新しい創傷治療:イベリア 魂のフラメンコ

《イベリア 魂のフラメンコ》★★★★★(2005年,スペイン)


 すべてのピアノ弾きは2種類に分けられる。アルベニス作曲『組曲イベリア』という曲名を見て畏怖の念を抱くものと抱かないものだ。そして,恐らく後者はそもそもこの曲集を弾いたことがないピアノ弾きだ。どんなピアノの名手といえども,あの『エル・ポロ』や『ラバピエス』が苦労もせずに初見で弾けるなんてことは絶対にないと思うのだ。あの異形とも言うべき密集・近接した両手の複雑な動き,連続する重音,恐るべき跳躍など多種多様な超絶技巧の連続は,この曲集の響きに魅了されて挑戦するピアノ弾きにとってはまさに,絶望的な高度で屹立する垂直のシウラ・グランデ西壁なのである。

 しかし,そういう難技巧を克服した名手の指から生み出される『組曲イベリア』は楽しく美しい。その響きは豊穣にして自在で深く,そのリズムは生命力に満ちエネルギッシュだ。静謐と熱狂,逡巡と勇気,悔悟と放縦,祈りと諧謔,向こう見ずな蛮勇と黙考,大言壮語と沈思,過去と未来のすべてがこの曲集にある。これはまさに20世紀ピアノ界の至高の作品であるとともに,ピアノ曲全史を通じて燦然と輝く金字塔であり,他に比べるもののない恐るべき大傑作なのである。


 この映画は『組曲イベリア』を中心としたアルベニスのピアノ曲を素材にして,多種多様な舞踏を組み合わせることで究極の舞踏詩の域にまで高めた大傑作である。

 監督はスペイン映画界の巨匠,カルロス・サウラ。これまでも《カルメン》,《恋は魔術師》などの舞踏映画の傑作を世に出している名匠である。そのサウラが,『組曲イベリア』誕生100年を記念して取り組んだのがこの作品だが,この映画のために集まったダンサー,音楽家がこれまたとんでもない顔ぶれなのだ。サラ・バラス,ホセ・アントニオ,アントニオ・カナーレス,アイーダ・ゴメスなどの舞踏家達はもとより,最高のフラメンコ・ギタリストであるマノロ・サンルーカルとアントニオ・ロドリゲス,そしてスペインの女流ピアニスト,ロサ・トーレス=パルド,フラメンコ・ジャズの名手,チャーノ・ドミンゲスなど,それぞれの分野で「この人あり」と一目置かれている名手,達人たちが名を連ねているのだ。ちょっと詳しい人ならこの顔ぶれを見ただけでワクワクするはずだ。

 以下,音楽の観点からこの映画をざっと説明し(・・・踊り方面の知識は皆無なので,そっちの解説は書けないからね),その後,以前運営していたピアノサイトに書いた「アルベニスとはどういう作曲家なのか」という文章と,『イベリア』の数年前に書かれたアルベニス渾身の傑作『La Vega』の紹介文を再録させていただく。


 映画は全12曲からなる『イベリア』の第1曲目,『Evocacion』で静かに始まり,原曲通りにピアノソロで演奏される。曲のタイトルは「死者を呪文で呼び覚ます」という意味であり,密やかにしめやかに始まり,頂点に向かって次第に高揚し,その後,闇の中に沈み込んでいく。まさにスペイン人の誇りと情熱,そして舞踏の精霊を呼び出すかのような印象的な開始だ。

 そして『Aragon』,『Bajo La Palmera(椰子の木陰で)』,『Granada』,『Cordoba』,『Cadiz』が様々なアレンジ,様々な演奏形態で演奏され,ダンス学校の練習風景,正統派のフラメンコ,自由な現代舞踏など,華麗にして多彩な踊りが続く。

 そして,『イベリア』の第6曲目『Turiana』となる。明るくチャーミングで楽しい曲想が魅力的な曲だが,演奏する側にとっては地獄のような難しさである。難曲揃いの『イベリア』でもとりわけ難しい曲の一つとされているが,この映画では原曲通りにピアノソロで演奏されている。やはりこの曲の魅力はピアノソロでなければいけない。

 ついで『Torre Bermeja(朱色の塔)』がしめやかにギター二重奏で演奏されるが,その響きがとても魅力的だ。

 その次が『イベリア』の第5曲目である『Almeria』だが,一人の女をめぐる二人の男の愛憎をテーマとした長大な舞踏劇となっている。この「男を翻弄する女」を演じる踊り手の双眸に宿る力がすごいのだ。こんな眼でひたと見据えられたら男はイチコロだ。ちなみにアルベニスの原曲も非常に規模が大きく,内容も優れている名曲だが,後半の部分には極度に演奏が難しい部分があることでも有名。

 ついで,ブラスで演奏される『Corpus en Sevilla(セビリアの聖体祭)』は『イベリア』の第3曲目。原曲はこれまた長大な作品であり,同時に後半部分がこれまた恐ろしく複雑怪奇で演奏困難。

 そしてピアノ三重奏で演奏される『イベリア』第4曲目の『Rondena』を挟んで,『イベリア』第7曲となる『El Albaicin』となる。ドビュッシーが「最も完璧なピアノ曲」と驚嘆し,愛したことでも有名だ。私もかつてよく弾いていたが,本当に素晴らしい曲である。この映画では原曲を換骨奪胎し,フラメンコのサパテアード(足打ち)だけで表現するという離れ業に挑戦し,成功している。恐るべし,サパテアード!

 そして,一人の奏者が太鼓でリズムを取りながらもう一方の手で縦笛を演奏する素朴な味わいが印象的な『Zorziko』を挟んで,『イベリア』第2曲目の『El Puerto』となる。演奏するのはフラメンコ・ジャズの名ピアニスト,Chano Domingiez率いるジャズトリオ。とりわけ,後半のアドリブに入ってからの高速で熱気を帯びたパッセージとリズムの饗宴は圧巻だ。

 そして,アルベニスの曲で最も知られている曲の一つである『Asturias』がチェロ独奏で演奏されるが,胸にしみ入るようなチェロのが素晴らしい。その後,もう一度『El Albaicin』となるが,こちらの方は荒々しいリズムと不協和音の連続となり,踊りの方も全裸に近いダンサーが透明なビニール(?)に囲まれた空間から必死で出口を探している不条理劇となっていて,極めて印象的。

 そして,祝宴のような雰囲気の『Sevilla』をバックに皆が踊るが,突然雷が鳴り響き,叩きつけるような雨の場面となり,この巨大にして稀有の舞踏劇は静かに幕を下ろす。


 アルベニスの『イベリア』を現代最高のピアニストの一人,Marc-Andre Hameinが演奏しているYouTube映像を紹介する。どれも素晴らしい名演である。

  1. Evocacion
  2. El Puerto
  3. Corpus-Chrisi en Sevilla
  4. Almeria
  5. Turiana
  6. El Albaicin
  7. El Polo
  8. Lavapies




アルベニス:悪童にして超弩級の天才

 アルベニス(1860〜1909)ほど波乱万丈の少年期を送った作曲家はいないだろう。彼の少年時代をモデルにした小説は恐らく,『十五少年漂流記』級の「手に汗握る大興奮大冒険小説」になるはずだ

 少年アルベニスはモーツァルト級の音楽の大天才であり,トム・ソーヤよりも独立心に富む悪童であり,全く一人ぼっちの異国でも生活できるほどの才覚があった。そんじょそこらのガキじゃない。超弩級の悪ガキだ。


 「早熟でない天才はない」という言葉があるが,彼はそういった「早熟の天才」を備えていた。4歳でピアニストとしてデビューし,7歳で作曲をしたというから,まさにモーツァルト級である。だが,こういう「天才児」の親って言うのは,えてして子供を食い物にして楽をしようと考える。もちろん,アルベニスの親も例外ではない。両親は少年アルベニスを演奏旅行に連れまわし,うけ狙いの曲を演奏させては金を稼いでいた。剣をつけ軍服を着て演奏するように仕組んだのは母親だった。要するに,両親がステージパパとステージママだったのだ。

 子供は親を選べない。こんな糞みたいな親を持った天才少年はどうするだろうか。

 少年アルベニスはランドセルを背負ったまま脱走する。時にアルベニス9歳。小学3年生だぜ!


 彼は列車に乗りこみ,車中でエスコリア市長と知り合いになり,この少年の話が気に入った市長は同市にあるカジノに連れていき,そこでピアノを演奏させた。市長は,家まで帰れるだけの金を得た少年を「さっさと家に帰るように」と送り出すが,もちろん,アルベニスが乗り込んだのは家と逆方向に行く列車だった。

 その後,儲けた金を失っては,ピアノを演奏して金を得るという生活を繰り返し,12歳の時に南米行きの客船に首尾よくもぐりこみ(もちろん無賃乗船である),ヨーロッパから脱出! この時なんと12歳である。小学校6年生である。にきびも出ていない坊主なのに,単身太平洋を渡るのだ。何という独立不羈の小学生だろうか。その独立心の強さと逞しさと生活力に圧倒される。

 もちろん,船上でアルベニスはほどなく発見され,船長の部屋に連行される。だが彼は船長に(恐らくデタラメな)身の上を語り,船長を味方につけてしまうのだ。そして彼は船客のためにピアノを演奏し,しっかり商売するのである。海千山千の大人達を相手にして,この小学6年生の坊主はしっかりと生き抜くすべと知能と技術を身につけていたのだ。


 彼は何とかプエルト・リコに到着するが,すぐに文無しになり,ブエノス・アイレスで乞食になる。しかし,すぐさまピアノの腕を見こまれて演奏するようになり,評判を得てキューバに向かう。時にアルベニス13歳。そして,息子を探していた父親に当局から連絡が入り,父子は1年ぶりに対面する。

 しかしアルベニスは父親を説き伏せ,勉強のためにアメリカに単身で渡る許可を得てニュー・ヨークに向かうのだ。繰り返すが13歳だ。中学1年生だ。

 しかし彼はまっすぐにアメリカに行かず,有り金を使い果たしたため,アルバイトと乞食をしながら1年がかりでアメリカに到達するのだが,なぜかすぐさまヨーロッパに戻ってライネッケ(当時のヨーロッパで最も有名なピアノ教師)の門を叩き,スペイン政府の補助金でブリュッセル音楽院に入学できることになった。この間,彼が何をしていたかは全く判っていない。時にアルベニス15歳の中学3年生。


 しかし,彼はここでもまた脱走する。堅気の生活が本当に苦手なんだろう。絵に描いたようなバガボンドである。

 彼はポン引きをしたり乞食をしたりキャバレーでピアノを弾いたりしながら放浪を続け,散々遊び歩き,3年間遊び惚けた末,ようやく音楽院に戻ってくる(この間,スペイン大使館のブラックリストに名前が載っているほどの,ブラックでムチャクチャな生活をしていたらしい)。時にアルベニス18歳。


 戻った音楽院でのピアノの先生はあのブラッサン(「ワルキューレの騎行」など,ワグナーの素晴らしい編曲を残している大ピアニストにして名ピアノ教師)。放蕩生活・与太者生活を続けていたにもかかわらず,アルベニスのピアノの腕は落ちていなかった。それどころか,ますます磨きをかけていた。彼はなんと,真面目にピアノを勉強をしていた学生を尻目に,何の努力もなしに一等賞を得てしまう。桁外れにもほどがあるとは,こういう天才のことを言う。

 要するにこの破天荒な天才君は,他の子供たちが真面目に勉強している時期に早々と不良生活を満喫し,他の子供たちがそろそろ不良にデビューしようかと思い始めた頃にさっさと不良生活に見切りをつけて堅気になった訳だ。

 その後の彼の生活はこれまでの波乱万丈生活から一転し,非常に穏やかなものだったらしい。ピアニストとしてはスペイン国内では並ぶもののない名手であり,膨大な数のピアノ曲を作曲した。晩年はパリに移り住み,大作曲家のデュカやフォーレの親友となった。


 さて,アルベニスのピアノ曲は二種類しかない。数百曲にのぼるサロン向けの駄作と,晩年に書かれた小数の大傑作だ。

 彼は1890年代までは,「スペイン風」の小曲を量産していて,当時は絶大な人気を博した人気作曲家だった。それは当時の最先端の流行曲であり,大人気のポピュラー曲だった。今日でもその膨大な作品の楽譜は残っているが,しかし,演奏されるのは数曲だけである。要するに,それらは「人気はあるが,音楽的にはクズ」だったのだ。

 しかし,19世紀から20世紀への変わり目のあたりで,アルベニスは突如,作品を発表しなくなる。書けばヒットが約束されている「お手軽・スペイン風ピアノ曲」を作曲しなくなる。


 そして,数年間の沈黙期間を経て,彼はピアノ史上に残る大傑作を次々発表する。それが空前絶後の傑作『La Vega』であり,組曲『イベリア』であり,未完の『ナバーラ』だ。これらの作品は,和声もリズムも恐ろしく複雑になり,信じ難いほど演奏が困難で,おまけに曲の構成は複雑だった。それはいきなり突然の変化だった。

 言ってみれば,『乙女の祈り』と同レベルの「初期スペイン風駄曲」から一挙に,ピアノ曲最高峰の『ショパン・エチュード』を凌ぐ完成度の高い曲を書いたのだ。それまで塗り絵に色を塗るだけだった子供がいきなりレンブラントに変身したのだ。両者には全く共通点はなく,両者を繋ぐ作品もない。まさに「アルベニスのミッシング・リング」であり,アルベニスは「駄作作曲家」から「大作曲家」に助走もなしに変身したのだ。

 音楽史上,短期間にこれほどまでの作風の変貌,作品の深化,作風の変化を見た例は他にない。まさに,春を経ずに一挙に冬から盛夏になったかのような,あるいは,蛹の時期をすっ飛ばして芋虫から蝶に変身したように,変化は突然アルベニスに降臨した。足し算を覚えたばかりの小学生が翌日突如として微積分の問題を解くように,音符の読み方を覚えた幼稚園児が突然オペラを書くように,ハイハイをしていた幼児が突然走り幅跳びをするように,アルベニスは空前絶後の傑作を生みだしていった。

 この変身に匹敵するのは,晩年のフランクくらいだろう。青年期から中年期のフランクはずっと「鳴かず飛ばず」状態だったが,フランクは初老期に入り突如として『交響曲二短調』『ヴァイオリン・ソナタ』などの完璧な大傑作ばかり次々に生み出した。





奇跡のピアノ曲『La Vega』

 さて,『ラ・ベーガ』だが,これは1897年頃の作品である。つまり,『イベリア』の7年ほど前の作品になるが,曲の様相はまさにあの世紀の大傑作『イベリア』そのものだ。演奏時間15分に及ぶ力作であり,表現意欲とそれを実現する表現技巧が実に高いレベルで見事に結びついている比類なき傑作だ。

 なお,以下譜例を上げて曲を説明するが,譜面に書いてある指使いはすべて筆者自身のものであり,譜面が見苦しくなったことをお許しいただきたい。

 ちなみに,参考としてこの曲のSylvia Toranの演奏のYouTube映像を紹介しておこう。非常に優れた演奏である。

  1. Sylvia Toran - LaVega, part 1 of 2 - from Isaac Albeniz
  2. Sylvia Toran - LaVega, part 2 of 2 - from Isaac Albeniz


 曲はこのように始まる。

 まず気がつくのが,フラットが7つ,つまり「変イ短調」という普段お目にかかれない調性だ。アルベニスはこの曲以外にも,『イベリア』の第1曲目で同じ調性を使っている。事実アルベニスは「フラットの調性」を偏愛した作曲家で,『イベリア』で「フラットでない調性」の曲は,数えるほどしかない。
 普通ならここは「嬰ト短調」で記譜されるだろう。だが,譜面を見た感じでは,「変イ短調」と「嬰ト短調」では全く違う(ピアノでは両者は同じだが,弦楽器などではこれらは異なった調性である)。ためしに「嬰ト短調」に書き換えてみると譜面は鋭角的で鋭く見え,「変イ短調」の譜面の持つ,ある種のほの暗さ,底知れぬ深さは感じされなくなり,この曲の雰囲気には全くそぐわない。
 この冒頭部分,是非,弾いてみて欲しい。冒頭8小節の伴奏,ここだけでもうすでにピアノの周りは空気が微妙に変化するはずだ。静かな湖の湖面に波紋が広がって行くような,広がりと深さを感じさせる独特の響きが感じ取れるはずだ。そして,その波紋に誘われるように,メロディーが登場。非常に息が長いメロディーだ。ピアノは「音が減衰する楽器」なのに,こんなにも長い歌を紡ぎ出せるのだ。

 そしてこのメロディーを引き継ぐのは,3つの和音(下記譜例の7小節目から)。3つ目の和音での左手の低音オクターブ(譜例下段の3小節目)が実に効果的。湖面の波紋はもうすっかり収まり,鏡のように静まりかえっている。何という深い響きなんだろう。

 その後,冒頭の伴奏が再登場し展開される。ここは静かに始まるが,やがて音は複雑さを増し,音域を広げ,最初のクライマックスに突入。譜例の最初2小節の見事なピアノ技巧もさる事ながら,3小節目からの何と格好いいこと! 湖面を揺るがす嵐のような,慟哭に満ちた激情のパッセージ。これぞスペインが号泣する。もしもピアノが弾ける人なら,この部分は是非弾いてほしい。

 そして,冒頭の伴奏音形がピアニスティックに登場。ここも最高に格好いい。

 そして第2主題の登場。湖面(あるいは草原)を自在に吹きまわる風のような左手伴奏の見事さ。伴奏音形はえてして類型化した動きになりやすいものだが,ここでは1小節ごとに新しい音形の生み出され,それがまた次の新たなアルペジオを生み出していく。その風に乗って,右手で奏されるメロディーはあたかも,まさに月が昇る様を思わせる。なんという自由自在なピアニズムだろうか。

 この後さらに,第2主題が展開され,冒頭の伴奏主題が劇的に登場。和声といい,両手のバランスといい,総ての音がツボにはまっている。

 この後,曲は細かい動きになり,次第に音量を減じテンポを落としてこの曲唯一の緩やかな部分に入る。非常に複雑な音の絡みがあるが,ここは第2主題の展開と見ていいだろう。低音の深さをベースにした中音域に登場するメロディーが非常に効果的だ。この部分は弱音に終始し,消え行くように一旦終始する。

 テンポを戻し,第1主題がちょっと登場したあと,第2主題の更なる展開に入る。

 譜例下段の左手の付点リズムが,次第に曲を覆い,ピアノ技巧はますます複雑になり,クライマックスを迎える。なんという雄渾にして自在なピアノ書法! ここを頂点に,曲は次第に力を失い,音域を狭め,変ホ長調の主和音で一旦終始。

 そして音楽は,冒頭部分に戻り,第1主題は型どおり再現されるが,第2主題は伴奏音形を変え,圧縮されて再登場。そして,美しいエピローグ風の部分になる。左手のアルペジオがやはり素晴らしい。

 そして曲は,静かに深い余韻を残しつつ虚空に消え,長い旅が終わる。

(2012/03/02)

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