拷問のようにつまらないイタリア映画。多分,映画の作り手側は「人間の根元に迫る哲学的な映画なんだけど,みんな分かってくれるかなぁ? これが理解できる感性の持ち主は少ないかもしれないけど,分かる人には分かるはずさ」と考えているはずです。あるいは,「こんなにスタイリッシュでしかもテツガクに満ちている映画なんだから,世界中の映画賞を総嘗めしちゃうんじゃないか?」くらいの気持ちでいるかもしれません。
とにかく,何が起きていて,何が起きていないのかがわかりません。Banishing Twin をテーマにしたサスペンス・ホラー映画だという知識なしに見ると,この映画はいったい何を描こうとしたのかも分かりません。要するに,理解を拒絶しています。
ストーリーらしいものは何となく分かりますが,断片的に過去の映像や記憶がフラッシュ・バックのように挟み込まれ,いかにも意味ありげな短いショットが連続するだけで,映画というよりは映像をつなげただけのビデオ作品といった方がいいです。映像としては悪くないけど,映画になっていません。
言っちゃ悪いけど,この映画の監督のアレックス・インファセリさんは映画作りの基本的な資質が欠けているとしか思えません。リズム感のない演奏家,運動神経ゼロのスポーツ選手,味覚音痴の料理人みたいなものです。
無人島に5人の少女を乗せた船が到着する。乗っていたのはオリヴィア(キアラ・コンティ),クリスティーナ(オルガ・シュヴァロア),ニコール(マンダラ・タイド),アナ(アナポーラ・ムシカーディス),そしてサマー(クレア・ファルコネル)。船を降りた5人はアナの持つ別荘に向かう。船が迎えにくる1週間後までその島に閉じこもって断食療法(?)を行い,過去の自分と決別するためだった。やがて5人の「水だけ」生活が始まる。
オリヴィアは実は banishing twin 現象(妊娠初期に双生児の片方が流産し,残った子に吸収されること)で生まれたという過去があり,本来なら自分の代わりに生まれたはずの「ヘレン」のことを常に意識しながら暮らしていて,夜になると日記にヘレンに語りかける文章を書いていた。
だが,その秘密の日記をクリスティーナたちに見つけられて笑い物にされ,しかも4人はこっそりとお菓子などを持ち込んでいて,オリヴィアに隠れて食べていた。それを知ったオリヴィアの中で何かが崩れていき,「ヘレン」が覚醒する。そして,惨劇の幕が切って落とされる・・・という映画です。
という感じにストーリーは要約できますが,これで正しいかどうかわかりません。「多分,オリヴィアの中のヘレンが目覚めて入れ替わっちゃう映画だよね」と理解していますが,もしかしたら違っているかもしれません。映画の中では抽象的なイメージ映像が羅列されるだけで,具体的なものは何一つとして説明されないからです。
会話も意味があるんだかないんだか分かりません。最後の方でのオリヴィアとクリスティーナの会話なんてスゴいっすよ。
▲オリヴィア・・「(私)2年間水しか飲んでいない」
■クリスティーナ・・「何を言ってるのか分からないわ」
▲オリヴィア・・「分からない?・・・私にも分からないわ」
もう完璧に電波系っすね。
だいたい,映画の出だしからヤバいんですよ。無人島に向かう船から島を映した映像が,単調な音楽をバックに延々と3分くらい続くんですよ。出演者の名前とか監督の名前が流れるんですが,このツカミの部分からして猛烈につまらないのです。冒頭から観客のあくびを誘ってどうするんだよ,と思いますね。この3分間ですれっからしの映画ファンは「この映画は地雷原っぽいんじゃない?」と危険を察知するはずです。
それと,エンドロールで「banishing twin とは嚢が現れる期間に生じ,妊娠3ヶ月の間に双生児の一方が消える現象。生き残った胎児は死んだ胎児の残骸を吸収。消えた双子の存在は,この残骸で分かる。元来,妊娠の8分の1が双生児なのだ。あなたは,双子の生き残り?」というテロップが流れますが,これはどう考えても映画の冒頭に持ってくるべきですよ。映画を見終わって初めて「そうか。この映画はそういう意味だったのか」って気がついても意味がないです。このあたりにも,映画監督のセンスの悪さがよくわかります。
あと,映画作りの手際の悪さは,登場人物が5人しかいないのに,5人の名前が判明するのは映画も後半の60分過ぎで,おまけに,4人の友人たちの人物像も描かれていなければ,それぞれの人間関係も説明していません。普通なら,映画の早い段階で,5人の名前と性格を手際よく説明し,オリヴィアと他の4人の過去について会話の中から浮かび上がらせる,なんて工夫をしますよね。というか,これは映画のイロハですよ。
「やればできる子」という言い方がありますが,この映画監督は「やらせてみたけどできない子」という感じでしょうか。
(2013/06/20)