の違法捜査は裁判所で問題となり,イレーネの奔走で二人は罪に問われないこととなったが,判事の命令で事件の捜査は打ち切りとされた。
しかしそれでもベンハミンは執拗に事件を追い続ける。犯人逮捕を強く望むリカルドの想いを知っていたからだ。そしてついに,「男が名前を変え,住所を変え,職業を変えたとしても,変えられないものがある。それは情熱だ」という同僚の言葉にヒントを得て,ついにゴメスを発見し逮捕する。そしてゴメスもイレーネの巧みな誘導でついに罪を自白してしまう。
本来ならゴメスは終身刑のはずだったが(アルゼンチンに死刑はないからである),なんと1年も経たずにゴメスは釈放され,それどころかイザベル・ペロン大統領のSPとして抜擢される。拘留中に留置場で得た反政府勢力(=ゲリラ組織)に関する情報を当局に流し,その引き替えに釈放され,さらに,ゲリラ組織に潜入したことから腕を見込まれての出世だった。
そして,ベンハミンの自宅でパブロが射殺死体で見つかる。侵入した暴漢がベンハミンと間違えてマシンガンを撃ち込んだのだ。ついにイレーネとベンハミンの身辺にも危険が及び,ベンハミンはブエノスアイレスを離れて田舎の裁判所に転勤することになり,イレーネは富豪である父親の暮らす町に避難する。そして,ベンハミンとイレーネは連絡を取る由もなく,25年の月日が流れた。
そして,小説の原稿を携えた初老のベンハミンは,今では検事となったイレーネを尋ね,25年前の事件の謎に迫ろうとするが・・・という映画である。
映画は1999年と1974年を行き来しながら少しずつ真相が明かされるスタイルで作られているため,最初はちょっとわかりにくい感じがするが,それぞれの時代での時間軸は極めて明確なので,混乱することはないと思う。
イリアナ殺人事件の起きた当時のアルゼンチンの大統領はイザベラ・ペロンである。その前の大統領のファン・ペロンはカリスマ的な人気を誇っていたが(実際の政治的実績については評価は分かれるが),1974年の彼の死を受けて妻のイザベラが大統領に担ぎ出されたのだが(ちなみに,世界初の女性大統領である),亡き夫以上の強権政治を行い,反政府勢力を徹底的に弾圧し,多数の人権活動家を弾圧/殺害するなどして,2年後の1976年に軍事クーデターが起きてイザベラはスペインに亡命することになる。
何しろイザベラ政権下では,拘束されていた政治犯を恩赦で釈放したのはいいが,そこに多数の殺人犯まで含まれていたので,ゲリラ組織の情報を流したゴメスが釈放され,そのまま大統領のSPに抜擢,なんていうのも絵空事ではなかったと思われる。
ちなみに,ファン・ペロンの最初の妻がエヴァ・ペロンである。今でもアルゼンチンでは「聖エビータ」と呼ばれているファースト・レディーで,ミュージカル「エビータ」はこの人の半生を描いたものだ。美貌の女優であり,当時陸軍大佐であったファン・ペロンと結婚し,後に大統領夫人となったが,自らも貧困層の出身であったことから慈善活動に積極的で,様々な政策を提言・実行したことでも知られている。そして,まだ33歳の若さで子宮ガンで亡くなったことから,「聖母エビータ」として伝説の存在になった。
話を1974年に戻すが,何しろ,昨日の殺人犯が今日は大統領の右腕に出世する社会なのだ。苦労して捕まえた殺人犯が,大統領の鶴の一声で無罪放免なのである。要するに,大統領にとって有用かどうかが社会の唯一の評価基準だったのだ。こんなデタラメな社会で正義を貫くのは難しい。職務を全うし,正義を貫こうとすると自分の命が危ないのだ。
そして,何とか無事に定年退職の日まで勤め上げたものの,妻と別れて一人暮らしの初老の男が,痛恨の出来事に決着をつけるべく小説の執筆を思い立ったのだ。これを書かなければ,ベンハミンは死んでも死にきれないのである。自分という人間が生きてきた証を書き残さなければ自分の人生は無意味になってしまうのだ。1999年に恐らくベンハミンは60歳だ。私もあと数年でその歳になる。だから,彼の気持ちが痛いほど分かるし,多分同年代の人間なら実感できる感覚だと思う。
突然,妻を残忍な方法で殺されたリカルドの「この国に死刑はないが,殺人犯を死刑にするのは優しすぎる。彼は終身刑にして,死ぬまで無意味な時間を過ごさせなければいけない」という言葉は重く,最後の最後に明かされる彼の決断と行動には言葉を失ってしまう。それほど,彼の妻への想いは深く,復讐心は年月ですり減っていなかったのだ。
そして,ベンハミンとイレーネの関係も,当時のアルゼンチン社会を背景にしたものだろう。1974年当時のベンハミンは35歳,高卒で裁判所の職員として就職した叩き上げだ。一方のイレーネは上流階級の出身で,アメリカの一流大学法学部を卒業したばかりの24歳か25歳。つまりベンハミンにとっては10歳年下の直属上司である。映画を見ていれば,ベンハミンが初対面でイレーネに一目惚れしたことは誰の目にも明らかだ。だが,労働者階級出身で高卒の35歳の男が,上流階級のお嬢様で一流大学卒業の25歳のエリートに一目惚れしたところで,それが成就されるわけがないことを一番よく知っているのはベンハミンだ。
そしてイレーネもベンハミンに好意を抱いている。それは,「とても重要なことを話したい」とベンハミンがイレーネのオフィスを訪れ,イレーネはドアを閉めようとするが,すぐ後ろからパブロが入ってきたのを見て残念そうな表情をちょっと浮かべるシーンで一目瞭然だ。そして,二人がお互いの愛を確認するのは,二人の身に危険が迫り,ベンハミンがブエノスアイレスを離れる列車に乗り込む直前だ。
そして二人は別れてしまうのだが,ベンハミンの小説はこの別れのシーンで始まるのだ(ちなみに,ベンハミンの乗る列車をイレーネが追いかける「いかにも」なシーンは,実は小説の中のシーン,というのも見事!)。そして,それを読んだイレーネは「あの時のあなたは意気地なしだった」と言う。そして,「私には夫がいて,二人の子供もいる。そして検事としての仕事もある。過去は管轄外だ」と告げる。そして,それがラストシーンの「イレーネの瞳」と「ドア」に繋がる。このあたりも見事な作り方だ。
多分,20代や30代の時にこの映画を見たら,「なんか,かったるい展開の映画だな。恋愛映画ならもっとそれらしく作って欲しいよ」と感じたはずだ。だが,中年以降になると,こういう映画の良さが初めて分かるのだよ。
(2012/02/16)