新しい創傷治療:デビル

《デビル "Devil"★★★(2010年,アメリカ)


 ナイト・シャラマン監督は《シックス・センス》で有名なんだけど,その作品は毀誉褒貶が激しいことでも有名です。以前,このサイトでも《ハプニング》という映画を紹介しましたが,「最初はすごく面白いのに,尻つぼみになっていき,最後は何だか訳が分かったようなわからないような微妙な結末を迎える」と言う感じの作品でした。そういうシャラマンが数年前に監督業から引退して,彼の原作・アイディアをもとに若手が映画化するという「ナイト・クロニクルス」という企画を立ち上げるんですが,今回の《デビル》はその記念すべき第1作目とのことです。

 80分と短くてしかもテンポがよく,登場人物がそれぞれキャラがたっていて,起承転結も「そこそこ」納得でき,映像もなかなか凝っていて,見て損はないレベルの作品であることは間違いないです。ただ,「神と悪魔」をテーマにしているので,現実に殺人事件が起きているのに,犯人は「悪魔」ということになって「オカルト丸投げ状態」で終わりますから,そこら辺が納得できない人間には何とも消化不良で終わっちゃったなぁ,という感じが強いと思います。逆に,神様とか悪魔が実在すると信じている人には,こういう映画は面白いんでしょうね。


 舞台はフィラデルフィアの高層ビル街。とあるビルから一人の男が窓を破って身を投げ,投身自殺する。現場に直行したボーデン刑事は,死体が手にロザリオを握りしめていることから自殺と断定し,彼が身を投げたビルを捜し当てる。

 そのころ,そのビルの1台のエレベーターが突然停止してしまう。ビル警備室はすぐに異変を察知し,エレベーター内に連絡を取るが,こちらからの音声は伝わっていて監視カメラも作動しているのに,なぜかエレベーター内の音が聞こえない。中に閉じこめられているのは5人の男女,ベッドのセールスマン,このビルの新米警備員,老女,若い女性,そしてアフガニスタン帰りの整備工だった。もちろん,5人はたまたま乗り合わせただけで互いの顔すら知らない。

 ビル警備室はエレベーターを動かそうとするがなぜかエレベーターは動かない。そうこうしているうちに,エレベーターの明かりが突然消え,若い女性の悲鳴が聞こえる。再び照明が点くが彼女は背中に傷を負っていた。彼らは次第に疑心暗鬼に陥っていき,いがみ合うようになる。そして,再度照明が消えて鏡の割れる音がし,明かりがつくとセールスマンが倒れていて,首にガラスの破片が突き立てられていた。その様子を監視カメラで見ていた刑事は殺人事件として,犯人を探るべく5人について情報を集めていく。

 そして5人の前歴などが明らかになるが,エレベーターの中では一人,また一人と死者が増えていく。しかし,屋上からエレベーターに入ろうとした整備士は墜落しするし,電気のショートを発見した警備員は感電しする。そして,エレベーターでは3人が死に,残った2人は互いに殺そうと鏡の破片を握りしめ・・・という映画です。


 映画は冒頭からセンスがいいです。フィラデルフィアのビル街の風景なんですが,上下逆さまです。それだけで,すごい違和感というか,普段見慣れた風景がまるで違って見えるんですよ。たったそれだけなのに,強いメッセージ性を感じる映像です。監督の並々ならぬ手腕が読みとれます。

 そして,投身自殺の男が車の屋根に激突するシーンとなりますが,一番近くにいた清掃係の男はヘッドフォンをしているので気がつかないのです。何とも見事な導入です。そして,例の5人が乗り合わせる経緯とか,5人の正体(?)が次第に明らかになっていく過程とかもわかりやすいし,5人の人間性も言動などから十分に伝わってきます。このあたりも上手いです。

 そして,エレベーターに閉じこめられるのですが,凡庸なソリッドシチュエーション映画だとエレベーター内部だけを舞台にしてしまって単調になりますが,この映画では外部からのレスキューの様子や,事件の背景を必死に探ろうとする刑事の動きとか,ビル警備室の様子とかが同時に描かれるため,単調さは微塵もありません。


 と,ここまでは絶賛映画ですが,最大の問題は「悪魔の召集」というテーマをどう位置づけたらいいのか,いまいち戸惑ってしまう点にあります。どうやらこの映画監督やシャラマンにとっては,神も悪魔も実在する物らしいのです。だから,実在する悪魔の仕業でこのような事件が起こるのは当たり前ですよね,というスタンスになります。

 でも,私にとっては神様も悪魔も想像上のものであって,ドラゴンとかペガサスとか魔法の国とかお菓子の家の魔女と同じレベルです。つまり,神様も悪魔もおとぎ話レベルであって,現実とは接点はありません。現実にいるライオンと,想像上のドラゴンは別物です。そんなの当たり前です。


 ところが世の中には,想像上のおとぎ話と,現実がゴチャゴチャになっている人がいるらしく,そういう人が映画監督になって映画を撮るとこういう作品になります。だから,映画監督にとってはリアルな世界で起きる出来事を映画にしただけですが,悪魔は現実にいないとわかっている観客が見るとその映画はファンタジー映画かおとぎ話映画でしかありません。つまり,映画の作り手と鑑賞者側で,映画で起きている事件(この映画では殺人事件)と現実との距離感がまるで違うのです。

 これは要するに,「ドラゴンが襲ってこないように防護ネットが必要だ」と真剣になって予算申請している人を見て,「将来の危機を真剣に考えている真面目な人」と考えるか,「電波系の可哀想な人」と考えるかの違いです。これは,悪魔払い系の映画を見たときにいつも感じる違和感ですね。


 あと気になったのは,最初の投身自殺した人がなぜ自殺したのか,最後まで明かされないことです。「悪魔がやってくることを予感して・・・」というような説明だったと思いますが,これで納得しろといわれてもなぁ・・・。

 それと,5人は確かにロクデナシですが,そのためにわざわざ5人揃えてセッティングするほどの悪党かというと,違うような気がします。この程度の小悪党5人を集めるくらいなら,もっと巨悪を懲らしめて欲しいものです。小悪党5人を相手にするほど悪魔さんは暇なんでしょうか。

 さらにいえば,5人は悪党だとしても一人ずつ殺す意味はないですよね。どうせ最後は「魂を奪う」わけですから,5人集めて一気に殺したって結果は同じです。悪魔さんの考え方がよくわかりません。


 と言うわけで,悪魔が実在していると信じている人にとってはすごく面白い映画ではないかと想像します。

(2013/04/12)

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