『天皇はなぜ生物学を研究するのか』★★ (講談社プラスアルファ新書)


 何より着眼点のいい本である。なぜ昭和天皇と今上天皇は「生物学」の研究をしているかという疑問を発端に,ヨーロッパの王侯貴族と学問の関係を解き明かし,さらに顕微鏡開発の歴史,スポーツの歴史と階級社会の関係,そして国家戦略としての生物学・博物学の存在など,実に多彩な知識が披露されるのだ。ページを開くたびに,それまで全く知らなかった知識に出会える本を読むのは本当に楽しいことである。


 さて,「天皇と生物学」である。昭和天皇がヒドロゾアという刺胞動物の研究をしていたことはよく知られているし,今上天皇が魚の研究をなさっていることも有名だと思う。とはいっても,それがどの程度の研究なのか,研究者としてどのくらいのレベルなのかは国民には知られていないと思うし,かく言う私も知らなかった。それどころか,「素人の余技とか趣味で暇つぶしに研究している程度なんじゃないの」くらいに思っていた。だって,天皇陛下である。日々,公務の連続でお忙しいのである。だから,本格的な研究なんかできるわけがないよね,とその程度に考えていた。

 ところが,それが全く違っていたのだ。昭和天皇に関しては,ヒドロゾアの研究を始めた頃はまだ,生物学の専門家の間でもそれが動物なのか植物なのかすらわかっていなかったそうだ。そして,ヒドロゾアが動物であることを突き止めたのは,誰あろう,昭和天皇なのである。専門雑誌への論文投稿も多く,ヒドロゾアの分類については日本で10本の指に入るほどだったそうだ。これは今上天皇陛下も同様で,ハゼの分類に関しては日本でトップレベルの研究者であり,この分野に多大な貢献をしている本物の研究者だという。また,皇太子殿下はオックスフォード大学留学の時に,テムズ川の水運史を研究しているが,これはイギリスでもほとんど研究者がいない未開の分野であり,殿下は各地の図書館に赴いては古文書を探し,膨大な一次資料を読み解いて知識を統合し,18世紀テムズ川の水上交通の全体像を見事に解き明かしたそうだ。研究者としては極めてまっとうな方法であり,最も手間隙のかかる研究法といえる。だからこそ,彼が誠実な研究者であることがわかる。その他にも,天皇家には生物学を中心とする「皇族にして研究者」を輩出しているのだ。実に見事な「学者一家」である。

 なぜ天皇家は代々,生物学を学んでいるのだろうか。実はその道筋を描いたのは西園寺公望である。彼はイギリス王室をお手本に「近代国家日本における天皇制」を作ろうとしたが,近代ヨーロッパの王侯貴族に必要な素養が博物学・生物学があり,それを学ぶことで皇室外交の強力な武器となることを知った。だから彼は昭和天皇に歴史学ではなく生物学を学ぶように進言し,かくして「学者天皇」が誕生したということらしい。


 ではなぜ,ヨーロッパの王侯貴族・上流階級は生物学をたしなんだのか。理由の一つは,博物学を研究することは王侯貴族にしかできなかったからであり,その研究は直接的,間接的に莫大な富を国家にもたらしたからだ。だからこそ,イギリス王室はダーウィンのパトロンとなり,彼の日々の研究費からビーグル号での世界一周まですべての面倒を見たのだ。要するにダーウィンはイギリス王室の雇われ学者であり,ビーグル号の航海はイギリスの国家プロジェクトだったのだ。そしてイギリス王室は,その出費に十分見合う成果を得,さらに晩餐会の話題を10年間独占できたのだ。実に見事な戦略だったと言える。

 そして,絵画や音楽でヨーロッパをリードし続けてきたカトリック諸国に西北ヨーロッパ諸国(=プロテスタント諸国)が文化的に対抗するために,自然科学を武器として選んだという背景もあったらしい。17世紀以降のヨーロッパの歴史や文化はある意味,カトリックとプロテスタントの対立という観点から見直すとわかりやすいが,これもその一つらしい。


 生物学の発展に必要不可欠な道具,それが顕微鏡だが,これを最初に発明したのはご存じオランダのヤンセン父子であり,それを改良したのは同じオランダのレーウェンフックだ。なぜオランダなのだろうか。もちろんそれにも明確な理由があった。オランダでしか作れなかったのだ。その結果,顕微鏡は超高級品であり,王侯貴族向けの工芸品であり富の象徴となった。生物学が王侯貴族にのみ可能な趣味だった理由はここにあった。

 しかし,19世紀末,ドイツに多数の顕微鏡メーカーが出現する。レンズ研磨の技術が飛躍的に向上し,精巧なレンズが大量生産できるようになったからだ。これにより顕微鏡は値下がりし,工芸品から実用品となる。当時,顕微鏡開発競争でしのぎを削ったのがカール・ツァイスとエルンスト・ライツであり,それが後のカメラの二大メーカーのコンタックスとライカになるのだから歴史は面白い。

 同時に,ドイツで中小メーカーが勃興して顕微鏡の値段が下がるとともに一般化していくわけだが,他方でイギリスの顕微鏡メーカーは次々に潰れていった。手作りにこだわった「工芸品としての顕微鏡」を作り続けたからだ。
 このあたりはピアノの歴史にも見られたことだ。当初,チェンバロやクラブサン(=ピアノのご先祖様)は王侯貴族が応接間に置くための超高級品で,イギリスのピアノメーカーは伝統の家具作りの技術で一歩リードしていた。しかしその後,より力強い音と広い音域がピアノに求められるようになり,鋼鉄製のピアノ線や鋼鉄製のフレームが採用されるようになるのだが(これを完成させたのがスタインウェイ),あくまでも手作りにこだわったイギリスのメーカー(=その主体は家具職人だった)は時代についていけなくて次々と姿を消すことになった。顕微鏡作りでもピアノ作りでも最初は頑固な職人気質が功を奏したが,次代が変わって大量生産が可能になった時,その職人気質が足かせになるらしい。


 そして,「イギリスにおける階級とスポーツ」も面白い。ゴルフは庶民のスポーツであり,上流階級とは無縁のものだった。おまけにイングランドはスコットランドを一段低く見ていた。現在,名門ゴルフ場と言えばスコットランドにある「セント・アンドルーズ」だが,イングランドのアッパークラスが(不満顔で)足を踏み入れるようになったのは近年になってからのことらしい。ちなみに,セント・アンドルーズのクラブハウスで提供される酒は本来ブランデーだけだったが,日本人プレーヤーが訪れるようになってからスコッチ・ウィスキーも備えるようになったそうだ。日本人が「イギリスと言えばスコッチだろう」と勘違いしていたからだ。イングランド人にとってスコッチ・ウィスキーとは「スコットランドの田舎ものが飲む地酒」であり,ハイソな人間からすると一段低い飲み物だった。スコッチは日本で言えば焼酎と同じ位置づけの酒であり,スコッチを出せと言われたセント・アンドルーズのクラブハウスはさぞかし当惑したことだろう。


 とにかく,知識と情報満載の楽しい本だ。特に,細菌フェチにとっては「ロベルト・コッホとコッホの妻と顕微鏡と日本特産の寒天」の四題噺(?)を知っただけでも本を買った価値があった。

(2011/10/17)

読書一覧へ

Top Page