不快なものには近寄らない,危険であれば逃げていく,この単純きわまる行動原理こそ,高い移動能力を発達させてきた動物の生きる基本戦略。サルや類人猿たちは,あまり大きくない集団を作り,一定の遊動域の中を移動して暮らしている。集団を大きくせずに遊動域を防衛することで,個体密度があまりに増加するのを押さえ,そして頻繁に移動することによって環境の過度な荒廃を防ぎ,食べ物にありつき,危険から逃れるのだ。このようにして霊長類は数千万年にもわたって自らの生きる場を確保してきた。人類もまた長く,定住することもなく,大きな社会を作ることもなく,希薄な人口密度を維持し,したがって環境が荒廃することも汚物にまみれることもなく,人類は出現してから数百万年を行き続けてきた。

 ある時から人類の社会は,逃げる社会から逃げない社会へ,あるいは,逃げられる社会から逃げられない社会へと,行き方の基本戦略を大きく変えた。これが「定住革命」だ。 。

 今からおよそ1万年前,人類以前からの伝統であった遊動生活を捨てて定住生活をはじめた。その後,短時間のうちに,食料の生産が始まり,町や都市が発生し,道具や装置が大きく複雑になり,社会は分業化され階層化された。これらは底住生活の出現に伴って生じた一連の歴史的現象と考えられる

 従来,この時期の人類史の展開には,食糧生産の始まったことが重視されてきた。しかしそれは正しいのか。

 定住化の家庭について,それを支えた経済的基盤は何であったかとのみ問う発想の背景には,遊動生活者が遊動するのは定住生活の維持に十分な経済力を持たないからであり,だから定住できなかったからだという見方が隠されている。すなわち,遊動生活者が定住生活を望むのは当然だという思い込みがあった。

 私たちには,巨大化した大脳に新鮮な情報を送り込み,備わった情報処理能力を適度に働かせようとする強い欲求があるものと考える。それが好奇心だろう。キャンプを移動させれば,移動してきた場所の周囲を探索し,その場所についての古い記憶も呼び覚まされることによって,多量の新鮮な情報が大脳を激しく駆け巡ることになるだろう。遊動生活の伝統の中で獲得してきた人類の大脳や感覚器は,キャンプを次々と移動させる生活によって常に適度な付加が与えられるだろう。大脳への新鮮な情報供給不足,あるいは退屈だからといったことが,キャンプ移動の動機として働くこともあるだろう。

遊動生活の利点

 日常生活でもっとも大きな問題は,ゴミや排泄物。定住するためには清掃したり,ゴミ捨て場や便所を設置するなどして防がなければいけない。しかし,数千万年の進化史を遊動生活者として生きてきた人類にとって,このような行動を身につけることは決して容易でない。われわれが幼児に対し,まず排泄のコントロール,そしてゴミの処理について,数年にもわたってしつこく訓練しなければならないのはそのため。

 巣穴で暮らすアナグマは巣を清潔に保つのに多くの労力をかけて清掃するし,巣穴から少しはなれたところに便所として使う小部屋を持っているモグラもいる。清掃と排泄のコントロールは定住するすべての動物が備えなければいけない行動であり,進化の過程で本能的な行動として身につけてきた。猫や犬に排泄のコントロールを教えることが簡単であるのも,巣の中で成長し子供を育てる彼らの生活があるから。

 歩行による場合,一日の行動範囲はキャンプや集落からおよそ10キロメートル以内と考えてよい。この範囲の中で,年間に必要な食料資源のほとんどを調達できなくてはならない。

 定住社会では,集落成員に不和や不満が生じたとしても当事者は簡単に村を出られず,それがさらに蓄積する可能性が高い。したがって,定住社会は不和が激しい争いになることを防ぐための効果的な手段を持っていなければならない。このような要請が,権利や義務についての規定を発達させ,当事者に和解の条件を提示して納得させる拘束力,つまり,何らかの権威の体系を生む培地になるだろう。

 死や死体の恐怖感も,定住者は逃げることもできない。死者霊の他界への飛翔を全うさせるために,多大な労力を賭けた複雑な儀式が行われる。そして,墓標を立てたり墓地を囲うなどして,ことさらその場所の特異性を強調する。

 定住者がいつも見る代わらぬ風景は退屈。定住以後の人類史において,高度の工芸技術や複雑な政治経済システム,込み入った儀礼や複雑な宗教体系,芸能など,過剰な心理能力を吸収するさまざまな装置や場面が,それまでの人類史とは異質な速度で拡大してきた。

 従来は採取から栽培への移行が強調されてきたが,栽培は,定住することによっておのずと変化する人間と植物の生態学的関係を経て生じたものと考えられる。栽培は定住生活の結果ではあっても,その原因であったとは考えられない。人類史における初期の定住民は,農耕民ではなく,日本の縄文文化がそうであったように,狩猟や採取,漁撈を生業活動の基盤においた非農耕定住民であっただろう。

定置漁具による漁撈の特徴。

 温帯森林のナッツが貯蔵食料となったことについて。油性ナッツ(ハシバミ,クルミなど)はカロリー価が高く,加熱しなくても食べられるが,一時に大量に食べることはわれわれの消化機能や好みになじまないところがあるだろう。デンプン質ナッツ(クリ,ヒシ,ドングリなど)やデンプン質の種子(小麦や大麦)は大量に食べることができるが,加熱調理が不可欠。

 人類が定住して木材を薪や建材として伐採すると,開けた明るい場所を好む陽性植物が繁茂して,もとの森とは異なる植生へと変化する。定住者は自然としての環境でなく,人間の影響で改変された環境に取り囲まれることになる。二次植生でクリやクルミ,ハシバミが増加し,西アジアでは小麦や大麦,アーモンドが増加する。そしてそれを人間が利用する。生態学的な表現をすれば,明らかに共生関係であり,人文学的に言えば栽培,農耕となる。

 定住民優越主義者は,定住化を可能にした経済的要因を問うことに集中してきた。定住生活が人類の本来の生活だと考えれば,定住することによって生じるさまざまな困難な問題のあることに思い至らないのも無理はない。

 旧石器時代:遊動生活をして野生型動植物の利用
 縄文時代:定住生活をして野生型動植物の利用
 弥生時代:定住生活をして栽培型動植物を利用

 縄文時代の研究では,栽培や農耕にまつわる長い議論がある。これをことさら熱くしてきのも,農耕の有無によって時代の評価を大きく変えなければならないとする歴史観があったためだろう。縄文時代や他のさまざまな中緯度森林の定住民の研究において考える必要がある。

 栽培植物や技術の渡来があったとしても,それを受け入れるには,既に定住していなければならないし,そして,もしも定住生活があったのなら,既に従来の人里植物について栽培といえる状態が出現していた可能性が高い。外来の有用植物の渡来は,既に存在していた縄文時代の栽培に,有用植物をさらに加えたであろうが,栽培,あるいは栽培を可能にさせた定住的な生活様式までが渡来してきたとは考えにくい。