生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像★★★(中沢弘基,講談社現代新書)


 今回紹介する本が提唱する「地球に生命が誕生した時期に,生命誕生に適した環境が成立していた」という仮説は,以前紹介した『RNAワールド仮説』『GVDA仮説』『エネルギー合成仮説』より優れていると思う。
 例えば,RNA仮説には「RNAのような不安定な物質が最初に作られるのは不自然」という弱点があるし,GVDA仮説には「4種類のアミノ酸ができるまではいいとしても,それから高分子が形成される過程の説明が弱い」といった弱点があったが,今回の仮説には理論的に弱い部分がほとんどないと思われる。
 そして何より,プレートテクトニクスが生命誕生に重要だったという発想,及び証明が素晴らしいと思う。


 本書はまず,「生命進化は巨大化,特殊化,複雑化の方向に進んでいるが,これは熱力学第二法則に反しているのではないか」という疑問から出発する。もちろん,その答えは「生命体は負のエントロピーを食べ,エントロピーの大きな排泄物を出し,その差額で自身のエントロピーを小さく保っている」からだ。そして,地球自体もまた,エントロピーが小さくなる方向に進化してきた。

 微惑星や隕石の衝突によって誕生した地球は全体が灼熱のマグマオーシャン状態であり,エントロピーは最大の状態だった。その後,熱を宇宙空間の放出して地球全体の温度が下がるにつれ,地球は中心核とマントルと地殻に分かれ,更に冷却が進むと水が分離して海が誕生した。これも生命同様,秩序化,複雑化の方向に進んでいて,エントロピーは減少している。そして,地球の冷却とエントロピー減少のなかで生命が誕生する条件が揃ったのだ。


 生命誕生に決定的な役割を果たしたのは,43億年前の海の誕生と,その後(40〜38億年前)の隕石の後期重爆撃であり,後者は誕生直後でまだ不安定だった太陽系の惑星軌道の揺らぎによって発生したイベントで,火星と木星の間にある小惑星帯が誕生直後の地球に降り注いだ。その頃,地球表面に陸地はなく,原初の海が地球全体を覆っていた。

 そして著者らは,誕生直後の海への隕石衝突を実験室で再現し,アンモニアが生成されることを確認し,温度の低下とともに炭化水素,アルコール類,アミン類,プロピオン酸などが形成されることを証明する。この後期重爆撃によって生じた有機物分子は,少なく見積もっても現在の全世界の年間石油生産量より一桁多いと推定されているそうだ。


 生成した有機物には水溶性のもの,難溶性のものなど種々雑多だったが,水溶性で粘土親和性のもののみが生き残り,他の有機物は分解されて軽元素に戻った。水溶性で粘土親和性でなければ生き残れなかったとも言えるし,粘土に守られて有機物は生き延びたとも言える。

 一方,40億年前に地球ではプレートテクトニクスが始まる。これも地球の構造化の一環だ。海底地殻の移動に伴い,海底地殻に沈殿した粘土と結合した有機物も移動し,深部に移動する。この時,海底堆積物が還元的な状態であったことが幸いした。還元状態では有機物の分解が抑えられ,脱水重合により高分子化する方向に反応が進むからだ。そして,著者たちはこの深部地殻を実験室で再現し,様々なアミノ酸は自然にペプチドに変化することを確認している。そして,この過程でアミノ酸や糖のホモキラリティが獲得されたと推論している。


 様々な物理現象を生き延びてきた高分子は,やがて小胞に取り込まれ,熱水の中を分解されずに生き延びる。恐らく,有機物は小胞以外にも様々な物質と複合体を作ったが,生き延びたのは小胞に取り込まれたものだけだった。これが最初の「生命」の誕生だ。これまで「生命誕生」には代謝が先か,遺伝物質の誕生が先かという論争があったが,本書が提案するのは「膜で囲まれた個体の成立」が先という仮説だ。

 ちなみに本書によると,最初の生命体であるLUCAは存在しないことになる。最初の生命体は膜の構造も含まれる高分子の種類も量もバラバラであり,「種」という概念が存在しないからだ。しかしこの「生命体」には明らかに「生と死」がある。

 やがて小胞は熱水噴出孔への流れに入る。一部の小胞は分解されたが,流速の遅い箇所では再癒合も起こり,次第に「熱水による分解」を回避する小胞に進化する。これも「特殊化」であり,環境によるセレクトだ。この過程で,「小さなエントロピーの物質を取り込んで,自分自身のエントロピーをさらに小さくする」という反応が進む。いわば「エントロピー代謝」だ。つまり,誕生直後の生命では物質代謝以前にエントロピー代謝が成立していたのだ。

 そして,大き過ぎる小胞は構造的に不安定になり,2個に分かれる方向に反応が進む。そして,効率的に分離するシステムが選択される。これが「遺伝」の始まりだ。まさに,私達につながる37億年の生命の連鎖が産声を上げた瞬間だ。その結果,私達は今を生きている。


 この仮説が正しいとすれば,地球以外の惑星では生命が誕生するのは難しいことになる。太陽系進化史の中で小惑星帯の軌道が不安定になった時期は限られていたし,後期重爆撃が起きたとしても海を直撃しなければ有機物は作られなかったからだ。もしも後期重爆撃が「海の誕生」以前(45〜43億年前)に発生したら,アンモニアもアミノ酸も形成されることはなかった。また,後期重爆撃が海に落下して有機物が形成されたとしても,プレートテクトニクスが始まっていなければ,有機物が高分子に変化することは不可能だった。海の形成,後期重爆撃,プレートテクトニクス開始が絶妙のタイミングで揃っていたからこそ,地球に生命は誕生したのだ。

 火星も重爆撃に見舞われたが,火星には海がなければ有機物は形成されず,プレートテクトニクスがなければ有機物が高分子に進化することもなかったことになる。要するに,地球と火星の質量差が決定的な違いだったのである。
 現在の天文学では,ハビタブルゾーン(液体の水が存在する惑星軌道の範囲)の惑星探しが大流行(?)だが,「液体の水があれば生命がいる可能性がある」というのはあまりにも短絡的だ。もちろん,液体の水は生命維持に必須条件だが,「現在の地球の生命体が生存する条件」と「生命体が誕生する条件」とは異なるのだ。エウロパやエンケラドスには大量の水が存在することが確認されていて水があれば生命は生存できるが,水があるだけでは生命は誕生しないのだ。


 本書では,なぜ後期重爆撃が起きたのかについては説明がないが,太陽系生成の最新の知見によると,40億年前に起きた「海王星の移動」によるものらしい。海王星はもともと太陽から20au(天文単位:太陽から地球までの距離を1天文単位という)の位置だったが,付近の微惑星を繰り返し外側に吹き飛ばしたため,次第に自身の軌道も外側に移動し,現在の30auの位置で安定したらしい。
 この移動に伴い,海王星の外側にあった「エッジワース・カイパーベルト天体」の一部の軌道が乱れ,太陽系の内側の惑星に向けて降り注いだが,これは月のクレーター形成が40億年ころに集中していることから,ほぼ確実視されている。そしてこの大量の隕石群が海洋形成直後の地球にも降り注いだわけだ。

(2014/06/16)

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