生命の跳躍――進化の10大発明★★★(ニック・レーン,みすず書房)


 この本は400ページを越す本だが,とにかく活字がぎっしりと詰まっている。そして,その活字以上に中身が詰まっている。ほんの10行足らずの文章なのに,その背後に隠れている膨大な情報量に圧倒される。しかも,その驚くほどの情報量は確かな知性により見事に整理され,しかもとても分かりやすく提示されている。そして,集めた情報を元に実に鋭い考察をし,生命の本質に迫っていくのである。いやはや凄い本である。以前紹介した同じ作者の『ミトコンドリアが進化を決めた』『生命を統べる酸素 生と死の自然史』も類まれな素晴らしい本だったが,それらに勝るとも劣らない名著だと思う。

 本書は地球上の生命進化の歴史を俯瞰し,その中でもっとも革命的だった10の出来事を選び,それがどのようにして起こったのか,なぜそのような進化が可能だったのかを膨大なデータを元に説明していく。その10の事件とは「生命の誕生,DNA,光合成,複雑な細胞,有性生殖,運動,視覚,温血性,意識,死」である。どれ一つとっても,生物学上の大問題であり,まだ決着を見ていない問題を含んでいるものばかりである。それをレーンは表面をなでただけの簡単な説明ではなく,どれも深く掘り下げているのである。


 たとえば冒頭の「生命の誕生」。ここでレーンはまず,「生命とは,電子が身を落ち着ける場所を捜し求める活動にほかならない」と看破する。そして本書の至る所で「電子の移動」が取り上げられる。呼吸も代謝も合成も分解も,煎じ詰めれば電子の移動なのである。

 生命はどこで誕生したのか。以前は海底の熱水噴出孔の近くの泥の中ではないか,というのが有力だったが,レーンは「第2のタイプの熱水孔」であると説明する。地殻の岩石と海水の反応で生まれる熱水孔である。温度は「第1のタイプ」に比べると低く,反応も穏やかだが,これはアルカリ熱水孔であり,生命の孵化場としては理想的である(第1のタイプは酸性なので生命誕生には都合が悪い)。しかも,泡状の構造物があり,その内壁が鉄と硫黄とニッケルでできているため触媒特性を持ち,なおかつ,できた有機物の拡散を防ぐものとなったらしい。しかもここでは,地球上の生命体がすべて持っている共通の代謝系であるクレブス回路に必要な物質と,ATPと同様の機能を持つアセチルリン酸塩も自然に生成されているのだ。恐らく,最初の生命はクレブス回路の分子とそれを回す多少のATPから始まったのではないか,とレーンは述べている。


 そして第2章の「DNA」では,まず,熱水孔に似た条件下で実際にRNAが合成されることを示すが,原初の地球にあったと考えられるRNAワールドが成立するための条件として,ヌクレオチドが絶えず供給されなければいけないという問題を指摘する。RNAが自己複製をするたびにヌクレオチドが消費されてしまうからだ。この問題もアルカリ熱水孔が解決する。ここには温度勾配が2種類の流れ(対流と拡散)を作り,自然生成されたヌクレオチドが濃縮されるからだ。実際,温度の振動が,現在のPCRと同じ反応でRNA複製を促し,しかもそれは低温であるために分解でなく凝集するらしい。

 そしてさらにレーンは,真正細菌と古細菌が細胞膜のリン脂質の種類もDNAの複製方法の違いから,それぞれが熱水孔の異なる「鉱物の細胞」から生まれたと推論する。そして同時に,「鉱物の細胞」の近くに存在する「自己複製するRNA」がすでにウイルスとして機能していたことを説明し,両者がどのようにしてDNA細菌を生み出したのかを見事に解き明かしていく。


 そして第3章の「光合成」。この章の陰の主役は電子である。なぜか。それは光合成というのは「水から電子を得る」という難儀な方法を使っているからだ。しかもエネルギー源は太陽光という決してエネルギーが多くない資源を利用しているのだ。常識的に考えると,当時の海水に豊富にあった硫化水素や鉄から電子を入手する方が圧倒的に簡単だ。

 その困難な方法に挑戦し,ついには地球環境そのものを変え,地球の生命体の運命を変えてしまったのがシアノバクテリアだ。そのためにシアノバクテリアは強い酸化剤である光化学系と,強い還元剤である光化学系を組み合わせ,さらに,安定した物質である水から電子をはぎ取るための強力な触媒系を獲得し,それを一つのシステムとして完成させるという離れ業に挑戦し,見事に成功した。そして,その代謝系の副産物として「使い道のない廃棄物」である酸素が排泄され,さらに,ATPと同時に糖を作ることができた。

 だがその二つの光化学系の一つは元々,硫化水素を利用して二酸化炭素から有機物を作るシステムであり,もう一つは硫化水素が乏しくなった場合に生き延びるためのバックアップシステムだったのだ。だが,バックアップシステムには長期作動すると電子が目詰まりするという致命的欠点があった。その時生じた一つの突然変異により,二つのシステムが電子で結ばれて同時に動くようになった。そしてアルカリ熱水孔で自然に形成されるマンガンーカルシウム・クラスターが結合し,「水から電子を取り出す」システムとなり,二つの光化学系と結びつくことで光合成が完成する。

 つまり,光合成を完成させるために必要だったのは,光化学系の複写ミスと,二つに分かれた光化学系の切り替えをするスイッチの突然変異だったのだ。


 そしてさらに本書は,真核細胞の誕生の物語,有性生殖の起源,眼の起源,細菌に潜む人体の筋収縮の起源などを次々に解き明かしていく。とりわけ,真核細胞の核膜の存在意義について「リボソームが蛋白合成に取りかかる前に時間稼ぎをするための障壁だった」という指摘や,誕生したばかりの真核細胞が核遺伝子内のジャンピング遺伝子を排除できなかった理由とか,「ペルム紀大量絶滅」の後に登場した獣弓類(恐竜,鳥類など)が生き延びられた理由とか,どれもこれも興味深いものだ。とりわけ第9章「意識」の章での量子論的な現象で意識について説明する仮説は本当にスリリングだった。
 一点一画も蔑ろ(ないがしろ)にせずに事実を明らかにしていき,緻密な思考で証拠同士をつなぎあわせていく様は見事というしかない。そしてその結果生み出される「知の大伽藍」の壮麗さに圧倒される。


 もちろん,本書の10のテーマは普遍的なものであり,生物学の根底にあるものだ。だから,この10のテーマを個別的に取り上げて解説している入門書や新書は珍しくないし,書店の科学書や新書コーナーを覗いてみれば類書はすぐに見つかるはずだ。だがそれらと比べて読んでみると,本書は背景となっている情報量もさることながら,音楽や芸術などに関する書き手の教養の深さがあり,それが本書の懐の深さとなっているのだ。これがニック・レーンという稀代のサイエンスライターの魅力なのだ。

(2011/02/17)

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