人間と糖質の関わりについて考えていくと,問題は「穀物と砂糖」の2点に絞られることに気が付く。人類はなぜ穀物(コメやコムギ)を食べるようになったのか,人類はどのようにして砂糖の甘さの虜になっていったのか,にあることに気がついた。前者の「穀物と人類」についてはいろいろ勉強し,その本質的な部分まで肉薄できたと思っている。しかし,砂糖については実はほとんど知らなかった。そこで本書を読んでみることにした。500ページにも及ぶ大著だが,どうせ学ぶなら一番詳しい本を読んでみようと思ったのだ。
そしてこの本を選んで正解だったと思う。砂糖,特にサトウキビという植物と人間の関わりについてのアルファからオメガまで,すべてが網羅されているからだ。サトウキビの原産地と最初期の栽培の歴史,世界への伝播経路,精製の技術とその歴史,イスラム教と砂糖と十字軍,王侯貴族の味が下層階級まで広まっていった経緯などが詳しく語られ,現在のアメリカ政府の政策まで動かす砂糖協会のロビー活動の凄まじさ,そしてブラジルのバイオエタノールと間然とするところがない。
そして,17世紀のヨーロッパ社会は砂糖漬けになり,砂糖消費量がわずか数十年で10倍,20倍と増えていくが,その砂糖がどこから供給されていたのだろうか。それは,カリブ海の西インド諸島を埋め尽くしたサトウキビ・プランテーションからだった。サトウキビを栽培し,大量の砂糖を生産し,それをヨーロッパに運び入れるために,西インドの島々の原生林は切り開かれ,そして大量の黒人奴隷が西アフリカから奴隷線に乗って運び込まれた。サトウキビの栽培と砂糖の精製には莫大な労働力が必要だったからだ。通常の労働をしていては砂糖は生産できないのだ。
かくして,サトウキビ畑には数十万人の黒人奴隷が投入され,凄惨な奴隷貿易が始まり,家畜のように奴隷線に積み込まれた黒人は,まさに家畜以下の扱いで悲惨で過酷な労働を強制された。一日二十時間にも及ぶ重労働と,ろくに与えられない食事と休息のため,黒人奴隷は次々に死んでいき,死んだ奴隷の頭数を補充するために,さらに多くのアフリカ人たちが奴隷線に積み込まれた。そして,イギリスは莫大な富を手にすることになる。いわゆる三角貿易である。
本書は多くのページを割いて奴隷貿易と奴隷労働の非道さを詳細な証拠のもとに暴きだすが,あまりの凄惨さに読んでいて息苦しくなるほどだ。
サトウキビは大量の水を必要とする植物だが,プランテーションに植えられたサトウキビは黒人奴隷の血と苦痛と悲鳴と命を飲み込むモンスターに変身した。砂糖の輝くばかりの白さは実は,血塗られていた。砂糖で甘くした紅茶を飲むことは黒人奴隷の血を飲み干すのと同じだった。
だが,甘い紅茶を飲む人たちはティースプーンに山盛りにした砂糖がどのようにして作られるかを知らなかった。知らなかったから,それに血が混じっていることにも気が付かなかった。
そして,血と汗と困苦と呪詛が込められた砂糖は純白の輝きと甘さで人々を魅了し,大衆は大量の砂糖を消費し続けたが,実はその白さを一枚めくると,砂糖は血糊で汚れ,どす黒かった。
さらに砂糖は,産業革命の影の立役者でもあった。産業革命はそれまでの労働形態を大きく変え,多数の人間を一つの工場に集め,朝から晩まで(当時は午前6時から午後7時まで,ほとんど休みなしに働かせるのが普通だったようだ)同じ作業を延々と毎日続けることで製品を生み出す方式になった。経営者からすると,できるだけ安い賃金で長い時間働いてもらうことで利益が出る。その時,砂糖が有力な武器だった。
砂糖をたっぷり入れた出がらし紅茶と砂糖たっぷりの甘いお菓子を食べさせるだけで労働者は魔法のように疲労は回復し,また仕事に戻れるようになるのだ。もしもまた疲れたら,砂糖たっぷりの紅茶を飲ませるだけでいい。
そして労働者もそんな砂糖漬けの労働を受け入れた。何しろ砂糖は,ちょっと前までは王侯貴族しか口にできない贅沢品だったのだ。そんな砂糖がたっぷり入った飲み物が飲めるのだ。
西インドのプランテーションではサトウキビの絞り汁が疲労困憊の黒人奴隷の元気回復に使われていたが,イギリスでは砂糖に釣られた労働者が奴隷のように働かされていた。
そして,サトウキビは史上最悪の環境破壊を起こした植物となった。環境破壊の深刻さでは恐らくコムギと双璧をなすだろう。サトウキビは多量の水と養分を必要とするからだ(サトウキビの原産地はニューギニアだが,そこでは豊富な水と養分に富む土壌があったから当然のことである)。サトウキビは成長が早いことで知られる植物だが,無から有を生んで成長するわけでなく,土壌中の水と養分をサトウキビの体に作り替えていただけなのだ。
同時に,精糖作業の過程で大量の廃液が生み出された。その結果,サトウキビ畑の土壌は痩せ,表土が流出し,地下水が次第に枯渇していき,精糖工場近くの河川と土は汚染され,徹底的に破壊された。
だが,砂糖産業はサトウキビ以上に貪欲だった。砂糖を売るために結束し,やがてそれはイギリス最初の圧力団体として活発にロビー活動をするようになり,19世紀初頭からわき起こった奴隷貿易反対運動を徹底的に潰しに回った。砂糖から得られる莫大な利益の前では,黒人がいくら死のうと問題ではなかった。彼らにとって黒人奴隷は人間以下の存在だったからだ。
この砂糖産業@圧力団体の構図はアメリカにもそっくり引き継がれた。「ビッグ・シュガー」である。「女性はチョコレートや砂糖菓子を好む愛らしい存在」というキャンペーンを行い,子供がお小遣いで買える値段のキャンディーを販売して子供の味覚と嗜好を変えて一生逃れられない砂糖漬けにした。
さらに「ビッグ・シュガー」は研究資金を出している研究機関に「砂糖はいくら摂取しても健康被害を生じない」という研究結果を出させ,それを根拠にWHOの健康指針に加えるために画策した。この企みは現時点では奏功していないが,2005年のアメリカ合衆国農務省の指針から「砂糖の取りすぎは健康を害する」の一文を消し去り,代わりに「砂糖を加えればカロリーが増えるが,栄養価はほとんどまたは全く増えない。したがって,炭水化物類は賢く選ぶことが大切」という注意書きを付け加えるだけにさせることには成功した。当時のアメリカ政府(もちろん,史上最低の大統領と言われたあの人が大統領である)は国民の健康より,砂糖協会からの献金を選んだのだ。
ちなみに,サトウキビによる環境破壊の象徴とされるのがフロリダ州の大湿地帯エヴァグレーズである。ここはアメリカマナティーなどの希少生物の宝庫だったが,「ビッグ・シュガー」がサトウキビ畑を開発してから急速に荒廃・乾燥化した。環境保護団体は「ビッグ・シュガー」を非難したが「ビッグ・シュガー」は意に介さなかった。フロリダ州知事選挙に2600万ドルをつぎ込み,その結果,ジェブ・ブッシュ(ブッシュ@パパの次男,ジョージ・ブッシュの弟)が州知事に当選したからだ。
クリントン政権時代,副大統領アル・ゴアは「汚染原因者への税」によってエヴァグレーズを保護しようとしたが,「ビッグ・シュガー」はクリントンに直接電話をかけてフロリダ州選出の民主党議員を応援することを約束したことから,エヴァグレーズの環境破壊での砂糖農園の責任は不問に付されることになった。
その後,ブッシュ政権は復元計画を事実上骨抜きにし,実施を先送りした。それに署名をしたのはもちろん,ジェブ・ブッシュである。ブッシュ家にとって,エヴァグレーズの自然環境なんて州知事の地位と権力の前では,屁でもなかったのである。
(2012/10/09)