先日,「書評論の本」を取り上げたが,書評(レビュー)が一番書きにくい本をご存じだろうか。それは教科書と辞典類だ。なぜかというと,その本には事実しか書かれておらず,著者の顔がまるっきり見えないからだ。著者の顔,人となりが見えてこない本の書評を書こうとしても,書き手側のとっかかりがないのである。同じ辞書でも「明解国語辞典」くらいに書き手の個性が見えていればレビューが書けるが,「広辞苑」相手では書きようがないのである。これは要するに,歴史年表や化学年鑑,JRの時刻表にレビューが書けないのと同じだ。
その意味で,本書はレビューの対象にしにくい本である。そして,読んで楽しい本でもない。「人類進化史の教科書」そのものだからだ。そして文章は硬くて遊びの部分もない。ただただ事実だけが淡々と書かれている。
だが,レビューの対象でなく教科書だと思って読めば非常におもしろい。人類進化の歴史を大きく俯瞰する確かな視点があり,様々な情報を手際よく正確に読者に伝えていこうとする著者の姿勢がよく感じ取れるからだ。その意味では立派な教科書であり,良書だと思う。だから,700万年にわたる人類進化の歴史とか,ミトコンドリア・イブの本当の意味とか,数万年前の日本列島とアジア大陸の地理的関係とか,縄文人と弥生人の違いの本質とか,そういう問題について知りたくなったらとりあえず本書を開けば答えが絶対に見つけられるはずだ。また,本書の内容をだいたい理解して部分的にでも暗記しておけば,何かの機会に「人類史についての蘊蓄」を傾けられるはずだ。
このような本なので,どのような内容なのかについてネタバレにならない程度に紹介していこうと思う(・・・というか,そういう紹介の仕方しかできない本である)。
本書は3つの章に分かれているが,最初の「第1章 猿人からホモサピエンスまで」では「猿人(=最初の人類)」の定義から始まり,最初の猿人である700万年前のサヘラントロプスから始まり,ホモ・サピエンスの登場までの歴史が説明される。そして,パラントロプスとアウストラロピテクスの運命を分けたのがちょっとした食べ物の違いであったとか,犬歯と第3大臼歯ではどちらが重要なのかとか,「猿人,原人,旧人,新人」という用語は日本だけでしか通用しないものだとか,目からウロコの情報がてんこ盛りだ。さらに,人類が剛毛を失って「裸のサル」になった真の理由など,話題は尽きることがない。
「第2章 アフリカから南太平洋までのホモ・サピエンスの旅」では,10万年前にアフリカで生まれた現生人類がどのようにして生まれ故郷のアフリカから出て,3万年前にオーストラリア大陸に至った歴史が説明される。この章の主題は「人類はどのように移動し,生息範囲を広げていったか」である。基本的に歩いて移動するしかできなかった御先祖様たちは,地続きの部分をたどって新しい土地に移動するしかなく,海があればそこで立ち止まるしかなかった。となると,人類はどのようにしてオーストラリア大陸や太平洋の島々に到達できたのか。それを説明するため,当時の気候と海面の高さが説明され,生物分布の境界線として有名な「ウォーレス線」の意味を説明していく。そして同時に,イスラエルの地をめぐるネアンデルタール人とホモ・サピエンスの興亡を解き明かすことで,両者の起源の違いと体型の違いの意味を説明していく。両者のその後の運命を分けたのは寒冷地適応だったのである。
そして最終章「第3章 縄文から現代までの日本人の旅」では日本列島への人類の進出の歴史を解き明かす。大雑把に言えば,中国大陸と琉球列島が陸続きであった時代に琉球に最初のホモ・サピエンスが移住し,やがて1万3000年の年月をかけて次第に生息地域を九州から本州に広げ,彼らは縄目模様の土器を作った。いわゆる縄文時代である。彼らの生活を支えていたものは氷期が終了して海水面が上がり,同時に植物の植生が変化したことだった。しかし,今から3000年ほど前,全く新しいタイプのホモ・サピエンスが日本列島に移住してくる。彼らは寒冷地適応が済んだ体を持ち,しかも日本への移住前に既に水稲栽培の技術を身につけていた。では彼らはどこから来たのか,先住民である縄文人との関係はどうだったのか,両者の命運を分けたものは何だったのか・・・などについて解き明かしていく。そしてさらに,縄文時代になかった「クニ」が水稲栽培開始とともに各地で作られるようになった事情についてもきちんと説明されている。
(2011/06/17)