植物という不思議な生き方★★(蓮実香佑,PHPエディターズグループ)


 植物についての様々な知識をわかりやすく説明してくれる良書だ。植物という生命体が選んだ戦略や生き延びるための論理が極めて明確にコンパクトにまとめている。そして,わかりやすく説明するための比喩がどれも秀逸なのだ。専門書(=専門家向けの本)と一般書(=専門家でない人向けの本)で同じような内容を扱うことがよくあるが,両者を書き分ける際にもっとも重要なテクニックが「適切な比喩」の有無だ。前者に比喩は必要ないが,後者には絶対に必要なのだ。なぜかというと,専門家には周知の事実でも非専門家には実感しにくいことがたくさんあり,そういう読者が実感できるようにする手段が比喩だからだ。


 例えば医者には「激しい疼痛」でもいいが,非専門家には「針で刺されるような痛み」,「居ても立ってもいられないような痛み」と書けば,具体的に痛みの度合いがイメージできる。1ミクロンというとよくわからないが,髪の毛の1/100というとその小ささがイメージできる。

 本書の文章の半分は比喩に費やされているが,そのどれもが適切なのである。植物学や生物学の知識がほとんどなくても,その比喩を読めば目の前に具体的なイメージが浮かんでくる。例えば,「イチョウは2億年前に登場した時の姿を現在に残していて,生きた化石と呼ばれている」という専門家にとってはごく当たり前の知識についても,本書では,海外の研究者がそこらに生えているイチョウの木を見て興奮して記念写真を撮りまくる様子を紹介し,「誰だって旅先でシーラカンスにお目にかかれば興奮するだろう。彼にとって日本のイチョウはまさにシーラカンスに匹敵する値打ちものだったのである」と説明する。なるほど,海水浴をしていたら目の前をシーラカンスが泳いでいたら大騒ぎするよな。そこらに生えているイチョウってそんなすごい植物だったのである(・・・台所のゴキブリや床下のシロアリもシーラカンス級の「生きる化石」だけどね)

 多分,この本の著者はこの本を執筆している時,寝ても冷めても「面白い比喩はないか。あっと驚くようなたとえ話はないか」状態だったと思う(私も一応,一般向け科学書を書いているから心理が手に取るようにわかる)。そして,手帳などを四六時中持ち歩き,これはと思う比喩が頭に浮かぶたびに小躍りし,書き留めていたはずだ。

 ちなみに,一般向けの解説本で専門用語を平易な言葉に置き換えただけの本や,数式を省いただけの本があるが,それらはたいてい駄本である。一般向けの意味を取り違えると,こういう駄本になる。


 さて,本書を読むと改めて,植物と動物は全く異なった論理で生きていることがわかる。植物とは要するに「その場から動かない」と決めた生き物だ。そしてそれは,光合成という32億年ほど前に誕生したエネルギーの大革命が可能にしたライフスタイルだ。

 動物にとって「動かない」という命取りである。その場にとどまっていては,やがてエネルギー源となる栄養分が枯渇するからだ。だから動物はいやでも栄養分を求めて動かなければならない。獲物が向こうからやってくるのを待つクモのような生き方もあるが,それでも餌が全く捕まらなくなれば動いて新しい場所に巣を張るしかない。


 しかし,32億年前,シアノバクテリアは太陽光と二酸化炭素と水からエネルギー(=ブドウ糖など)を作り出すという離れ業を開発した。光合成である。同時代の真正細菌や古細菌が,せいぜい硫化水素や二酸化炭素を分解して得られるわずかなエネルギーで生活をしていたが,シアノバクテリアはけた外れのエネルギーを手に入れたのだ。これは例えて言えば,畑を耕しても飢えない程度の作物しか収穫できない村に,突然,億万長者が引っ越してきたようなものだ。何しろこの億万長者は日光浴しているだけで富と食べ物を手に入れられるのだ。当時の真正細菌や古細菌はさぞかしビックリしたことだろう。

 その結果生まれたのが「動かない」というライフスタイルだ。何しろ,じっとしていても太陽の光は降り注いできて,体の中で栄養分ができるのだ。なにもわざわざ動いてエネルギーを無駄に使うことはない。そして,シアノバクテリアを取り込んだ多細胞生物が出現し,それは「根無し草生活」から「地に根を下ろした生活・動かない生活」をする生物になり,これが後の植物である。植物は4億7000万年前(オルドビス紀)に陸地に進出する。最初の頃は動物は陸地にいなかったから植物にとっては平穏無事な毎日だったと思われる。


 それが変わったのは4億年前の昆虫の登場だ。当初彼らは,植物の死骸だけ食べる大人しい連中だったが,一部の昆虫は植物の葉が光合成の結果できた糖分が蓄えられていて,種子には脂肪やタンパク質が詰まっていることを知ってしまったのだ。「動かない植物」が「食料倉庫」だと気付いてしまったのだ。かくして,書空量庫に群がるように植物に様々な細菌や動物が襲いかかってきた。

 もちろん,植物だって黙って食われるほどお人好しではない。細菌が通れないように葉の表面をコーティングしたり,抗菌物質を作るなど,様々な対抗策を繰り出していき,それに対し,細菌側もそれを上回る攻撃方法を編み出していく。果てしなき軍拡競争の始まりだ。

 葉を食い荒らす最強の敵である昆虫の幼虫に対しては,幼虫の食欲減退物質や,成長を早めて成虫にする物質まで合成し,さらには幼虫に寄生する寄生蜂を呼び寄せるという荒技すら編み出していった。それどころか,「自然界最強の昆虫」であるアリを用心棒として招き入れたりもしたのだ。


 要するに,「動かない」でいるのも楽ではないのである。「動く生物」がいる世界で「動かない」ライフスタイルを貫き通すのには,それ相応の工夫とコストがかかるのだ。

 32億年前にシアノバクテリアが光合成に成功した時,もしかしたら「これで子々孫々,遊んで暮らせる」と考えたはずだ(・・・脳はないけど)。実際,それから30億年近く,シアノバクテリアとその子孫(=植物)は降り注ぐ太陽を浴びて優雅に暮らしてきた(・・・もちろん,途中には全球凍結などあったけど)。彼らの唯一の誤りは,光合成から糖を作る際に発生する酸素という廃棄物を無造作に垂れ流し続けたことだ。なんと,猛毒である酸素(何しろ,触れた物全てを錆びさせる恐怖の元素である)から莫大なエネルギーを生み出すモンスター,真核生物が登場したのだ。このモンスターは有り余るエネルギーで植物に襲いかかってきたのだ。まさにこのモンスターはシアノバクテリアとその子孫自身が生み出したものだ。優雅に遊んで暮らすどころか,一瞬でも気の抜けない殺伐とした世界で暮らす羽目になってしまった。

 それもこれも,32億年前に光合成に成功した時に,廃棄物(=酸素)の処理を全く考えず,そのうちどうにかなるだろうと高をくくっていたことが原因なのだ。世の中,糾える縄の如しである。


 ちなみに,この本にはKindle版もあり,私はこちらを購入した。

(2013/03/18)

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