新しい創傷治療:ON AIR オンエア 脳・内・感・染

《ON AIR オンエア 脳・内・感・染 "Pontypool"★★ (2008年,カナダ)


 カナダの映画といえば,とんでもない傑作(例:《灼熱の魂》,《レッド・バイオリン》)があるんだけど,それ以外は地味で暗くてなんとなく中途半端,というものが多いです。今回紹介する映画は残念ながら前者ではありません。

 一言で言えば,「ゾンビが(ほとんど)登場しないゾンビ映画」で,映画の舞台は田舎のラジオ放送局の部屋の中だけ,登場人物は4人のみ(声のみの出演者を入れても6人くらい)という,かなりの低予算映画ですが,アイデア自体は秀逸で,外部から知らされる情報のみで「外の世界」で何が起きているのかを描こうという試みは見事です。ちなみに,同じような設定のゾンビ映画としてはアメリカ映画の《レディオ・オブ・ザ・デッド》がありますが,こちらの方は2009年公開なので,もしかしたらこのカナダ映画がヒントになったのかもしれません。いずれにしても,こういう設定のゾンビ映画が作れるということ自体,私は素晴らしいと思います。

 また,ゾンビといえばウイルス感染ですが,今回のゾンビ・ウイルスはなんと「言葉」で感染するんですよ。このアイデア(原作はトニー・バージェスの『Pontypool Changes Everything』という小説)も斬新です。なるほど,こういう設定もあったか,という感じです。ただ,「言葉で感染」という設定は斬新すぎて,「言葉を使ったウイルス退治」のあたりまで行っちゃうと,哲学なんだか単なる言葉遊びなんだかわからない世界に迷い込んでしまい,さすがについて行けない感じ担ってしまったのは残念。

 あと,エンドロールの後にある白黒画面の二人の会話が全く意味不明。この映画と関係ないよね,この映像は。多分,このワンシーンはないほうがよかったと思いますね。


 舞台はカナダのオンタリオ州にある田舎町ポンティプール。この街のローカル・ラジオ局で人気のDJがマージー(スティーヴン・マクハティ)だが,放送する内容といえば,犬がいなくなっただの,学校のスクールバスの到着時刻など,そういうものばかりで,過激なDJで鳴らしてきたマージーには物足りない。そして,このラジオ局のスタッフは,女性プロデューサーのシドニー(リサ・フール),エンジニアのローレル・アン(ジョージナ・ライリー),そして町でニュースを拾うレポーター(?)のケン(リック・ロバーツ)だった。

 いつものようにマージーはマイクに向かっていたが,そこにケンから「銃を持った男たちがバンを包囲し,人質事件が起きている」という連絡が入り,その後,「メンデス先生(フラント・アリアナック)の診療所に何百人者住民が押し寄せ,暴徒化しているようだ」という緊迫した声の電話がある。そして,リスナーたちからも以上を知らせる連絡が入り始める。どうやら,町で何かが起きているらしい。しかし,町の警察当局からは一切公式発表はなく,情報も流れてこない。

 不安にかられるマージーたちの前に,群集たちから命からがら逃げてきたメンデス先生が現れ,町で何が起きているのかを伝えてくれる。彼らは短い言葉を繰り返し喋りながら,人間に襲いかかっては死体をむさぼり食っていた。それは「英語で感染するウイルス」による感染だった・・・という映画です。


 「英語で感染するウイルス」という設定,ちょっと想像できないですよね。ましてはこの映画のウイルスは「頭で言葉の意味を理解することで増殖する」のですよ。言語学系哲学を先行する大学院生あたりが考えたのかな,と考えてしまうほど観念的な設定で,ウイルス感染という極めて現実的な現象を説明するにはかなり弱いというか,無理っぽい感じです。どうせなら,「特定の文字列を聞くと発症する脳の病気」くらいにして無理がなかったのに,と思ってしまいます。あるいは,ウイルスが脳に感染し,特定の音列に過剰反して暴れだす,とかね。

 英語で感染する,という設定がカナダ映画では面白いことになります。カナダなら,英語が危ないならフランス語で会話する,という選択肢があるからです。そして映画でもマージーとシドニーはフランス語で会話して活路を見出そうとします。日本映画には絶対ない設定ですね。もしも日本でリメイクしたら,「標準語で感染するけど,津軽弁や熊本弁では感染しない」という設定になるかも・・・。これはこれでシュールな映画になりそうで面白いかも。

 そして,映画の後半では「言葉を聞くと理解しようとして,ウイルスが増殖する。それなら,言葉から意味を奪えばいいんじゃないのか」とか,「言葉を耳で聞いても理解できなければいいのかも」とか,そういう観念論的な方向にどんどん突っ走っていきます。というか,このあたりまでくると,観客を置いてけぼりにして暴走しまくりです。シドニーが「Kill(殺す)」という言葉に囚われて繰り返ししゃべるのを,マージーが「Kill is Kiss」という意味を成さないフレーズに言い換えてすくんですが,なんでこの程度で助かるのか,多分,誰も理解も納得もできないと思います。


 というわけで,「ラジオ,ゾンビ,英語」という三題噺のような映画でした。異色のマイナー映画が好き,というニッチな人だけ見て下さい。

(2013/11/28)

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