「ゼロリスク社会」の罠 ー「怖い」が判断を狂わせる★★(佐藤健太郎,光文社新書)


 本書の冒頭の『はじめに』の数行を読んで、これはいい本かもしれないと直感した。こんな意味の文章だ。

 現在,企業の花形部門といえばコンプライアンスを扱うCSR部だ。しかし,これは本来,会社の利益を生み出す部門ではなく,ディフェンス的部署である。しかし,ストライカーやチャンスメーカーが等閑に付され,デフェンスのみが脚光を浴びているチームは失点はしないが得点もできない。モンスターペアレントに怯え,モンスターペイシェントに怯える病院も同様だ。ディフェンスのみので新しいものを生み出せないでいるのではないか。

 論旨が明確であり、しっかりした主張がある文章だ。この文章を読んでさらに続きが読みたくなった。そして期待は裏切られなかった。


 本書で最も印象的たったのは次の文章だ。

 「危険」と「安全」は反対語として使われているが実は対語ではない。「危険・リスクがある」とは言うが,「安全がある」とは言わない。「危険」は実在するが,「安全」は実在するものではない。

 「安全な状況とは何か」という命題にあなたは答えられるだろうか。恐らくそれは,否定形で書かれた文章となるはずだ。つまり,「命の危険がない」,「病気の危険がない」,「食料に毒物が入っていない」,「道を歩いていても交通事故にあわない」,「車を運転していても事故にあわない」,「自分が乗った電車が脱線・衝突しない」,「空から隕石もジェット機も降ってこない」,「地震も津波も竜巻も落雷も襲ってこない」,「向こうから歩いてくる人間が覚醒剤中毒でない」,「買った弁当を食べても食中毒にならない」,「遊びに行った動物園で猛獣が逃げ出さない」・・・といった具合だと思う。

 では,上述の「危険」がなければ「安全」だろうか? もちろん安全ではない。列記しきれない「危険」がいくらでもあるからだ。向こうから走ってくる車の運転手が酔っ払っていて突っ込んでくるかもしれないし,たまたま入ったレストランで食中毒に見舞われるかもしれない。地下鉄のエスカレーターが突然停止して転落するかもしれないし,乗ったバスの運転手が突然、失神発作に襲われるかもしれない。いきなりスズメバチに襲われることもあるし、散歩中のドーベルマンの首輪が外れて襲ってくる可能性もある。

 では,これらの危険を全て回避したら安全かといえば,もちろんそんなことはない。他にいくらでも危険は転がっている。要するに,回避すべき「危険」は天文学的な数になる。そういう「危険」を全て排除した時に始めて,「安全」な状態となるわけだが,そういう状態は永遠に訪れないことは明らかだろう。つまり,「安全」とは幻影にすぎないのだ。

 そういうことを踏まえた上で,私達はどう考え,どう行動すべきかについて考察するのが本書であるが,その基本思想は「現実を知り,お伽話を排除し,無知による恐怖を取り除く」ということになると思う。


 本書で言及されている例を挙げてみよう。

 例えば,2001年の[9.11]の後,アメリカでは航空機に対するテロを恐れて航空機利用を避け,自動車移動に切り替えた人が多かった。その結果,例年に比べて交通事故死者は1600人増加した。そしてこの間,テロによる航空機事故はゼロだった。

 こんにゃくゼリーによる死亡事故(13年間で22例)は繰り返し報道されたが,1年間で5000人以上の交通事故死者も,3万人以上の自殺者もニュースになっていない。

 1990年代に大騒動となったダイオキシン,環境ホルモンはその後,リスクはほとんどないことが証明されたが,それらについては一切報道されていない。

 もしもジャガイモが21世紀に発見された植物なら,芽に毒物を含むため食品としては絶対に認可されないはずだ。現在の食品安全に関する法律はジャガイモを食品として認めないほど厳しくなったからだ。

 2012年5月,利根川流域で基準値を超えるホルムアルデヒドが検出されて,千葉県では広域に断水になるなど大騒動になったが,実はホルムアルデヒドの発がん性は揮発した蒸気を吸い込んだラット鼻腔粘膜でガンが発生するということのみ証明されており,飲料水に含まれるホルムアルデヒドでは発がん性は確認されていないらしい。「本当に断水しなければいけなかったのか?」という問に対しては,「法律で決まっていたから」という以上の理由付けはない。

 統計学的にオバマ大統領は55歳で死ぬはずだ。アメリカ大統領の平均寿命は平均的アメリカ人より短く、左利きは右利きより寿命が短く、さらに喫煙男性の寿命も短いからだ。実はここに「統計学の嘘・数字のマジック」が潜んでいる。理由を知りたければ本書を手にとって欲しい。


 最終章の「放射線基礎講座」も面白かった。「α線はメタボな核から放出される」というような説明も見事だが、「そもそも半減期が長い放射性元素とは、放射能を出さない元素である。半減期が短い放射性元素とは短期間に大量の放射能を出すから半減期が短くなるのだ」という説明は、一般に流布している「半減期が長い恐ろしい放射性物質」というイメージが間違っていることを教えてくれる。

 リスクはゼロにしなければいけない、という考えは不毛だし無意味だ。放射能に神経質になるのはわかるが、自然界に存在するカリウムの0.01%は放射性同位元素の K40 を含んでいて、私たちの体を作り、血液の中を回っているカリウムからも放射能は出ているのだ。同様に、バナナのようにカリウムを多く含む食品からも放射能は出ていて、1本のバナナには0.1マイクロシーベルト相当のカリウム40が含まれている。このようにして、私たちは常に7000ベクレルの内部被爆を受けているのである。このような事実を無視して、放射能を怖がっても意味がないのである。怖がるのは正しい知識を得てからでも遅くないはずだ。

(2012/09/24)

読書一覧へ

Top Page