新しい創傷治療:

《ストーム・シティ "Die Sturmflut"★★★(2006年,ドイツ)


 ドイツで作成されてテレビ向けのパニック映画。これは1962年2月16日から17日にハンブルクの街を襲い死者350人の犠牲を出したハンブルク大水害(北海大水害)をテーマにした映画で、テレビ映画とは思えないほどの迫力ある洪水場面が連続します(ドイツのテレビ映画には迫力ある作品が非常に多いですが・・・)。水没したハンブルクの街の様子(ヘリコプターからの俯瞰映像は2002年のエルベ川大洪水の際の映像?)は非常にリアルで、どうやって撮影したのか不思議になるくらいです。この街は歴史的に、エルベ川の中州を埋め立てて作られたもので、低気圧による海水面の上昇や大雨で容易に水害が起きてしまうようです。

 ただ、そのあまりの迫力ある洪水シーンと、主人公たちだけは必ず生き残るというパニック映画のお約束がぶつかっちゃって、見ていて「なんでこれほどの濁流に巻き込まれて君たちだけが都合よく助かっちゃうの? なんでヒロインはケガ一つしないの?」とツッコミを入れたくなるんですね。そりゃあ、大災害にも巨大モンスターにも負けないのが「主人公」ですけど、ここまでやっちゃったらもうお笑い寸前でしょう。

 それと、ヒロインを巡る三角関係やら親子の情愛やらに比重をかけ過ぎて、全体に散漫な感じになってしまいました。パニック映画なんだけど厚みを持たせたい、という時に、このような人間ドラマを絡ませるのは定石ですが、ここまで濃厚にしてしまったら、単なる昼メロではないかと・・・。


 1962年2月15日、ハンブルク海洋気象台はアイスランド上空で急速に発達するサイクロンに危険なものを感じていた。そのサイクロンは、気象データも集めている海洋石油掘削基地「フリーダ1」に向かって一直線に進み、フリーダ1はサイクロンの直撃を受ける。

 2月15日、ハンブルクの街は平穏だった。長い出航から久し振りに港に戻った船乗りのヨルガン(ヤン・ヨーゼフ・リーファース)は父親の入院する病院に向かい、主治医のマルクス(ベンノ・フュアマン)に容態を聴くが、そこでマルクスの口からカーチャ(ナディア・ウール)と明日、結婚式を挙げると告げられる。カーチャはヨルガンの元恋人で、ヨルガンは彼女との結婚を望んでいたのだ。

 翌日、カーチャとマルクスの結婚式が行われるが、この時、フリーダ1から緊急事態を知らせる情報がハンブルク市の防災担当者に届くが、防災担当者は「前回の警報の際、7回も避難勧告を出したのに何も起きなかった。人々が勧告を無視したときに大洪水が起きた」という過去の体験から、まだそれは緊急事態ではないと考えていた。しかし、すでにその時、エルベ川の堤防は決壊し、海水は逆流してハンブルクの市街を飲み込もうとしていた・・・という映画です。


 前述のように、洪水のシーンはかなりの迫力です。特に、水没したハンブルクの街の中をボートで救出に行くシーンとか、ヘリコプターで救出するシーンなどは、街全体のセットを組んでそれを水没させたの? というくらい本格的です。カーチャと彼女の息子が洪水に巻き込まれるシーンもかなりリアルです。だから逆に、二人が助かってしまうのが「これって不自然だよね」となってしまったわけですね。

 カーチャとヨルガンとマルクスの三角関係はよくあるパターンです。ヨルガンが長期出航して連絡も寄越さないもんだから、カーチャは自分が捨てられたと考え、安定した人生を望んで医師のマルクスと結婚することを選んだわけです。しかも、既にカーチャはヨルガンの子供を身ごもっていて、それを隠してマルクスと結婚し、マルクスは産まれた子供を我が子として愛しているわけですよ。
 しかも、大水害の避難所となった教会で、カーチャの母親は「実はヨルガンからの手紙を隠したのは自分だ。ヨルガンでなく医者のマルクスと結婚して欲しくて・・・」なんて告白するわけですよ。でもって、カーチャ(とヨルガン)の子供が洪水に巻き込まれたときに頭蓋骨骨折を受傷し、ペニシリンGを注射しないと死んでしまうので、ヨルガンとマルクスは市内の薬局にボートでペニシリンを探しに行き、そこで爆発事故が起きてヨルガンが動けなくなるんだけど、マルクスは子供を助けるためにヨルガンを見捨てちゃうんですよ。
 でもって、ヨルガンは自分を愛し続けていると知ったカーチャは、彼を助けるために薬局にボートで向かい、それをマルクスが追いかけるんですよ。もう、ズブズブの愛憎劇でございます。

 最終的に、カーチャはヨルガンを選び、息子と3人の生活を選択し、マルクスは身を引くんですが、なんだか一方的にマルクス先生が可哀想になってしまいます。何しろ、マルクス先生には何一つ落ち度がないんだもの。たぶん、あの薬屋さんのシーンでヨルガンかマルクスのどちらか一人が死んでいた方が、ラストはすっきりしたんじゃないだろうか。


 それと、フリーダ1のシーンもかなり力を入れていて、ここでも一つのロマンスが生まれますが、これははっきり言って余計なエピソードではないかと・・・。フリーダ1の二人は、カーチャやヨルガンと無関係の人物であって、最終的にはハンブルク市の防災担当者に緊急事態であると伝えるだけの役目なんですよ。このあたりはバランスが悪いですね。

 あと、途中から唐突に登場するカーチャの弟のステファン(ロン毛のお兄ちゃんです)の行動もなんだかあぁ・・・。勝手に軍(?)のゴムボートに乗り込んで家族を探しに行き、なぜか偶然、妊婦さんを発見して助け、二人で屋根に登って救援ヘリを待つんですが、このヘリに乗っているのはカーチャとステファンの父親(ヘリコプター乗りで救助の現場の陣頭指揮を執っている)なんですよ。で、いろいろあって、妊婦さんとステファンは助かるんだけど、父親は死んじゃうのですね。で、最後のシーンでは生まれたばかりの赤ん坊を連れた妊婦さんがステファンに「名付け親になって」ってお願いして、何となくめでたしめでたしなんですが、どう考えても父親の死亡の原因はステファン君の身勝手な行動が原因ではないかと・・・。名付け親になってニコニコしている場合ではないような気がするんだけど・・・。


 という映画でございました。

(2013/08/23)

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