《アフター・インパクト "SUPER COMET"★★★(2007年,アメリカ)


 掃いて捨てるほどある「彗星(小惑星)が衝突!」ネタのディザスター・パニック映画の一つですが、他の映画と一線を画しているのは、科学ドキュメンタリー番組仕立てになっていて、しかも衝突した後、地球と人類はどうなるのかというシミュレーションをしている点です。他の映画だと、彗星(小惑星)に核兵器を撃ち込んで何とか衝突を回避するまでの経過がテーマになっていて、宇宙船に乗り込んで核ミサイルを撃ち込んだり、小惑星に降り立って爆弾を仕掛けたりするんですが、この映画では物理学者や社会科学の専門家が衝突後の世界を予測するのです。

 CGによる衝突や爆風、その後の大津波などの映像は見事で、それなりの迫力です。また、科学者たちの説明もそれなりに正確な感じです。しかし、その科学者の説明と登場人物の行動が全然違っていたりするし、主要登場人物が最後まで生き残るのはアメリカのパニック映画の常道ですが、その生き残り方が余りにも不自然、と、ツッコミどころは満載なんですよ。


 今から6500万年前、地球を巨大彗星が直撃して恐竜などを絶滅させたが、それと同じサイズの天体がまた地球に近づいていた。世界中の科学者たちは協力して核兵器を搭載したロケットを打ち上げ、天体の破壊を試みたが、18ヶ月という期間は余りに短く、彗星本体の一部を破壊するにとどまってしまった。そして、数ヶ月後、メキシコのユカタン半島の海岸沿いを巨大彗星が直撃する。ユカタン半島全体は瞬時に消滅し、周囲数千キロの範囲は火の海となった。

 そして、大西洋沿岸のアメリカ各都市とヨーロッパを巨大津波が襲い、彗星衝突で巻き上げられた粉塵は熱エネルギーを保持したまま地球の至る所に落下したため大気温は急激に上昇し、その後、空は厚い雲で覆われ、太陽の光が遮られたため、温度は急速に数十℃低下した。植物は光合成が絶たれて死滅し、動物もほとんどが絶滅した。

 このような状況で果たして人類は生き延びられるのだろうか、果たして地球は命溢れる青い星に戻れるのだろうか・・・という映画です。


 映画では4組の人間(ハワイの天文台に勤める男女の研究者、パリで離ればなれになる一家、アメリカからメキシコに戻ろうとする男、そしてニューギニア奥地で暮らすバカ族の村人たち)たちがこの大災害の時にどう生き延びていくのかを追っていき、同時に、天体物理学者や宇宙物理学者たちが、巨大彗星に見舞われた地球に何が起こるのかを経時的に説明し、生物学者と古生物学者が動物や植物の変化を説明し、行動学や心理学の専門家がパニック時の人間の行動と、生き延びるための条件を説明していく、という形式を取っています。

 前述のように、彗星激突から地球で起こる現象がアニメとリアルなCGで説明されていて、非常にわかりやすいです。なるほど、そういうわけで大気温が上昇するのか、と納得できます。ところが、彗星激突時の上記4組の人間の行動を見ていると、これじゃ絶対に助からないよね、という条件で助かってしまうため、オイオイ、さっきの説明と矛盾してるよね、となってしまうのです。


 特に、メキシコの青年なんて、地下のシェルターに偶然入ったから助かった、と説明されていますが、太陽表面の温度まで温度が上がっているのですから、このシェルターは数千℃の温度にもびくともしない、熱も通さない物質でできているんでしょう。しかもこの青年がシェルターから出るシーンでは「大気には硫化水素が多くなり、しかも温度は数十℃上がっている」と地球物理学の博士が説明しているのに、この青年は普通にスタスタ歩いているし、食料も水もないと言う割には数ヶ月間、生き延びます。

 ハワイの男女の研究者も地下室で生き延びますが、数週間経っているというのに女性の方はきれいな髪型で顔もメイクしているし、男性の方は髭も毎日剃っているようです。こちらの二人組は天文台を出て海岸を目指しますが、食料も水も持っていない軽装で歩きます。しかも、天文台の同僚としっかり再会でき、しかもこの同僚は船まで見つけてくれます。この船は数千℃の温度でも燃えない材料でできていたんでしょう。


 これがフランスの親子(特に娘)に至っては映画に登場する社会行動学の専門家が「こういう行動をするとダメです。死にます」という行動ばかりしていて、それなのになぜかこいつらだけが助かります。例えば、パリの避難所に一家が避難しているときに、彗星が直撃し、その直後に世界中の電気装置が破壊されて避難所は停電するんですが、この時、一家が飼っていた犬が避難所の外に逃げ出し、それを娘が追いかける・・・というパニック映画の定番の展開になります。この時、外は高温のはずですが、娘も父親も普通に走っていて、苦しそうな素振りも見せません。その後、一家は「古い型式で電機部品が使われていなかった車」を偶然見つけるんですが、唯一動いている車を身ても周りの人は「俺も乗せろ」なんて暴動を起こさないのですよ。中国だったら絶対に暴動が起きるぞ。

 しかも、父親が娘に「お母さんと一緒に車に残っていなさい。一歩も外に出ちゃダメだ」というのに、このバカ娘はさっさと父親の後を追って車の外に出ちゃって、その結果、彼らは離ればなれになるんですよ。このバカ娘ちゃん、死亡フラッグを何度立てれば気が済むんでしょうか。こいつの顔を見るたびにイライラしてきます。

 おまけに、最後の方ではピレネー山脈のふもとで無事に母親と再会しちゃう、というあまりにも出来すぎの展開にもう笑う気力もありません。

 それと、生き延びている人たちが食料と飲み水をどうやって調達したのか、全く説明されていないのもおかしいし、衝突から数ヶ月後に出会った男の一人が、タバコをくわえてライターで火をつけるシーンがあり、これには苦笑するしかありません。どこでタバコを売っていたんでしょうか?


 あと、いろいろな現象を科学的に説明する博士たちに全く緊迫感がないのも興醒めですね。例えば、最初の方に登場する「核ミサイルで彗星を破壊する計画」のトップは、「18ヶ月というのは余りに短く、この計画は失敗に終わるだろう」と最初から言っているのはいいとしても、それで取り乱すでもないし、地球を巨大彗星が直撃するとわかってからも冷静です。まるで地球を外から眺めているみたいな感じで、これは登場する「科学者」全員に言えます。だったら最初から、「これは単なるシミュレーションです」って言うべきでしょう。


 アメリカのパニック映画のお約束として、「バラバラになった家族が一つにまとまる」というエピソードを入れたんでしょうが、アメリカンな方々はこういう「家族の再会シーン」がないとパニック映画じゃないよね、と思っているんでしょうか。私の感覚からすると、主人公一家は何が起きても絶対に助かって、しかも最後に再会できるとわかっている、というのがこの手の映画の最大の弱点なんですよ。スリルとサスペンスが売りのディザスター・パニック映画なのに、この一家の周囲だけ、危険の方で避けて通っていってくれるんですから、スリルもなければサスペンスもなく、おまけにラストシーンが最初から目に浮かぶ始末です。アメリカンな映画監督はなぜここまで「パニック映画と言えば一家の再生」というワンパターンに固執するのか、全く理解できません。このワンパターンが映画を詰まらなくしていることになぜ気がつかないんでしょうか。

(2012/12/30)

Top Page