この本の主役は恐竜でも鳥でもない。酸素と呼吸だ。そして,酸素と呼吸がいかに生命体を進化させてきたのかを見事に解き明かしていくことが本書の目的だ。
これまで,動植物の体制(ボディープラン)は,「首が長くなると高い木の葉が食べられるようになるので首が長くなった」とか,「体が大きいほどオス同士の戦いで有利になるからオスの体は大きくなった」というように,食物とか生殖などで説明されてきた。
だが,本書の著者は「体制を変化させる原動力は呼吸であり,いかにして酸素を取り込むかという工夫だ」と看破する。なぜか。多細胞生物は栄養素を摂取しなくてもすぐに死ぬようなことはないが,酸素が取り込めなかったらほどなく,そして確実に死ぬからだ。
しかし,私たちは酸素を気にせずに生きている。というか,呼吸を意識することすらない。なぜか。それは大気中の酸素が21%と高いからだ。そして,植物が光合成を続けている限り酸素は無尽蔵な資源であり,人類が70億になろうが100億人に増えようと酸素が減少する心配はない。食べ物や淡水や石油はいずれ必ず枯渇するが,酸素はほぼ無限なのだ。だから私たちは意識せずに呼吸している。
だが,地球の歴史を数億年のタイムスパンで見ていくと,酸素濃度は信じられないレベルで上下してきたのだ。地球が誕生した直後の大気の酸素濃度はゼロだったし,シアノバクテリアが誕生して光合成を始めたものの,25億年前(シアノバクテリア誕生から7億年後)になっても酸素濃度は2%と希薄だった。カンブリア紀の大爆発の時期も,ペルム紀大絶滅の時期も,最初の恐竜が産声を上げた時も,酸素濃度は10%台の前半と,現在の地球から見ると信じられないくらい低酸素状態だった。要するに,当時の地球大気は現在のヒマラヤの高山地帯の大気中の酸素分子数であり,同様の息苦しさだったのだ。
しかし,それらの時代に生まれた生物は文句を言っている暇はなかった。一刻でも早く,体が必要とする酸素を水中や空中から取り込まなければ酸素不足から動けなくなり,やがて死が待っている。おまけに,その低酸素状態は一時的なものではなく,数百万年から1億年間も続いたのだ。
実際,そのような低酸素状態で多くの生物が死に絶えた。実際,これまで地球生命史に5回あった大量絶滅のうち4回は,低酸素状態,あるいは急激な酸素濃度の低下により引き起こされたものだった(オルドビス紀,デボン紀,ペルム紀,三畳紀)。唯一の例外はあの白亜紀大絶滅である。
しかし,その大量絶滅のさなかに,水中や大気中から乏しい酸素を効率よく取り出せるように体の構造を変えるものが出現する。それがカンブリア紀の節足動物であり,ジュラ紀を代表する恐竜だ。
節足動物は体節ごと鰓を配置し,その鰓を殻で覆い,付属肢で作った水流で常に新鮮な水で鰓を灌流する,というシステムを開発した。これにより,水中の薄い酸素を効率的に取り込み,二酸化炭素を効率よく排泄できるようになった。その結果,節足動物は競争相手が死に絶えたカンブリア紀の海で爆発的に進化し,数と種類を増やした。そして,酸素濃度の上昇とともに,酸素を効率的に取り込める機能は,大量の酸素を必要とする神経系と筋肉系を可能にし,それから高度な運動能力を持つ捕食動物が誕生した。
デボン紀に初めて陸上動物が登場するが,これも酸素濃度の上昇がもたらしたと考えられている。4億3000万年前の節足動物の上陸も3億7000万年前の両生類の上陸も,いずれも大気中の酸素濃度が高い時期に一致している。
最初に上陸した節足動物も両生類も呼吸器の酸素を取り込む機能は低かったが,それでも彼らが生き延びられたのは,大気中の酸素濃度が高かったからだ。実際,石炭紀からペルム紀中期までは酸素濃度は30%にも達していた。
だが,それから酸素は急激に低下し,ペルム紀末に10%程度にまで下がる。その結果,ペルム紀末の大量絶滅(生物種の96%が死滅!)が起きた。
この酸素濃度は当時の爬虫類にも襲いかかった。それまでの爬虫類の体制(体の側方に四肢が出ている)では,体をくねらせて動くしかなく,その運動が肺を圧迫するため,「運動しながら呼吸をする」ことができなかったからだ。
そこで,一部の爬虫類は四肢を体の側方でなく直下に配置し直した。これにより,呼吸と体の移動が分離でき,動きながら呼吸ができるようになった。これで呼吸はかなり楽になった。
しかしそれでも低酸素状態は続く。それに対し,恐竜という新世代の爬虫類は,二足歩行という前代未聞の移動方法を開発し,同時に気嚢という最高の効率で薄い大気から酸素を取り込む肺を獲得する。
その結果,恐竜は他の動物が低酸素状態であえいでいるのを尻目に,高速移動ができるようになり,「待ち構えて襲う爬虫類」とは全く別の「自分から動いて獲物を探す恐竜」が誕生した。その結果,恐竜は無敵の王者となり,酸素濃度の上昇とともに巨大化し,数も種類も増やすこととなる。
その恐竜から誕生した鳥類は恐竜から気嚢を受け継いだ。その結果,鳥類はヒマラヤ山脈最高峰のはるか上空を軽々と飛行している。最初の恐竜が生まれた低酸素状態は,まさに原罪のヒマラヤ山脈の酸素濃度であり,その恐竜の機能をさらに発達させた鳥類にとって,ヒマラヤ上空は「酸素に満ちた」世界なのだ。
恐竜と鳥類を分けるものは「体温」だ。前者は変温動物,後者は恒温動物だ。恐竜の時代は「低O2 & 高CO2」であり,後者による温室効果で地球全体が現在の熱帯より暑かったため,恐竜は変温動物でありながら体温は高かったと考えられている。
本書を読破し,完全に内容を理解するためには,やはりそれなりの基礎科学の知識が必要となる(特に,化学と物理と生物学)。その意味では,そのあたりの知識はちょっと・・・という人には,かなりハードルが高いかもしれないが,とにかく素晴らしい本であることは私が保証する。この分野に興味を持っている人なら必読の書だ。
(2015/01/05)