本書は様々な切り口から論じることができる懐の深さを持つ素晴らしい本だ。とにかく,バックとなる情報量が半端でないのだ。知られざる音楽史の貴重な資料としてだけでなく,歴史書としても,分類学の発展の歴史書としても読むことができるし,18世紀末から20世紀初頭にかけてのオーストリアも学ぶことができる。例えばこんな感じだ。
- 650年の長きにわたりヨーロッパを支配したハプスブルク帝国はどのようにして衰退したのか。なぜその時期に衰退したのか。
- 神童としてヨーロッパ中に名前が知られたモーツァルトがやがてハイドンの陰に隠れて忘れられていったのはなぜか。そして忘却の淵からモーツァルトの名が蘇り,音楽の神として復活したのはなぜか。
- 他に職業を持ちながら趣味の領域を研究する「アマチュア研究家」の時代から,特定の専門領域を持つ「プロの研究者」の変化はどのようにして起きたのか。
- シューベルトの死後40年近く,二流以下の作曲家しか輩出できなかった「音楽不毛の地ウィーン」がなぜ今日「音楽の都」と呼ばれるようになったのか。
- モーツァルトとの縁が希薄だったザルツブルクがなぜ今日「モーツァルトの街ザルツブルク」と認識されるようになったのか。
- 19世紀始めにサロン音楽と呼ばれる音楽が隆盛になり,ワルツ,バガテル,舟歌,楽興の時などの曲目が雨後のタケノコのごとく増えていった政治的背景とは何か。
このように様々な面を持つ本書だが,私はケッヘルが事実上,「カード型データベース」の考案者であった,という部分が面白かった。なぜかというと,私は以前,「テキストベースのリレーショナルデータベース」を構造化言語でプログラミングしたことがあり,データベース作りの大変さがちょっとは分かっているからだ(データベースソフトを自作するのって,すごく大変なんだぞ)。
ケッヘルは1800年に生まれたが,彼が青春時代を過ごした1820〜1830年代のハプスブルク帝国は後に「ビーダーマイアー」と呼ばれる時代であった。これは,ナポレオン戦争後の宰相メッテルニヒの時代だが,この時期,社会は安定したが政治的自由は全くない時代だった。メッテルニヒが帝国の安定を図るために秘密警察による市民監視網を張り巡らせていたからだ。
このため,市民たちは秘密警察の目を逃れるために自宅に引きこもって「巣ごもり生活」をするしかなく,家族や友人たちと快適に暮らすこじんまりとした生き方を選択した。その結果,物や調度のコレクションという「内向きの趣味」が盛んになる。そしてその収集家の中からディレッタントと呼ばれる「アマチュア研究家」が誕生した。ケッヘルはそういうディレッタントの一人だったのである。
当時から,出版社が作った出版目録はあったし,モーツァルト研究者が独自に作った作品目録もあった。しかし,これらには多くの問題があった。前者の場合,あくまでも出版社が自社製品のPR用・販促用に作ったものであり,出版されていないものは当然含まれていなかった。また,楽譜には番号がふられていたが,それは「出版順」の番号であって作曲の順番とは無関係だったし,小曲は幾つかまとめて一つの出版番号をつけてまとめられていた。ショパンのワルツを例にとると,作品64は最晩年(といっても36歳歳頃だが)の作品なのに,作品69は20歳前後の作品であり,番号と作曲年代が逆転しているのはピアノ音楽ファンには常識だろう。
音楽ファンのディレッタントたちにとって楽譜は収集対象となり、特に初版楽譜や自筆譜は珍重されていて、当然「神童モーツァルト」の曲はコレクション対象となる。しかし、当時出版されていたモーツァルトの曲は彼の全作品のごく一部に過ぎず、人気があったピアノ協奏曲や家庭で演奏できる曲に限られていて、宗教曲やオペラはそもそも出版対象ですらなかった。さらに、モーツァルトの死後、未亡人コンスタンツェが所有していた直筆譜は一旦楽譜商に売り渡され、楽譜商は直筆譜を売り出したが全く買い手がつかず、楽譜商はその後死亡してしまい、直筆譜は散逸の危険に直面していた。おまけに、モーツァルトと無関係の曲が「モーツァルト作曲」として出版されていたりして、どれが本当のモーツァルトの曲なのかもよくわかっていない状況だった。
こういう状態でケッヘルはモーツァルトの「作曲年代順・ジャンル別全作品目録」を作ろうとしたわけだが、それがどれほど困難な作業かは容易に想像がつく。
- モーツァルトの真作かどうかをどうやって鑑別するか?
- 作曲年代をどのようにして確認するのか?
- 新たに曲が見つかった場合、通し番号の振り直しを効率的に行うにはどうしたらいいか?
そこでケッヘルは他のモーツァルト研究家と連絡を取り合い,直筆譜の筆跡,楽譜の書き方の様式,使用した紙やインクなどからモーツァルトの真作かどうか、作曲年代はいつかを割り出していき,作品目録を次第に完成させていく。しかし,新しい曲が見つかったり,正しい作曲年代が判明するたびに,「作曲年代順番号」を振り直す必要が出てくる。この「番号振り直し問題」に、当時常識だった「ノートでのデータ管理」が対応できないことは明らかだ。
そこで彼が考案したのが「1曲を1枚のカードで管理する」方式,つまり,今日の「カード型データベース」なのである。今日では当たり前の手法だが,150年前に恐らく世界で初めてこの方式を考案したケッヘルの先見性は驚嘆に値する。実は彼はそれ以前に行った鉱石の分類(ケッヘルは鉱物の研究者として当時非常に高名だった)をする際にこの方法を独自に編み出していたのだ。
彼は3000個を越す鉱石を収集したが、その1個ごとに1枚のカードを作り、鉱石の採集年、採集地,種類を記し、通し番号を振り当てる、という方法を案出する。おまけに、それらを速やかに整頓できるように特注キャビネットを用意するという徹底ぶりであり、彼は見事な研究書を出版している。ケッヘルはモーツァルト研究にこの手法を応用し、1曲ごとに1枚のカードを作り、新たな曲が発見される度にカードの順番を入れ替え、モーツァルトの全作品をジャンル別・作曲年代順に分類した作品目録を作り上げたのだ。
今でこそ「データベースと言えばカード型データベース」であるが、当時は「情報をカードで管理する」という概念そのものがなかったのだ。そういう時代に全くゼロからデータ管理システムを新たに作り上げたケッヘルの独創性と先見性には舌を巻くしかない。しかも,A3サイズの五線譜をフォーマットとしたカードには,曲冒頭の数小節の楽譜とともにその曲に関する様々なデータを詰め込んでいるのである。まさに,アマチュア研究家としてのディレッタントの面目躍如であり,ディレッタントとして生きた彼の矜持を見る思いがする。
このレビューでは,カード型データベースの面だけに着目したが,それ以外にも知識満載の本である。もしも,次のような質問に興味を持ったら,是非,本書を手に取ってほしい。
- 活躍年代がほとんどだぶっているベートーヴェン(1770〜1827)とシューベルト(1797〜1828)なのに,前者が古典派,後者がロマン派に分類されるのはなぜか
- 当時のオーストリアでヨーゼフ・ハイドンがもっとも人気が高い愛国的作曲家と言われていたのはなぜか。その後,モーツァルトの人気が復活するのはなぜか。
- ドイツはバッハを,オーストリアはモーツァルトを「発見」したのはなぜか
- なぜモーツァルトのヴァイオリンソナタは「ヴァイオリン伴奏付きのピアノソナタ」というタイトルだったのか。
- なぜ,「ケッヘル番号」以外のケッヘルの研究は忘れ去られたのか
- そもそも、なぜケッヘルはモーツァルトを研究対象にしたのか。ケッヘルにとってモーツァルトとは何だったのか。
(2011/04/13)
モーツァルトを「造った」男 ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書) (新書) / 小宮正... |