日本の長寿村・短命村★★★(近藤正二,サンロード出版)


 本書は東北大学公衆衛生学教室の近藤教授が,昭和10年から36年間かけて,全国990ヶ所の長寿村・短命村を自分の足で回り,何が寿命の長短を決めているのかを解き明かしていく稀有の書である。昭和10年といえば私の母親が生まれた頃であり,36年後の昭和46年は私が中学2年生の頃だ。なんとも息の長い研究であり,よくぞ続けたものだと感嘆する。

 しかも,990の村に実際に赴き,村人たちの生活の場に入り込み,実際に何を食べているのか,どのように食べているのか,どのように働いているのか,働いている様子はどうかを,自分の目で見て観察しているのである。「自分の足で歩く」と言っても,何しろ昭和10年代〜30年代の村々である。田舎に行けば行くほど鉄道網も道路網も未整備だった時代であり,田舎の村から別の村に移動するのは非常に時間がかかるのだ(昭和40年代に秋田で育ったからよく分かる)。「ちょっと高速道路で・・・」という調査ではないのである。


 そういう膨大なフィールドワークから,近藤先生は次のように結論づけている。

 その他にも,飲酒量,重労働している時間と寿命についても分析しているが,これらと寿命については関連はなかったとしている。それ以前の日本の学会では「ドブロクの消費量が多いから秋田県は短命」とか,「重労働するから短命」と考えていたが,食事以外の要素は寿命とは無関係だったのだ。

 また,長寿村と短命村で大きな違いがあるのは,前者は健康長寿であるのに対し,後者は50代くらいから老化が始まり,不健康であることだ。何しろ,米ばかり食べている村では「せめて60歳まで生きていたい。早く辛い畑仕事をしなくていいようになりたい」と願っているが,米を食べずに野菜と海藻を常食する村では「80歳になっても90歳になっても畑に出て働くのが当たり前だし,働くのが楽しい」のである。
 これらは,「昭和14年の日本人の平均寿命は49歳」,「昭和46年の平均寿命は70歳」という統計の数字からは見えてこないものだ。数字を足して割り算して得られる「平均値」ばかり見ていては見落とすものがあるのだ。


 そして近藤教授は図らずも,「日本人は和食を食べていなかった」という事実を記録しているのだ。

 和食が世界遺産に登録されて以降,「日本人は和食を食べているから,世界一の長寿だ。米が健康に悪いわけがない」という珍説を振り回すおバカさんが増えたが,本書を読むとわかるが,「日本人の食事=和食」でもなければ,「日本人の食事=米」でもなかったのである。少なくとも昭和46年くらいまでは,日本各地の食事内容は地域ごとに異なり,いずれも今日のわれわれが認識する「和食」とは程遠いものだったのだ。

 例えば,米どころとして名高い山形県や秋田県の村では,塩辛い漬物でどんぶり飯を何杯もおかわりし,野菜を畑で作ることもなく,野菜を食べる習慣もない。その結果,秋田は全国一の短命県だ。同じ米どころのに新潟では,大豆を田んぼのあぜで作り,日常的に大豆を食べていて寿命は短くない。米と魚ばかり食べて,野菜も大豆も食べない短命な漁村もあるし,米どころなのに米は売って自分たちは食べず,野菜を多く食べる長寿村もある。野菜と海藻を常食し,物々交換で手に入れた魚もよく食べる長寿村もあれば,漁業が盛んで魚を売った金で米を買い,野菜も海藻も食べない短命村もある。昔からの言い伝えで,カボチャを食べない短命村もあれば,「野菜は女が食べるもので,男は野菜を食べない」という女性は長寿で男性は短命という村もある。

 つまり,食事内容は地域ごとにバラバラであり,数種類の食材だけを毎日食べていた村がまれではなかっの。要するに,「栄養バランスの取れた和食」からは程遠く,「いかにも日本食」というような食事が一般家庭に普及するのはその後の時代だったことがわかる。

 もちろん,昭和10年代にも今日の私達が「和食」と認識している料理を日常的に食べていた日本人もいただろうが,決して多数派ではなかったと思われる。


 また,「米どころなので米ばかり食べる短命村」がある一方で,「米どころだが取れた米は商品として売り,自分たちは食べない長命村」があったという事実は,日本全体の米生産量といった統計の数字からは,個々の村,個々の日本人が米をどのように食べていたかはわからない,ということを教えてくれるし,少なくとも昭和40年代までは,日本人と米の結びつきはそれほど強固なものではなかったようだ。

(2014/12/18)

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