評価が難しい本である。本書は,これまでの惑星学,惑星物理学がたどってきた歴史の解説書としては悪くないと思う。そういう知識を得るには過不足ない良書である。しかし,本書のタイトルが示す「太陽系には未知の惑星があり,しかもそれは今後10年以内に発見されるであろう」という最新の知識を得ようとして手に取ったなら,その期待は裏切られるからだ。要するに,本来,著者らが書きたかったであろう内容がなぜか,本書に盛られていないのである。なぜこのような本になってしまったのかを,「本の書き手」の側から推理というか邪推してみようと思う。
科学関連の仕事をしていて,自分なりの研究テーマがあり,それなりの研究成果を持っている人なら誰しも,一度でいいから一般向けの本を書いてみたい,この研究成果を一般の人にも知って欲しいと思ってことがあるはずだ。しかし通常,そういう機会は滅多にない。だから,出版社から「こういうテーマで本を書いてみませんか?」と申し出があったら,すぐに飛びつくはずだ。この機会を逃したらもう次はないかもしれないから当然である。
そして原稿を書き始めるのだが,最大の問題は「一冊の本を埋めるだけの原稿がなかなか書けない」ということだと思う。例えば本書は180ページで,1ページは41字×14行という体裁をとっているから,恐らく生原稿は原稿用紙200〜210枚くらいだったと思われる。つまり,180ページの本にするためには,最低限でも原稿用紙200枚を文字で埋める必要があるのだ。しかし,自分の研究結果と研究分野の説明を書いただけでは,どう頑張っても原稿用紙50枚埋めるのが関の山である。しかし本にするためには,何が何でも,あと150枚は書かなければいけない。
ページを増やすのに一番簡単なのは,文字サイズを大きくすること,左右上下の余白を広めに取ることだ。もちろん,説明図や表やグラフを多用するのも効果的だが,一般向けに説明図を新たに作り直すのは結構手間である。小説なら「会話を多用する」「改行を多用する」という手も使えるが,科学書ではこの手は使えない。
ではどうするか。こういう場合には,その分野の科学が過去から現在までどういう風に進んできたのか,どういう研究者がいたのかをまとめるのが一般的だ。もちろん,読み手が一般読者のため,そういう歴史的流れをまとめは読み手へのサービスになるし,より理解を深める手助けにもなる。
そして書き手側にとっても,この「過去の歴史のまとめ」は原稿用紙を埋めるのに非常に効果的な手段なのだ。何しろ歴史という奴は遡ろうと思えばいくらでも遡れるのだ。天文学関連だったらそれこそ,古代エジプト文明での天文観,古代シュメール文明での天文観,古代中国文明での天文観などいくらでもネタは転がっているし,天動説から地動説への変遷とか,望遠鏡の発明とか,屈折望遠鏡の原理とか,話はいくらでも広げられる。しかも,それらは自分で改めて資料を引っ張り出す必要はなく,過去に書かれた本を幾つか引用するだけで何とかなる。「原稿用紙を埋めるのに最適」とはそういう意味だ。
というような「邪推」はひとまず忘れ,本書を見てみよう。
本書の著者は,太陽系外縁天体に未知の惑星が存在する可能性を理論的に導き出した研究者で,これは当時,マスコミでも大きく取り上げられた発見だった。
「太陽系外縁に新惑星の可能性,神戸大」
しかも,未知の惑星は1個ではなく複数個ある可能性もあり,これまで考えられてきた太陽系の概念を大きく変える理論であり,著者は今後10年以内に実際に観測されるだろうと予想しているのである。科学好き,天文学好きにとってはワクワクするような内容である。
では本書はどうなっているか。前述のように180ページの本なのだが,著者らの新理論を説明する部分はなんと最後の40ページだけなのである。さらにその最初の8ページくらいは二人の著者が天文物理という分野に進んだ経緯と過去の回想が書かれているため,実質的な「新理論の説明」は30ページ足らずに過ぎないのである。
そしてこの部分を読んでみても,これらの未知の惑星が外側の軌道に移動していく過程がいまいちわかりにくいのだ(もちろん,私の知識不足が原因なのだが)。恐らくこの理論は動画付きでなければ説明が難しい類のものだと思うし,動画で見ながら説明してもらえば,わかりやすい理論なのではないかと思う。実際にNHK教育の「サイエンスZERO」で特集されて放送されたのもそれを裏付けている。
恐らく,そのテレビ番組を見ていた講談社の編集者が執筆を依頼したと思われるが,著者は途中まで書き進め,「これは文章と絵だけでは説明するのは絶対に無理だ」と感じたのではないだろうか。例えば,本来なら本書の白眉となるはずだった「エッジワース・カイパーベルトの起源と進化の新モデル」の説明図にしても,これで理解できる人はほとんどいないはずだ。なぜかというと,これは複数の天体が相互に影響を与えつつ移動していく複雑で動的な過程だからだ。コンピュータでシミュレーションを行い,それをアニメーションで示すのに最適な現象なのだが言葉と静止画で説明しきれるものではないのだ。
その意味で,本書は本来「DVD付き書籍」とし,文章は原稿用紙50枚程度にして出版すべきだったと思う。
だが,幸か不幸か,新書での出版だった。つまり,使える表現手段は文章とイラストしかない。まして,それだけで原稿用紙200枚を埋めるのは不可能だ。そこで恐らく著者は過去の歴史を説明することにした(・・・と想像する)。アリストテレスの宇宙観から説き起こし,天動説がどのようにして成立したかを説明し,それに対してコペルニクスとガリレオがどう考えたのかを詳細に解説する。チコ・ブラーエとその弟子であるケプラーのちょっと複雑な人間関係も書かれているし,天王星を発見したハーシェルが実は音楽家で,ハイドンやモーツァルトに影響を与えたほどだった,というのは私も初めて知ったことだ。その他にも「火星には運河がある」と発表したローウェルが実は日本を訪れて能登半島のファンになり,能登半島を紹介する本も執筆し,それを読んだラフカディオ・ハーンが日本に興味を持った,なんてエピソードも楽しいものだ。これらに限らず,本書の「惑星と衛星と彗星発見の歴史」の解説部分はちょっと使える一口メモ的知識が満載である。
しかし,そういう満載の知識が本書のメインテーマである新理論の理解には結びつかないことに問題があるのだ。要するに,前半の140ページはページを埋めるためのネタにしかなっていないのだ。だから,最後の40ページを読み終えても圧倒的な読後感が得られないのだ。
そういうわけで,これまでの「太陽系の発見」の歴史のまとめとしては非常によく書かれているし,変わりつつある太陽系の概念に触れるにはよい本だと思う。ただ,肝心の著者らの新理論を理解するには本書だけでは無理だ。それが唯一の欠点だと思う。
(2009/02/06)