『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』★★(宮下規久朗、光文社新書)


 私は美術の素養がないため,これまで西洋絵画を見て無意識のうちに,「こんなに精緻で写実的に描かけているのは,目の前にあるものを写真のように描いたからだ」と思っていた。実はこれが大間違いだったのだ。本書は随所でそれを指摘しているのだが,この本を読むまで気がつかなかったのだから,私がいかにものを知らないか,ものを考えていないかがバレてしまった。

 農民が楽しそうに宴会している絵があるからと言って,実際に農民が宴会をしていたわけではないのだ。食卓を描いた絵にパンとワインしか描かれていないからと言って,当時の人間はパンとワインだけしか飲食していないわけではないのだ。食卓の絵に野菜が描かれていないからと言って,ヨーロッパで野菜を食べていなかったからではないのだ。


 では,人間は何を描いてきたのか。それは顧客が喜ぶ絵であり,パトロンが喜んで買ってくれる絵であり,世の中の好みに合わせた絵だ。
 だから食事の様子を描いた絵は,実は現実にはありえない宴会であり,絶対に存在しない理想の食卓であり,いつも食べられない食材を題材にしたものだった。現実にないから描く価値があったのだ。
 同様に,パンとワインを描くのが常識(=時代の好み)だから,その常識・様式に従ってパンとワインしか描かないのだ。パンとワインしかなかったのでなく,パンとワインを描くのが絵画の常識だったのだ。

 考えてみたら,私はこれまでこういう本を多数紹介してきた。「万葉集」は庶民の素朴な感情を後世に伝えるために編纂された歌集ではないし,「魏志倭人伝」は邪馬台国の一を正確に記述するために書いたものでもないのである。言うまでもなく「魏志」は魏の皇帝に読んで喜んでもらうために書いた公式文書である(・・・公式文書には往々にして嘘が書いてあるのは古今東西の歴史では常識中の常識だ)


 同様に,モーツァルトは自分の気分や経済状態と無関係に楽しい曲や悲しい曲を頼まれるままに書いたし,ヨハン・シュトラウスだって楽しく踊れる流麗な曲が求められたから,自分の感情とは無関係にウィンナ・ワルツを量産し続けたのだ。
 実は絵画もそれと同じだったのだ。「目の前にあるものしか描けません」,「楽しくもないのに楽しい雰囲気の絵なんて書けません」なんてフザケたことを言っていたら飢え死にするのだ。顧客の意を受けて,己の意にそぐわないものを書いて生計を立てるのがプロだったのだ(・・・この図式が崩れるのは,音楽では19世紀半ばである)


 だから,司馬遷もヘロドトスも過去の事実を後世に伝えるために「史記」や「歴史」を執筆したわけではないのだ。「万葉集」も「魏志倭人伝」も「史記」も,ある目的のために書かれたものであり,その目的を達成する手段として書いたのだ。その意味で,歴史書とは最初からバイアスかかりまくりの書物であり,正しいことが書かれているという保証はない。

 その意味で,第一級の資料とは「他人に読まれることを想定せずに書かれ,嘘を書く必要がない文書」であり,公文書はそのどちらの条件にも当てはまらない。この2つの条件に当てはまるのもは,家計簿と借金の証文であり,最も信頼がおける歴史的資料と言える。


 「最後の晩餐」でパンとワインしかテーブルに置かれていないのは,もちろん,キリスト教の「イエスの肉体と血」というイエス復活の根本をなす思想を表現するためだ。パンとワインだけで健康を害するのは当然のことで,当時は魚がよく食べられていたが(何しろイエス以下,12使徒中の7人まではガリラヤ湖の漁師である。イエスは復活したときに一番最初に焼き魚を食べたくらい,魚好きである),それは描く必要はなかったのだ。しかし,そういう事情を知らない極東の不信心者(=私)は,「当時は食べ物といえばパンとワインしかなかったんだな。よく体を壊さなかったな」なんて勘違いしてしまうわけだ。

 同様に,16,7世紀には繰り返し,どんちゃん騒ぎをする様子が描かれる。そのほとんどは,聖書の「放蕩息子の帰還」とセットになって描かれているが,実は「放蕩息子」はどうでもよく,どんちゃん騒ぎを描くのが目的だったらしい。
 だがそれは,本当にどんちゃん騒ぎをしていたから,その様子を描いたわけではないのだ。それどころか逆に,当時のヨーロッパは寒冷期にあったために食料供給が不安定で,貴族といえども飽食とは無関係だったのだ。実際,19世紀までヨーロッパの農民の大半は,肉を食べることなく生涯を終え,パンと野菜スープしか食べられなかったようだ。だからこそ,まるまる太った農民がどんちゃん騒ぎできるのは理想郷であり,そのような絵が描かれ,貴族たちはそれを天国の情景でも観るように楽しんだのだ。これは布袋様や大黒様がまるまる太っているのと何やら似ている,と本書は指摘している。

 静物画で果物ばかり描かれ,野菜がほとんど取り上げられないのも同じ理由らしい。果物は西洋文明では「食物の王者」だったからだ。果物はとれる地域は限定されるし,旬の時期はごく短い(考えてみたら,日本で世界各地の果物を季節も気にせずに食べられるようになったのは,実はここ数十年のことである)。だから19世紀以前のヨーロッパでは,旬の異なる果物を所狭しとカゴに入れて盛りつけた静物画が珍重された。
 つまりこれは,初鰹と秋鮭を一緒の皿に並べた絵のようなもので,現実にはありえない光景なのである。これもある意味,理想郷の食卓であり,だからこそこういう絵は珍重されたのだ。
 そして果物と逆に,野菜が描かれることはなかった。野菜は小作農や労働者が食べるもので,貴族が食べるものではないという意識があり,軽蔑されていたからだ。軽蔑されているものを絵に描くほど暇な人はいなかったのである。


 さらに面白いのが,本書のエピローグである。ここでは「なぜ西洋絵画では食事が絵画の題材となったのか」という本書の根底に横たわる問題について,キリスト教の特異性という点から追求している。ううむ,そうだったのかと納得してしまった。

(2011/03/07)

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