本書の中心テーマは「持続可能」と「大規模集中から小規模分散へ」という概念に集約できると思う。つまり,持続可能なエネルギー生産,持続可能な食料生産,持続可能な水資源の利用こそが,あと40年で人類が直面する「人口92億人時代」へのほとんど唯一の処方箋らしいのだ。
本書は原子力,化石エネルギー,再生可能エネルギー,レアメタル,食料と飢餓,水産資源,森林資源,水資源のそれぞれの項目ごとに,各種研究機関・政府機関・研究者が出したデータを詳細に示し,過去から現在に至る歴史的変遷,現状,そして未来について,予断も個人的主義主張を交えずに淡々と予測していく。その筆致があくまで冷静で淡々としているだけ余計に,本書が描き出していく未来予測が迫真的なのである。
たとえば,エネルギー関連の3つの章(原子力,化石燃料,再生可能エネルギー)を読んでみると,日本型の「大規模集中型発電・送電」システムが決して効率のいいものでないことがわかる。原子力にしても火力発電にしても発生する熱は使い道がないために捨てるしかないし(実際,御排水の形で海に廃棄している),生産地(=発電所)と消費地(=都市)が離れているため送電に伴うロスも大きい。さらに,大規模であるが故に発電量を細かく調整できず,需要に基づいて発電するのでなく,発電量は発電所の規模で決められてしまう。要するに,客の食べたい料理をオーダーを受けて作るのでなく,店が最初から料理を作り,客に押し売りしているようなものである。
もちろんこれは,長期間安定した電力供給を必要とする24時間稼働型の産業(例:製鉄業,アルミ精錬など)には必要なものだが,「朝起きて,仕事をして,夜寝る」という人間本来の生活リズムではどうしても夜間電力が余ってしまう。そのため,余っている夜間電力の使い道を電力会社が客に提案するということになったのだろう。いわば,「24時間料理を作り続けますから,24時間食べ続けてるように」とレストランが客に命令しているようなものだ。いわば主客転倒である。要するに,大量生産した物資を大量に運ぶには適している巨大コンテナ船みたいなものだが,この船は個々の客の要求には応えられないし,客に合わせて作られた少量生産の製品を運ぶ役目のものでもないのだ。
そこで出てくるのが再生可能エネルギー,すなわち風力発電,太陽光発電,地熱発電,バイオマスエネルギーなどである。これらはエネルギー源が「広く薄く」分布するため,大規模集中型の設備ではかえって効率が悪く,小規模分散型の設備でこそその威力を発揮できる。従来の「小さな設備をチマチマ作るのは効率が悪い。巨大施設を一つ作ればいいじゃないか」という日本型の巨大ハコモノ思想とは真逆のものらしい。そして,大規模集中型施設と違って電力生産地と消費地が隣接しているため,廃熱をそのまま地域社会で新たなエネルギーとして利用できるし,送電ロスも最小にできる。。
このような観点からすると,現在の日本のシステムは発電所に限らず,「大規模集中型」の発想で運営されてきたことがわかる。つまり,他の国ですでに本格稼働している再生利用エネルギーを日本に導入するためには,発電システムはもとより,送電システムも街づくりのシステムも,根本から再構築する必要があるのだ。人里離れたところに大規模発電所を作る従来の発想をまず捨てないとだめで,頭の中身をそっくり入れ替える必要がありそうだ。
恐らくこのあたりは,中央集権型社会から地方分権へという最近の社会の動きとも連動しそうである。つまり,その地域で必要とするだけの電力を,その地域の自然特性を生かして地域で発電する社会への転換であり,これはどうしても中央集権型社会システムとは相容れないからだ。
食糧資源,水産資源,水資源などを扱った後半の4つの章を読むと,20世紀に入ってからの世界人口急増を支えてきた食料生産(=穀物生産)が,実は「持続不可能な」農業によるものだったことがわかり,愕然とするはずだ。
ホモサピエンスが地球に誕生したのが約20万年前,農業らしきものが始まったのが1万5000年前であり,8000年前に潅漑農業が始まり,そのころ世界全体で400万人ほどだった人口は次第に増え,西暦800年頃には10億に達した。そして,1960年頃に30億に達するが,この間の人口増加を維持したのは一貫して「農地の拡大」であった。つまり,農地から自然に採れるだけの作物を収穫する農業だ。だから,この時代までの農業は「持続可能な農業」と言える。
それが劇的に変わるのは1960年代後半であり,耕地面積は増えないが反収が劇的に増大し,それに伴って人口も爆発的に増え,2010年頃,人口は70億人に達した。それが「緑の革命」であり,窒素肥料と農薬の大量投入,そして大規模灌漑,機械化,新品種開発がもたらした「革命」だった。そして世界中で大量の穀物が作られ,それらは食料となったり家畜の飼料となって肉に姿を変え,人間の腹を満たした。
しかしそれは「持続可能な農業」ではなかった。21世紀に入り,穀物の反収が減少し始め,同時に農業に適さない耕作地が増えてきたのだ。原因は窒素肥料そのものにあった。窒素肥料が耕作地と地下水を汚染・破壊したのだ。
この農業・食糧問題と密接に絡んでくるのが水資源の問題だ。水なしに農業は成立しないからだ。実際,人類の淡水使用量の70%は農業用水であり,その20%は地下水である。たとえば,小麦とトウモロコシの世界的生産地であるアメリカ中西部は,元々は不毛の大地だったらしい。降雨量が少なく乾燥していたからだ。ここが大穀倉地帯になったのは地下水を大量に汲み上げ,回転式スプリンクラーで大量に散布する技術が開発されてからだ。太陽が燦々と降り注ぐ大地は,大量の水を得て穀物畑に変身した。
だが,その地下水汲み上げによる大規模灌漑が農業そのものを破壊しようとしている。地下水位の低下,地下水の枯渇,そして塩類蓄積だ。要するに,地下水という有限の資源を,あたかも無限の資源のように扱って成立していたのがアメリカ農業などの大規模穀物生産であり,それは「持続不可能な農業」であって必ず破綻する運命らしい。
いずれにしても,特定の地域で大規模に大量の穀物を一気に作り,それを大量輸送システムで世界にばらまく,という食用の大量生産システムはもう維持でないところまで来ているのかもしれない。持続可能型食料生産とは恐らく,窒素肥料を使わない作物への転換と,家畜でない形でのタンパク質生産しかないと思うし,そこにしか未来に通じる隘路はないようだ。
(2012/06/25)