The Asylym(アサイラム)という映画会社があります。『メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス (2009)』,『メガ・ピラニア (2010)』など,アホバカ系巨大生物パニック映画ばかり作っている会社なんですが,今度はこともあろうにメルビルの文学史上屈指の傑作小説とされるあの『白鯨』をベースにして,鯨をでっかくしちゃいました。「サメ,タコ,ピラニアときたから,海洋生物つながりで次はクジラを巨大化しちゃおうぜ」という程度の発想だったと思われます。
しかも『白鯨』の世界観と哲学と物語の骨子をそのままなぞってしまったため,何とも中途半端になっちゃいました。本家の『白鯨』は19世紀の海の男たち,19世紀の捕鯨船でこそ極めてリアルで迫真的なんですが,それを21世紀のアメリカ海軍,原子力潜水艦に置き換えてもお笑いになっちゃうんですよ。どうせ巨大クジラを出すんなら『白鯨』とは全く無関係にすればよかったと思いますね。
最初のシーンは1969年の北極海。ソ連領海すれすれのところを航行する一隻の潜水艦が巨大な生物を発見しますが,そいつは突然襲ってきて,潜水艦を加えたまま表情に大ジャ〜ンプ! 潜水艦は哀れまっぷたつ。ほとんどの乗組員は死にますが,若いソナー技師のエイハブは片足を失いながらも生き残ります。
そして40年後,彼はアメリカ海軍の最新鋭の原子力潜水艦「ピークォド」号のの艦長となっていましたが,エイハブ(バリー・ボストウィック)の脳裏からあの真っ白な巨鯨の悪魔のような姿が消えたことはなかったのです。そして彼は,最近次々に起きている海難事故が白鯨によるものだと見抜き,部下たちに「軍司令部から白鯨を倒せと命令がきた。仲間たちを助けるためにやつを血祭りに上げろ!」と命令します。そして,クジラを研究している助成動物学者のミシェル(レニー・オコーナー)の助けを借りて,復讐を果たそうとします。
一方,軍司令部はそれを反乱行為と見なし,ピークォド号への攻撃命令が下ります。それを知ったエイハブのかつての戦友ブーマー大佐はエイハブの真意を確かめようとヘリに乗り込んでピークォド号に近づこうとします。しかし,白鯨は狂ったように次々にアメリカ軍の原子力潜水艦や戦闘ヘリを襲い,犠牲者が増えていきます。
神の如く,悪魔の如く人間を翻弄する白鯨をエイハブは追い続け,袋小路の環礁に追い込み,入口を機雷で封鎖しますが,ここでピークォド号は浅瀬に乗り上げて座礁してしまいます。しかしエイハブは怯まず,部下たちを伴って3隻のボートに乗り込み,最終決着をつけるべく環礁に向かいますが,白鯨の攻撃にあってボートは沈没し,浜に打ち上げられます。しかし,執念深い白鯨は陸に上がったエイハブたちも襲ってくるではありませんか。そしてエイハブは一隻だけ残ったボートに単身乗り込み,白鯨に最後の戦いを挑むのでありました・・・ってな映画でございます。
というわけで,現代によみがえった白鯨ことモビー・ディックですが,全長150メートルというムチャクチャな大きさです。というか,原潜をパクっとポッキーかなんぞの様にくわえちゃうシーンがありますから,原潜のサイズ(オハイオ級原潜で170メートル)から計算すると,150メートルどころの大きさじゃなく800メートルくらいになってしまいます。さすがは「デッカいことはいいことだ」を社是としているアサイラムでございます。ただ,大きいといってもサメとかクモが巨大になったのと比べると,クジラはいまいちインパクトというかありがたみがありません。もともと大きいからですね。どうせ大きくするなら,巨大ウミヘビとか,巨大マンタとか,巨大オニヒトデとか,そこら辺を狙った方がよかったかもしれません。
ちなみに,モビー・ディックは巨大なマッコウクジラという設定ですが,この映画のモビー・ディックはマッコウクジラとは似ても似付かない姿をしています。メルビルの『白鯨』が子供の頃,愛読していた私としては,やはりここはマッコウクジラにして欲しかったです。
アサイラムと言えば低予算B級映画ですから,この映画も低予算です。でも,泳ぐモビー・ディックのCGとか,潜水艦内部の様子とか,アサイラムとするとかなり頑張って撮影していて,このあたりはよろしかったです。ただ,モビー・ディックが海面から飛び上がるシーンの水しぶきなどは全く描かれておらず,ここらは限界でしょうね。
この映画の設定は,メルビルの原作そのままと言っていいでしょう。主人公の名前も同じなら,乗り込む船の名前も同じ。エイハブの腹心の部下の名前も同じだったと思います。さらに,メルビルの原作では物語の語り部として登場するイシュメール役をするのが,生物学者のミシェルです。だから彼女は最後の核爆発でも生き残るわけですね。
また,映画の冒頭でモビー・ディックの音を最初に聞いた若き日のエイハブが,「これは音ではなく,巨大な無だ」というシーンも,原作の "a dumb blankness, full of meaning" という言葉をそのまま拝借しています。ただ,この映画ではこの言葉が唐突に出てくるため,見ている方にはその意味が伝わりません。
なぜ原作にこういう言葉が出てくるかというと,モビー・ディックは一匹の動物なのか,創造の神が作った悪の権化なのか,はたまた宇宙の原理そのものなのか,という哲学的な問いかけがあったからです。もしもモビー・ディックが一匹の巨大クジラであれば,エイハブの行動は私怨に基づいた復讐譚になるし,神が意図的に作り出した悪であれば,神の意志に背く傲岸不遜な行為になります。そういう様々な意味合いを含んでいるからこそ "a dumb blankness, full of meaning" となるわけです。しかしこの映画では,そういうのをすべてすっ飛ばしていきなり「巨大な無」としたもんだから,意味が通じなくなってしまいました。
それと,2カ所ほどエイハブが「あの怪物を倒すためには魂のこもった武器でなければいけない」と話し,銛に自分の血をかけたりするんですが,さすがにこれは21世紀の原子力潜水艦には似合わないでしょう。これをするなら,もっとオカルティックにするかファンタジーの設定にしないとだめです。何しろ,原潜の魚雷ですら倒せないのに,ラストでエイハブが手にするのは銛ですぜ。そりゃあ,何が何でも無理っぽいです。
そうそう,ミシェルが最初に登場するシーンで,研究を手伝っている黒人青年に「私のことはミシェルと呼んで」というところがありますが,これはメルビルの原作が「俺のことをイシュメールと呼んでくれ」で始まるのと同じなのかもしれません(・・・とはいっても,メルビルの『白鯨』を呼んだのは40年くらい前なので,記憶は定かではありませんが)。
というわけで,メルビルの『白鯨』の映画化ではなく,エイハブ船長が超巨大な白鯨を追いかけるおバカ系モンスター映画として見る分には楽しめると思います。ただ,この邦題だけはセンス最低ですね。下手なことをせず,原題そのままでよかったと思います。
(2012/08/22)