《ルイーサ》★★★★(2009年,アルゼンチン/スペイン)


 アルゼンチンの地下鉄会社が主催した「地下鉄を舞台にした長編脚本コンクール」で大賞を受賞した作品を映画化したのが本作だ。ブエノスアイレスに暮らす生活困窮者たちが逞しく生活していく様子を描いている佳作である。

 脚本は極めて念入りに練り上げられているし,映像もそれを過不足なく描き出していく。そして何より主演女優が素晴らしい。絶望から再生へというテーマもいい。だが,圧倒的な感動には至っていないという感じだ。もうちょっとのところで傑作映画になれたのに,という隔靴掻痒感が強いのだ。そのあたりがちょっと残念である。


 舞台は現代のブエノスアイレス。今年で60歳になるルイーサ(レオノール・マンソ)は霊園の管理事務所で働く女性だ。毎日,決まった時間に起床し,愛猫ティノに餌を与え,地味で隙のない衣服にみを包んで決まったバスに乗り,7時半に到着する。そして午後3時半に仕事が終わったあとは,大女優のクリスタル・ゴンサレス(エセル・ロッホ)のマンションに向かい,部屋の整理や掃除をして生計を立てている。夫と娘とは早くに死別しているらしく,一人暮らしだ。

 そういう決まりきったルイーサの生活が一気に崩壊する。退職まであとわずかだった霊園管理会社からクビを言い渡され,同じ日に女優が引退を発表して田舎に移り,ブエノスアイレスのマンションを売り払うことにしたからだ。30年間努めた霊園管理会社から支払われた退職金はわずか20ペソだった。

 そして悪いことが重なり,家族同然にかわいがっていた愛猫ティノが突然死んでしまう。ルイーサは猫の遺体の火葬を望んだが,火葬費用は300ペソであり,彼女には到底出せない金額だった。それどころか,これからどうやって暮らしていけばいいのか,彼女は途方に暮れる。

 そんなある日,ルイーサはいつものバスに乗るが,途中でバスが故障してしまい,バスの運転手から地下鉄に乗るように言われる。だが彼女は地下鉄に乗ったこともないし,乗り方も切符の買い方も知らない。なんとか地下鉄の切符を買って乗り込んだが,駅のプラットホームも地下鉄の中も物乞いをする人達でいっぱいだった。

 そして彼女は自分が生き延び,ティノの死骸を火葬にするためには彼らのように物乞いをすればいいと気付き,彼らの真似を始めるが,もちろんうまくいくはずがない。やがて彼女のアパートの電気求められ,彼女は追い詰められていく。

 そんなある日,片足を失って松葉杖姿で物乞いをする老人オラシオ(ジャン・ピエール・レゲラス)と出会ったことから,彼女は前を向いて歩み始め・・・という映画である。


 とにかく,ルイーサ役のレオノール・マンソが素晴らしい。冒頭の,朝起きてから身支度をするまでのムダのない動作,髪の毛をピッタリと分けて地味だが清潔な服にみを包んでニコリともしない彼女は,まさに謹厳実直,真面目一直線を絵に描いたようだ。もちろん,人間的に面白い人物でもないし,お付き合いしたいタイプでもない。

 そんな彼女が物乞いをするのである。もちろん,ノウハウもないし知恵もない。だから,それまで来ていた服を着て,同じ髪型で「私はHIV感染者で,私には7人の子供がいて,生活に困っている。1ペソ恵んでくれ」と地下鉄列車内で「営業」をはじめるのだが,もちろん彼女の服装を見ただけで,それが嘘だということはバレバレだ。もちろん,誰も恵んでくれない。

 そしてオラシオに出会うが,彼を見て自分も身障者のふりをすればいいだろうと考え,盲人のまねをするのだが,この頃から「物乞いをするしかない貧困者」らしい衣服とカツラをかぶるようになる。そしてオラシオから「なぜ奴らは金を恵むのか」という話を聞き,このあたりから彼女の目はキラキラと輝くようになり,表情も活き活きとしていく。このあたりの変化は見事と言うしかない。


 彼女の演技があまりに見事なためと,ストーリー運びのテンポがいいため,見ているときはあまり気にならなかったが,全体を通してストーリーを反芻すると,ちょっと無理が多すぎる気がするのも事実だ。

 例えば,ブエノスアイレスで暮らしている60歳のルイーサが一度も地下鉄に乗ったことがなく,切符の買い方すら知らないというのはいくらなんでも非現実的じゃないだろうか。何より彼女は,エスカレーターの乗り方すらおぼつかないのである。生まれて一度もデパートに行ったことがないのだろうか。

 おまけに彼女はあまりにも現実社会のシステムを知らなすぎる。退職金が少ないならまず最初に霊園管理会社社長に文句をいうべきなのに,何故か彼女は銀行に行って頭取に直談判しようとする。どうやら,自分が努めている会社と銀行の業務の違いがわかっていないようなのだ。これでよくも数十年間,暮らしてこれたなと思う。

 更に,失業して仕事がなくなったら,まず最初にすべきは次の仕事を探すことか,役所の福祉課に駆け込むかのどちらかじゃないだろうか。ルイーサのアパートの親切な管理人も,一言「こういう時はまず役所に行って生活保護の申請をすればいい」と教えるべきであり,彼が電気代を払うのは本末転倒だと思う(・・・もちろん,これはこれで感動的なエピソードではあるが)


 この映画はもともと「地下鉄を舞台にした脚本コンテスト」から生まれたものだが,地上を走るバスと地下を走る地下鉄を対比させ,表社会を象徴するものとしてバスを,地下社会の象徴として地下鉄を描こうとしているようだ。そのため,彼女が一番最初に地下鉄に降りる階段は,あたかも得体のしれない異界への入り口のように描かれている。そして,地下道やプラットホームは物乞いの群れで一杯であり,まさに「光のバス vs 闇の地下鉄」である。実際のブエノスアイレスの地下鉄ってこんな感じなのだろうか。地下鉄会社として,「地下鉄=地下生活者の巣窟」と描かれることはOKなのだろうかと,逆に心配になったくらいだ。

 映画は,愛猫ティノの死骸を無事に火葬にする方法を見つけ出し,お骨を夫と娘の眠る墓の間に埋めるところで終わる。つまり,彼女はこれからも地下鉄で盲目のふりをして物乞いで生活していく,という結末になってしまうと思う。それはそれで「自分の足で歩いていく」という風に考えられなくもないし,これがアルゼンチンの現実なのかもしれないが,なんだかモヤモヤしたものが残る結末である。

(2012/06/28)

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