第1作目は大傑作だったのに続編は駄作,というシリーズ物は世の中にゴマンとあります。むしろ,駄作でない続編を探すほうが大変です。なぜかというと,第1作目にはすべての思いと「映画で実現したいもの」すべてを詰め込んでいるからです。第1作目を作っている時は続編が作れるかどうかはわかりません。むしろ続編が作れない可能性が遥かに高いです。だから,第1作目は破天荒な傑作になります。本作の主演,ジージャーの第1作目である《チョコレート・ファイター》はまさにそういう奇跡の映画でした。
そして,ジージャーの第1作目を見た人は恐らく,続編を作るのが並大抵のことではないと感じたはずです。見る側は第1作目以上の完成度を求めるからです。ジージャー主演の第2作目であるならば,最初の作品と同程度のアクションでは誰も納得しません。あの,神の如き動きを見せたジージャーなら,さらに高みに向かって飛翔しているはずだ,と誰もが期待しています。いわば,「アクションへの期待度のインフレ状態」です。
第1作目が「ノーCG,ノー・ワイヤーアクション」であった以上,自作もその路線を踏襲せざるを得ません。しかし,人間の体には限界があります。生身の人間はどんなに頑張っても3メートルはジャンプできないし,100メートルを8秒で走れません。つまり,「アクションへの期待度」に応えることは不可能です。ここに,アクション映画のジレンマがあります。
そういうジレンマにぶつかりながら,なんとか作り上げたのが本作でしょう。そういう「作り手側の苦悩」が伝わってきます。その結果,アクション映画としては素晴らしいが,映画としては凡庸なものになってしまいました。
タイでは若い女性の誘拐事件が続発していた。そんな中,バンドでドラムを担当していたデュー(ジージャー)は男にフラレて自暴自棄になって泥酔し,あやうく誘拐されそうになるが,サニム(カズ・パトリック・タン)という男に助けられる。
実はサニムは結婚寸前の恋人を誘拐された過去があり、誘拐したジャガー団のアジトを突き止め、恋人を助けようとしていた。そして彼の元に、ジャガー団に大切な女性を連れ去られ、復讐を誓う2人の男が集まっていた。彼らの武器は「酒に酔うほど強くなる泥酔拳」だった。
そして泥酔拳を学んだデューは自らが囮となり、ジャガー団のアジトに潜入するが、そこには予想を超える強敵が待ち受けていて・・・と言う映画です。
まず、アクションシーンの凄まじさは特筆ものです。ジージャーもすごいけれど、彼女を支える3人の男たちの体の切れ、技のすごさは半端じゃないです。「吊り橋のシーン」も鳥肌ものでしたが、最後のラスボスとの15分にも及ぶ格闘シーンの凄絶さは、幾多の格闘技映画の中でもトップクラスの完成度でしょう。第1作目の《チョコレート・ファイター》同様、もろに蹴りや打撃が顔や頭に入っていて、見ている方が心配になるくらいです(・・・特に医者なら)。ちなみに、この「泥酔拳」はマーシャルアーツとHip Pop ダンスを組み合わせたTRICZというパフォーマンスに、カポエイラとムエタイをミックスしたものらしいですが、低い位置から繰り出される蹴りや、空中で体を捻りながら相手の後頭部に膝を食い込ませる動きは、凄まじい迫力です。
そして、ジージャーが可愛いです。可愛くて強いです。第1作目ではほとんど無表情でしたが(先天性の病気という設定でしたから)、本作ではいろいろな「女の子の表情」が楽しめます。そのいずれもがキュートです。ちなみに、本作撮影時27歳(第1作目は24歳だそうです)ですが、どう見ても20歳そこそこですね。
と、誉めるのはここまでです。
まず、無駄に長すぎます。この内容だったら、余分な部分をカットして90分映画にすべきです。ジージャーの映画のファンは彼女のアクションが見たいのであって、どうでもいいメロドラマとかほのかな恋心なんて見たくないからです。そのあたりを映画の作り手は読み間違えています。
そして最大の過ちは、肝心の「泥酔拳」がクライマックスの格闘シーンに絡んでこないことです。普通なら、ラスボスにジージャーがボコボコにされ、もうこれでおしまいかと思ったその時、仲間が「デュー、酒だ!」と酒瓶を投げ入れ、グビっと飲んだジージャーが・・・という展開になるはずですし、見ている方もそういう展開を期待しています。そうでなければ、「泥酔拳」を習得した意味がないじゃないですか。
ところがこの映画では、ラストになると「泥酔拳」も酒もどっかに行っちゃうんですよ。最初の方で「酒は苦痛をエネルギーに変える。それを応用したのが泥酔拳だ」という説明はありますが、この説明からして無理があったような気がします。これだったら、何も泥酔拳でなくてもいいんじゃないの、普通にTRICZでいいんじゃないの、と言う気がしてきます。
もちろん、泥酔拳と言えばあのジャッキー・チェーンの「酔拳」を本家取りしたものですが、酔拳は酒なしでは成立しなかった憲法ですが、今回の泥酔拳は酒なしでも成立しちゃうんですよ。つまり、この映画の途中で「泥酔拳をマスターしたら、もう酒を飲まなくても泥酔拳を操れるようになれるんだ」という説明が必要だったと思います。
あと、「誘拐された恋人を連れ戻す」という現実的な部分と、非現実的な部分(最後の吊り橋のある洞穴って現実にはありえないでしょう)のギャップがありすぎで、見ている方が戸惑ってしまいます。最後の格闘シーンは非現実的なシチュエーションで行われているとする設定だったからこその完成度だったと思います。それだったら、救い出すのは現実の女性でない方がふさわしいはずです。逆に、救い出す対象が「現実にいる女性」だったら、最後の激闘の舞台も「現実」にすべきです。
それと、ジージャーが普通の女の子モードでサニムに恋心を抱く、というのも余計ですね。こういう設定にしたから、余計な描写や説明が必要になって長尺になり、途中がダレちゃったようです。それに第一、サニムさんがそれほどハンサムでもないし、精悍な野獣のような雰囲気でもないんですよ。
そういうわけで、第1作目が素晴らしいほど、続編を作るのは大変なんだなぁ、と言う苦労が見えた作品でした。
(2012/12/21)