以前から,狩猟採集時代から農耕の始まりにかけての人類史について集中的に勉強しているわけだが,調べれば調べるほど,「人類は農耕開始によって安定した食糧が得られ,その結果,人口が増え,都市が誕生し,都市文明が発達した」というかつて信じられてきた「常識」が間違っていたことが分かってくる。
そして何より,現代人の頭に浮かぶ「人口増加」とは農耕開始による「人口増加」はあまりにも違っているのだ。最も異なるのは,増加のスピードである。
例えば,「旧石器時代の100万人,新石器時代の1000万人,青銅器時代の1億人,産業革命期の10億人,21世紀終わりには恐らく100億人」というのは数字の羅列に過ぎず,増加のスピード感については実感できないと思う。
本書に寄れば,旧石器時代盛期(紀元前3万5000年から3万年)から新石器時代までの3万年間の人口倍増期間は8000〜9000年とされている。人口倍増に9000年である。人間の寿命に対し9000年はあまりに長い。だから,当時の人々が「最近,人が増えた気がするんだよ」なんて感じることはなかったはずだ。
新石器時代以降,人口は着実に増えてキリスト誕生の頃には2億5000万人に増えたが,この期間の人口倍増期間は2000年弱と,これまた人間にとっては永遠にも等しい長さである。その後,産業革命前夜には世界人口は7億5000万人と1850年間で3倍に増えるが,人口倍増期間で見れば紀元前5000年ころの増加率と対して違わないと言える。
この人口倍増期間を,例えば北海道の人口推移(1900年で100万人,1920年に200万人,1950年には400万人)と比べると,「人口が倍に増える」と言っても全く異なる現象と考えたほうがいいことが分かる。
以前,「狩猟採集時代からいきなり,農耕が始まったわけではない。狩猟採集民が定着生活に移行したことが最も重大な変化だ」という本『人類史のなかの定住革命』を紹介したが,本書でもそれは強調されている。
このあたりを時系列で見ていくと,最終氷期の末期(1万2000〜1万1000年前)に地中海東岸の針葉樹林が広葉樹林に変化し,それにともなって狩猟採集民はオークの森でドングリを採取する生活になり,ドングリを採取するだけで生活できるようになったため,徐々に定住生活に移行したようだ。そして,次第に人口が増えてきたため,一部の人間はチグリス川とユーフラテス川に囲まれた地域に移動し,そこでコムギ栽培を始め,これが農耕の開始である。つまり,人口増加は農耕開始前に始まっていたことになり,「農業開始で人口が増えた」わけではない。となると,人口が増加した(と言っても,数千年かかって人口が倍増する程度だが)原因は「定住生活」そのものと考えるしかない。
なぜ,定住しただけで人口が増えたのか。それは,ボツワナに暮らすクンサン族(狩猟採集民)の研究から明らかだ。クンサン族は年に数千キロを移動するが,4歳以下の子供は女性が常に背負って移動し,その間,ずっと母乳保育を行っている。当然,その期間は妊娠しない。また,子どもの身体的成長も遅く,母親の毎日の長距離移動に好都合と考えられている。その後,クンサン族は定住化したが,出生率は上昇しているのだ。恐らく,「定住後,かつ農耕開始前」の人類にも同じ変化が起きたはずだ。
そして,穀物の栽培が始まるが,本書によれば,これも追い詰められてしかたなく始めたものらしい。人口増加の結果,採集できる食糧が不足し,それまで食用でなく栄養も乏しい植物(=穀物)を食べざるをえなかったのだ。
その結果,農耕開始とともに人間は低栄養状態になり,身長が低くなっていく。これは,穀物栽培が軌道に乗り,食事の多くを穀物に依存するようになった地域で普遍的に見られた現象である。それと同時に,狩猟採集時代には一日せいぜい2時間働けばよかったのに,農耕開始とともに労働時間が長くなり,辛く単調な仕事に耐えなければいけなくなった。
一方,定住化は負の側面も持っていた。感染症が容易に拡がり,寄生虫が人から人へと観戦するようになったからだ。つまり,栄養状態の悪化と感染症の危険性増大にもかかわらず,人口はゆっくりと,しかし着実に増えていったことになる。逆に言えば,農耕には,これらのマイナスを補うだけの人口増加要因があったことになる。
それが子育てに費やすコストの低下だ。これについて本書では,「農耕社会では子どもは経済的に役に立つが,移動生活にとっては子供は邪魔になりやすい」という言葉を引用している。つまり,[狩猟採集・遊動生活]⇒[狩猟採集・定住生活]⇒[農耕・定住生活]の変化に伴い,[子どもは生活に邪魔]⇒[生活の邪魔にならない]⇒[子どもは役に立つ]という価値観の変化が起きたのだろう。
恐らくこれこそが,「栄養がなくからだに悪いもの(=穀物)を食べ始めたのに,人口が増えた」真の理由ではないかと想像される。
(2014/09/08)