『細胞が自分を食べるオートファジーの謎』★★(水島昇,PHPサイエンス・ワールド新書)


 人間の体は60兆個の細胞でできている。その60兆の細胞が集まって様々な組織や器官を作り,それらが集まって人体を作り上げているわけだ。考えればすごいことである。一方,体を構成する組織にしても器官にしても使えば減ってくるし,病気や加齢などで壊れるところもでてくる。それでは体を維持できないので,生物は「完全に壊れる前に積極的に壊し,新しいものを作って取り替える」ことで対応している。「動的平衡」というやつである。熱力学的な考えで言えば,エントロピー増大則(熱力学第二法則)に抵抗するために,エントロピーがたまらないようにエネルギーを使って定常状態を維持している,ということになる。

 このような動的平衡は細胞内でも起きている。それが本書のテーマ,「オートファジー」である。オートファジーは細胞内の清掃係であると同時に,飢餓に対応するメカニズムであり,しかも,受精直後から着床直前までの受精卵,あるいは蛹の中での昆虫の変身など,生命体が劇的に変貌する場で重要な働きをしているのだ。非常に単純なメカニズムなのに,それが関与する分野は極めて多様で広範なのだ。

 しかもこれは極めて新しい学問分野だ。せいぜい最近20年くらいに明らかになった話が主であり、現在も新知見が次々に発見されている研究分野である。実際本書には,若い研究者たちが実名で登場し,彼らがちょっとしたヒントから世界的発見をしていく様子がいきいきと描かれている。学問自体が若く発展途上だから,若い研究者がいきなり世界トップに駆け上がれるのだ。普通の科学系新書には「・・・ということが明らかになっている」とか「・・・であると判明している」という記述が多いが,本書では「この現象には3つの仮説が提唱されているがどれが正しいかは不明である」とか「その理由は不明である」という記述が多く,現在進行形で解明が進んでいる分野であることがわかる。


 オートファジーは酵母でまず明らかにされたらしい。飢餓状態(=窒素不足)におかれた酵母ではオートファジーが活発に起こり、飢餓を乗り切るために必要なタンパク質を合成していたのだ。そしてその後、様々な哺乳類で飢餓状態になると様々な臓器でオートファジーが起きていることが確認された。同時に、オートファジーを起こせなくしたノックアウトマウスの実験から、これが生命現象の根幹に関わるものであることがわかってきた。

 当初,栄養飢餓状態に対処するための機能と考えられてきたオートファジーだったが,その後,これが細胞内品質管理機構として極めて重要なことが明らかになる。真核細胞は「タンパク質の寿命より細胞の寿命のほうが長い」という,原核細胞が経験したことのない大問題に直面してしまったからだ。特に神経細胞のように生涯にわたって使い続けなければいけない細胞では,一日も休まずに細胞内の老廃物を除去しなければ正常な機能を維持できないのだ。


 オートファジーとは細胞内のタンパク質/アミノ酸のリサイクル機構だ。細胞質の一部がオートファゴソームという膜に取り込まれ、それがリソソームと結合することで分解され、その結果生じたアミノ酸が細胞質に戻る、という仕組みだ。オートファゴソームが取り込む対象は合成を失敗したタンパク質だったり、機能不全を起こしたミトコンドリアだったり、細胞内に侵入した細菌だったりと様々だ。その結果、細胞内の老廃物の蓄積を防ぎ、変性して正常に活動できないミトコンドリアを除去することで活性酸素によるDNA損傷を防ぎ、細胞は健全な状態を保っているわけだ。

 ところが、オートファゴソームが何を取り込むかはランダムであり、かなりいい加減な分解系なのである。機能不全を起こしたミトコンドリアだけは選択的に取り込まれているらしいが、それ以外の細胞質成分についてはアバウトらしい。しかし,その「いい加減で大雑把な」分解系で細胞がきちんとメンテナンスできているから,私たちは生きていられるのだ。


 このオートファジーが最も劇的に機能しているのは受精卵ができて着床するまでらしい。精子と卵子の細胞質内のタンパク質は受精卵では必要なくなり,受精卵は自身に必要なタンパク質を合成しなければ死滅してしまう。一方,卵管液にはアミノ酸はあるものの,それだけで「受精卵に必要なタンパク質」を合成するには足りなすぎる。そこで,「飢餓対応システム」であるオートファジーが活躍するわけである。なるほど,これなら「大雑把でいい加減な」分解の方が効率がいい。うまくできているものである。

 また、栄養飢餓はオートファジーを亢進させるが、逆にインスリンとアミノ酸はオートファジーを強力に抑制する因子である。オートファジーは「タンパク質を分解してアミノ酸にする」作用だから、アミノ酸濃度で抑制がかかるのは当然であるが、インスリンも強力な抑制因子なのだ。だから、糖質を多量に含む食事をしている間はオートファジーは起こらず、細胞内のゴミも分解されないことになる。

 現在、カロリー制限によって寿命が延長することは多くのモデル動物で確認されているが、その本質はこんなところにあるのかもしれない。同様に、食事から意識的に糖質を減らすと体調が良くなることは個人的に体験しているが、これも、過剰なインスリン分泌が起こりにくい食事だから、ということで説明が付けられるかもしれない。また,一食を完全に抜いたり,プチ断食をすると,空腹感とともに体がリフレッシュした感じが得られるが,それはもしかしたらオートファジーが起きているからかな,なんて思ったりもする。


 さらにこのオートファジー機能は、酵母からホモサピエンスまでのありとあらゆる真核生物に備わっている(逆に、原核生物にはオートファジーは存在しない)「真核生物=ミトコンドリアを持つ生物」であるが、実は「真核生物=オートファジー機能を持つ生物」でもあったのだ。本書ではこのあたりはこれ以上深くは追求していないが、私は「ミトコンドリアとの共生生活により巨大化と高機能化を獲得したが、そのことにより“死と性分化”も同時に受け入れるしかなくなった真核生物が、生存のために獲得した機能」がオートファジーではないかと想像している。恐らく、オートファジーとは真核細胞化が導入したものであり、真核細胞化を可能にしたものだろう。要するに、オートファジーは真核生物の根幹に食い込んでいるシステムと想像される。

 このように、現在進行形で研究が進んでいる生物学の分野の面白さを、読者に伝える力を十分に持った良書である。このような現象が自分の60兆の細胞の一つ一つで起きていて、その結果として自分は健康に暮らせているのだと気が付くだけでもこの本を読む価値があると思う。

 ただ残念なのは、生命現象の根幹に関わっている分野なのに、圧倒的な読後感というか、突き抜けた面白さに欠けている点だ。不足しているのは、「多細胞生物の6億年の歴史でオートファジーはどのようにして獲得されたのか」という進化論的な視点である。私自身、この本を読んでこのことばかり考えていた。これを突き詰めると,何かとんでもなく面白い仮説が生まれそうなのだ。


 そこで、本書の内容とは関係ないが、本書を読んで私が思いついたこと、気になったことを列記していくことにする。もしも、「そんなの、もうわかってますよ」という項目があったら、是非、ご教示いただければ幸いである。


 これらの疑問点に対し,「いつもの福島の生物の先生」からのメールを引用させて頂きます。いつもながら鋭いです。

さて、様々な分野から意見が届いているかとは思いますが、「神経細胞はグルコース以外利用できないのか」という問い。

中枢神経に関しては、「血液関門があるためにできない」というのが一般的な答えかと思います。とはいえ、アセト酢酸等のケトン体は利用できるので、間接的には脂肪酸も利用できることになります。また、個人的には酸素呼吸を行う細胞そのものがグルコース以外利用できないというのはありえないと思います。なぜなら、それでは酸素呼吸を行う意味がなくなるからです。

進化上は、嫌気呼吸である解糖系(これはグルコースが必要)が先にできているので、好気呼吸であるTCAサイクルに付属させる形にせざるをえなかった訳ですが、本音としては脂肪酸β酸化→TCAサイクルをメインにしたいのですよ。 だって、そっちの方が効率いいんだから。生化学の復習をしますと、グルコース1mol(180g)でできるATPはざっと38mol。脂肪酸であるステアリン酸1mol(285g)で生じるATPはざっと146mol。効率いい事をわかってるから、脂肪細胞というのがある。エネルギー源として貯蔵しておくのは断然、脂肪酸です。グルコースは微調整役でいい。よって、炭水化物を大量にストックしておく器官は肝臓以外にはない訳です。それも役割は限定的で、余れば脂肪酸に変換される。

ただし、脂肪酸にも難点があります。様々な種類があるためになかには「情報分子」として働いてしまうものがあって、しかも比較的容易に細胞に取り込まれてしまう。エネルギー源でもあり情報分子でもありでは、「情報伝達」が主な役割の神経細胞ではこれは致命的。特に様々な情報伝達分子が乱舞する中枢神経では非常にやっかいな存在となる。ということで、血管で脂肪酸が出ないようにするほかない。でもエネルギー源は必要だから、グルコースだけは特異的に取り込めるようにしている(ま、脳下垂体に関門がないのはどうなってるんだ、とつっこまれると私もなんとも答えられませんが)。

一方、糖は基本は水溶性分子ですから、自然には細胞にとりこまれません。そして微調整役ですから、「即時性」「特異性」が求められます。よって、細胞膜上のトランスポーターが必ず必要です。糖もグルコースばかりでなく様々な糖がありますが、でもそのトランスポーターによって取り込む種類を限定できるぶん、「微調整」には使い勝手がいい。

解糖系が残されて現在でも機能しているのは、やはり糖なりの機能性が重宝されているからでしょう。で、状況に応じて、ちゃんと脂肪酸やアミノ酸から糖を合成するシステムも進化の過程で用意されている。つまりは、本来外部から糖を供給しないと駄目というシステムにはなっていない。そういうシステムだからこそ、糖を減らすホルモンがインスリンだけで全く問題ない訳です(たぶん)。

で、血糖値減少ばかりが注目されるインスリンですが、もともとは広範囲の分化や成長に関与する調節タンパク質がオリジナルなようで、インスリン様タンパク質は無脊椎動物にも普通に存在します。つまり、血糖値を下げるためにできあがったタンパク質ではなくて、「血糖値も下げられる」機能を後になってオプションでつけたというのが私の推測です。

(2012/01/15)

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