以下は,本書と関係ない私の雑感である。
カトリックとプロテスタントでは,どちらの方が自由だろうか,どちらの方が華やかだろうか。なんとなく,「ローマ法王を頂点とするガチガチの宗教集団がカトリック」vs 「そういうカトリックを否定したプロテスタント」という風に考えると,プロテスタントのほうが自由闊達に思えるが,実は自由で遊びのある文化を生み出したのはカトリックの方であり,プロテスタントの文化は謹厳実直,沈鬱重厚なのだ。
このあたりは,カトリック文化の絵画・音楽と,プロテスタント文化の絵画。・音楽を比べてみるとよくわかる。例えば,全く同時代人のイタリアのスカルラッティとドイツのバッハではまるっきり違っているのだ。スカルラッティはあくまでも華麗で軽快で明快で感覚的だが,バッハの音楽は重厚で理詰めで四角四面だ。同様に,建造物として教会を見ても,華麗なのはカトリックの教会,重々しくて暗い感じがするのはプロテスタント教会の方である。もちろんこれは,陽性の南ヨーロッパ(カトリック)と陰性の北ヨーロッパ(プロテスタント)の文化の違いという面もあるが,その文化を生んだのは紛れもなく宗教なのである。
なぜそうなるかというと,カトリックの全否定から生まれたのがプロテスタントだからだ。プロテスタント運動を始めたマルチン・ルターにとってカトリックは敵であり,倒すべき目標だ。「カトリックの考えにはいいところもあるが,おかしな部分もある」なんて生半可なことを言っていてはカトリックは倒せないのだ。だからルターはカトリックの教義の全て,典礼の全て,そしてシステム全体を否定したわけだ。カトリックのすべてを否定することでしか,「新しい宗教(=プロテスタント)」の正しさを証明できないからである。そのために,いかにカトリックの教会が腐敗し,ローマ法王が信徒を抑圧・搾取し,彼らがいかにイエスの言葉に背いていたかを証明する必要があったわけだ。
例えば,カトリックがローマ教皇を頂点におくピラミッド構造をしているのであれば,自分たちは聖職者である牧師はいても牧師間の上下関係をつけない,とするのだ。カトリックの神父が結婚できないのであれば,プロテスタントの牧師は結婚できるようにするのだ。カトリックが自由放埓なら,自分たちはその逆の抑圧的で重々しくしなければいけない。要するに,何から何までカトリックの逆をやればいいのである。このようにして,プロテスタントの教義はカトリックよりストイックなものになっていった。
では,「ルターの改革はまだ手ぬるい。俺たちはもっとピュアな信仰に生きるべきだ」と考える一派がいたらどうなるだろうか。この場合,彼らの攻撃対象はカトリックではなくプロテスタントである。だから方法論としては,「ルターの改革は中途半端だ。俺たちはもっと徹底している」と主張するわけである。当然,ルターの教義よりもっとストイックな教義が必要になる。
アメリカを作ったのは,イギリスに誕生したピューリタン(清教徒)と呼ばれるキリスト教宗派の信徒たちだった。当時のイギリスの宗教はイギリス国教会だが,この宗派はヘンリー8世が離婚したいがために作った宗教で,その実態は「離婚ができるカトリック」であり,一応プロテスタントに分類はされるが,その実態は「プロテスタントの最保守」なのである。それに対して,これはプロテスタントの皮をかぶったカトリックではないか,と文句をつけた連中がピューリタンなのだ。当然,その教えはイギリス国教会の全否定になり,先鋭的なものになる。
かくしてイギリスで清教徒(ピューリタン)と呼ばれる宗派が誕生したが,それは誕生したと同時に,会衆派,長老派,バプチスト派,クエーカー派などの小グループに分裂していった。会衆派は主流派である長老派を批判してより徹底した改革を目指したし,その会衆派の中でさらに急進的な改革を目指したのがバプチストという宗派だった。一方,ルターは「聖職者である牧師が信者を指導するが牧師間の上下関係はない」,というシステムを作ったが,長老派は聖職者でない一般信徒の代表(長老)が教会運営に参加する,という改革をした。しかし,「それでも手ぬるい,人間の精神に宿る霊と神が直接語りかけてくることが重要なのだ,だから教会組織も牧師も不要である」と考える一派まで出現し,それがクエーカー教徒となった。こういうクエーカーの教義まで来ると,一つの宗派として維持できるのか心配になってくるが(何しろ,組織もリーダーも否定しているのだから・・・),本人たちは至極まじめであり,これこそが神とつながる唯一の方法だと信じていたのだ。
先鋭的といえば聞こえはいいが,ルターのプロテスタントよりさらに急進的になり,要するにカルト集団である(・・・ま,すべての宗教はカルトだ,という言い方もできるが・・・)。イギリスというプロテスタントの最保守の地に急進的カルト教団ができたわけだから,迫害されるのは当然といえば当然である。
そして,迫害されれば意固地になるのが人情である。迫害されているのは多数派(の宗教)が自分たちの信仰を恐れているからだ,自分たちが正しいからこそ(誤った信仰をする)多数派は迫害しているのだ,と自己正当化するわけである。宗教(特に一神教)とは本質的に,自分の神だけは絶対に正しいということを前提にした思考システムだからだ。だから,迫害されることでカルト集団はより急進的になり,信仰はストイックになっていく。
そういうピューリタンたちが自分の信仰を守り,理想の信仰生活を送ろうとしたら,唯一の解決策は誰もいない新発見の大陸に揃って移住し,信仰三昧の生活をするしかない。だから彼らはメイフラワー号に乗って大西洋を渡ったわけである。いわば,カルト集団が集団移住して国を作ったようなものだ。そして,信仰する宗派ごとに別々に街を作って集団生活したのだ。それがアメリカの始まりと言える。
ちなみに,そのようなアメリカでも長い間,バプチストとクエーカーは異端視されて迫害されていたのだから,これらの宗派の教義がカルトの中でもかなり特異なものだったのだろう。
いずれにしても,カトリックの否定としてのプロテスタント,そのプロテスタントの否定としての新宗派,さらにその否定としての・・・と,新しい宗派ほど教義は極端なものとなり,どんどんストイックになる傾向がある。いわば「ストイック競争」の様相を呈してくる。
すべての宗教がそうなのか,といわれると困るが,少なくともキリスト教に関して見ていくと,新宗派の誕生は「ストイック競争」であったことは間違いないと思っている。
このストイック競争は恐らく,キリスト教というより,一神教に特有のものではないだろうか。一神教は要するにこの世を二つに分け,こちらの神が正しくて他の神は間違っている神だ,という考えである。黒か白か,と二分し,曖昧さを許さない思考法である。曖昧さを許さないから,AでないならBしかない,と極端に走りやすい。
そして,もともと宗教とは自分の信仰対象が正しい,自分の信仰は正しいということを前提にしなければ成立しないものだ。だから,「もしかしたら自分の信じているものは間違っているかもしれない」という発想は絶対に生まれない。しかもそれが一神教なら,「自分の神だけが正しい」ことが大前提なのだ。
だから,端から見ていると目くそ鼻くそ,五十歩百歩の差異も許せなくなり,微細な違いでも大問題となり,妥協の余地はなくなる。妥協点がないから極端な教義の方がかえって受け入れやすくなってしまう。他との差異を作らなければいけないから,むしろ極端な方が都合がいいのだ。これが,一神教で「ストイック競争」が起こる理由ではないかと思う。
さらに,次回に続くのだ。
(2009/12/29)