『見えない巨大水脈 地下水の科学』★★(日本地下水学会/井田徹治,講談社ブルーバックス)


 糖質制限についての本を書いているところだが、今更ダイエット本では誰も見向きもしないだろうということで、人類と糖質の問題をより深く掘り下げた内容の物にしてみようと悪戦苦闘している。

 もちろん、この本もその流れで読んでみた。なぜ地下水が糖質に絡んでくるかというと

〔糖質食≒穀物食〕

〔穀物といえば灌漑農法〕

〔灌漑に使われている水のほとんどは地下水〕
 
という関係にあるからだ。つまり、今日の穀物食(=糖質食)は地下水あってこそ可能であり、穀物の未来は地下から取水できる水の量で決まってしまうのだ。この問題については本書でも「世界の食糧事情を左右する地下水」、「食料問題と地下水」という章で詳細に述べている。


 それを最も象徴的に表しているのが、アメリカのオガララ帯水層の変化だ。オガララ帯水層はオクラホマ州、カンザス州、テキサス州などの中西部〜南西部にかけての8つの州にまたがる地域の地下にある世界最大の地下水を含む地層だ。その上に広がっているのが、あの広大な世界最大の穀倉地帯「グレートプレーンズ」である。オガララ帯水層の面積は日本全体より広いというから、その巨大さは想像を絶する。ちなみに、この帯水層の地下水のほとんどは氷河期(当時のこの地域は降水量が多かった)に地表からしみこんで形成されたものである。

 もともとのグレートプレーンズは雨が非常に少ない乾燥ステップ地域であり、乾燥に強い雑草がわずかに生えているだけの荒地だったが、オガララ帯水層が発見されて地下水の揚水が始まった1930年代から、急速に耕地を拡大していった。大地に容赦なく照りつけて大地を乾燥させていた苛烈な太陽光は、地下水によって大地の恵みを引き出す光合成の源となり、コムギやトウモロコシの圧倒的な生産力の高さにより、この地は広大無辺な巨大農地に変身した。

 グレートプレーンズ以外にも「世界の穀倉地帯」と呼ばれている巨大農地があるが、いずれも地下水を利用した灌漑農法が乾燥した大地を穀倉地帯に変えたものである。実際、穀倉地帯での食料生産は、その地下に眠っていた巨大な地下水を汲み上げることで維持されている。まさに、地下水あっての穀物生産であり、世界の水資源使用量の7割は農業用水として消費されているのだ。


 そして、オガララ帯水層からの揚水は年々増加した。1950年と1980年では、取水量は3倍、農地面積は4倍に増加している。
 だが、使った分の地下水はどこからも供給されない。何しろこの巨大な水は氷河期の置き土産であり、アメリカ中西部が再度氷河期に見舞われない限り、地下水が増える可能性はない。

 その結果、地下水位は年々減少している。過去30年で平均12メートル、最大30メートルの低下である。12メートルというとビル4階分だが、それほどの減少に思えないかもしれない。しかし、オガララ帯水層は日本より広いのである。そのどこでも12メートルだ。いわば、日本列島全体が12メートル沈下するようなものだ。まさに想像を絶するスケールの水位低下である。

 このような地下水位の低下は地下水を利用した潅漑農業を行っているあらゆる地域で起きていて、インドの穀倉地帯であるグジャラート州の地下水位はなんと年間6メートルというとんでもないスピードで低下し、この地の灌漑のうちの面積は半減したという。


 地下水の専門家は、

〔地下水の過剰揚水は20世紀の半ばから多くの国で同時発生的に始まった〕

〔帯水層の水位低下も世界で同時に起きている〕

〔帯水層の水位低下は世界各地で加速している〕

〔帯水層の枯渇は世界各国で同時期に起こるかも〕

〔そのとき、世界から穀倉地帯が同時消滅!〕
 
という予想をしているが、現時点ではこの予想を覆すデータは見いだせていないようだ。

 人類が肥沃な三日月地帯でコムギに出会ったのが1万年ほど前、そして最古の灌漑が始まったのが8000年ほど前、そして、エジプトやメソポタミアで本格的な灌漑農業の始まりとともに、安定した穀物生産が得られるようになり、人口が増え、その増えた人口をさらに穀物が支え・・・というように、穀物の潅漑農業はホモサピエンスの人口増加を支え、文明を支えてきた。その結果、われわれは70億人にまで増えている。

 だが、その灌漑農法は「持続可能型農業」ではなかったのだ。地下水という有限な資源を、あたかも無限であるかのように浪費することで成り立っているのが穀物生産であり灌漑農業だったのだ。


 そして地下水はまた、飲料水として欠かすことができないものだ。アメリカの人口の半分以上、ヨーロッパの人口の75%が、そしてアジアでは20億人が地下水を飲料水としているのだ。農業用水が枯渇する時、もちろん飲料水も同時に枯渇する。

 さらに現在、世界の都市人口は農村人口を追い越し、都市人口の割合は年々増加している。そして、都市生活はより多くの水を必要とする。農村ならウンコは野グソでも処理可能だが、都市では水がなければウンコを流せないのだ。都市生活は様々なライフラインで成り立っていて、水はその最も重要なものだ。

 アメリカやオーストラリア,さらにはヨーロッパの農業国のオランダやフランスの農村地域を見ると,広大な農地に少ない農家が点在しているだけだという。これは,農業がより効率化,大規模化して少人数でも国全体に必要な農業生産ができるようになったからだ。そして,この残りの大多数の人達は都市部に移住したわけだ。

 だが,そういう「農業地帯での少人数による大規模農業」と「都市部への人口集中」の両方を支えているのは,実はどちらも地下水である。数万年かけて地球が内部に貯めこんできた地下水を「大規模灌漑農業+都市住民への飲料水供給+工業地帯への工業用水供給」に使えたから可能だったことだ。
 しかし,その水源である地下水が枯渇した時に都市で何が起こるか、あなたは想像できるだろうか。そしてそれは、想像だけの世界でもなければ、遠い未来のことでもなさそうだ。


 糖質制限がらみの興味から読み始めた本だが、そこで提示されている問題は余りに巨大であり、そして深刻だ。果たして私たちがその問題を解決できるのかどうかすらわかっていない。

 いずれにしても、デンプンたっぷりの穀物食(ご飯、うどん、ラーメン、パスタ、パン・・・)を腹一杯食べている時代が未来永劫続かないことだけは確からしい。そしてその時、「パンがないならお菓子を食べればいいのに」というマリー・アントワネット流の解決策も通用しないことも確かだ。どうやらこれが、地下水の現状から見えてくる未来の姿らしい。

(2012/10/15)

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