インクジェット時代がきた! ★★


 インクジェットプリンタといえば,テレビショッピングでノートパソコンでセットでタダ同然に販売されているアレである。パソコンのある家庭には必ずあるのに,使われるのは年賀状と暑中見舞いの直前だけというあの商品である。6色インクが1種類なくなり,純正インクのあまりの高さに購入を躊躇しているうちに使わなくなったアレである。

 そのインクジェットプリンタが何やらとんでもないことになっているのだ。液滴(プリンタのノズルから出るインクのサイズ)は人体細胞と同サイズというだけでびっくりするのに,工芸品や美術品の立体レプリカまで「印刷」で作ってしまうのだ。それどころか,臓器再生の最先端にまで絡んでいるのだ。そういうインクジェットプリンタ開発の最前線の様子を伝える好著である。


 著者は1983年に大学を卒業し,エプソンに入社してインクジェットプリンタの開発一筋に打ち込んでこられた方であり,インクジェットプリンタの生き字引みたいな人らしい。本書はインクジェットの開発の歴史,各技術の詳細な説明,最先端の技術と未来への展望と,ありとあらゆる情報が盛り込まれていて非常に貴重な本だと思う。同時に,文章はこなれていて読みやすく,難解な技術系の説明部分も理解しやすく,技術ヲタクでなくてもスラスラ読めると思う。

 著者の経歴からすると,私と大学卒業年度がほとんど同じなので,多分同世代だろうと思う。だから,本書で語られるインクジェットプリンタやその周辺機器の歴史が,私自身のデジタルライフ,デジタル進化史と重なりあい,とても面白いのだ。


 例えば,「1990年にキヤノンがBJ-10vを発売して大ヒットとなり」なんて感涙ものだ。私が一番最初にノートパソコンを買ってその後購入した最初のプリンタがこの機種かその後継機種だった。要するに,それまでオフィスや大学の医局にしかなかったプリンタが,ようやく個人で変える値段になった記念碑的製品なのである(ちなみに,その数年前のワープロブームがあり,個人でワープロを持つ人が多かったが,付属のプリンタは熱転写型だったと記憶している)。BJ-10vという型番号を見ただけで,もう懐かしさで胸一杯である。

 同様に,「1995年にカシオから安価なコンパクトデジカメ販売,大ヒットとなる」というのも懐かしいなぁ。これはあの往年の名機,QV-10のことだろう。30万画素という今では考えられないくらいの低画素数であるが,「撮った写真がすぐに液晶画面で見られる」という世界初の画期的な製品だったのだ。何しろそれまでの銀塩フィルムカメラでは,現像するまでどのように撮れたか確認のしようがなかったのだ。カメラ屋さんで現像してもらった写真を見て「あちゃ〜! ピンぼけかよ」なんてことは日常茶飯事だった。それが,現像しなくても見られるのである。ピンぼけならその場で削除して撮り直せるのである。画素数がオモチャみたいに少なくても(ちなみに銀塩フィルムは2400万画素相当である),QV-10には十分な実用性があった。そして,QV-20,QV-30とバージョンアップのたびに画素数が上がり,次第に実用に近づいたんだったな。


 インクジェットプリンタの「ピエゾ方式」と「サーマル方式」の説明も懐かしかった。当時はサーマル方式のキヤノン「バブルジェット」と,ピエゾ方式のエプソンの一騎打ち状態で,両者が次々に新製品を出し,そのたびに画質が向上し,色の再現性が向上した時代だったのだ。技術系の記事の多いパソコン雑誌(例:The Basic)では,両方式の長所・短所を詳しく解説する記事がよく載っていたが,今となってはそれも懐かしい思い出だ。

 ちなみに,現在のインクジェットプリンタの液滴のサイズは数10μ大と,真核生物の個々の細胞のサイズである。肉眼の性能をはるかに越える精細さである。それどころか,最新の静電吸引方式のインクジェットになると,液滴サイズは容量で一気に1/1,000にまでなり,「フェムリットル」という聞いたこともない単位の世界となってしまうらしい。容量で1/1,000ということは液滴の直径で1/10ということであり,もうほとんど細菌サイズである。


 第3章の3Dプリンタの部分も面白かった。出た当初の3Dプリンタからすると想像できないくらいに進化を遂げているのである。何しろ,普通に走れる車のレプリカモデルが一回の印刷で作れるのである。本書の口絵で完成品の写真が見られるが,何でこんなのがプリンタで作れるわけ? しかも,製造法が謎の陶磁器,亀山焼きの実物そのままのレプリカまで作ってしまうのである。3Dプリンタ,恐るべし!


 そして,第4章の医療への3Dプリンタの応用も興味深く読んだが,正直言ってまだまだ手探り状態であることがわかって,ちょっと安心した。要するに,骨のように均一な材料でできている組織なら3Dプリンタで作れるが,それ以上となるととたんに困難らしいのだ。要するに,一層の表皮細胞から成るシートも楽に作れるが,血管が縦横に走った真皮はまだ作れないのと同じらしい。

 確かに複数の細胞から成るゲルチューブは3Dバイオプリンタで作れるが,細胞間の結合も相互作用も確認されてはおらず,「複数の細胞が死なないで分裂できている」状態に過ぎないようだ。同様に,話題のiPS細胞にしても本書では「iPS細胞だけでは人工臓器はできない」という断言している。

 その意味では,全層皮膚欠損創を培養皮膚で再生するといっても,当分の間は「薄い培養表皮シートで覆う」程度がせいぜいのところであることがわかる。それだったら,全層皮膚欠損創を被覆材で覆っておけば,毛細血管が隅々まで行き渡った皮膚と皮下組織が再生するわけだから,当分の間は湿潤治療は3DバイオプリンタにもiPS細胞にも追いつかれる心配はなさそうだ。


 最終章の「アトムがビットに近づいていく」というのも鋭い。物質であるアトムが,2ビット情報にどんどん置換され,モノ作りの現場はアトムでなくビットを扱う世界になっていく,という指摘である。モノと情報の境目がどんどん融解していく様子を見事に描いているが,筆者によればそれは必ずしもバラ色の未来に結びつくわけでないらしい。

(2012/06/05)

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