初期人類(本書では「初期ヒト科」)の進化や行動について,極めて示唆に富む書だ。本書と,前回紹介した『性の進化史』を重ねあわせると,初期人類の姿がより明確に浮かんでくるはずだ。その意味で,初期人類について興味を持っている人は必ず読んだほうがいいと思う。
本書の趣旨は極めてシンプルだ。一つは「初期ヒト科はネコ科動物などの肉食獣に捕食される側の動物だった」,もう一つは「捕食から逃れるための工夫が人類を進化させた原動力だった」である。この2文を読んで,皆様はどう思われるだろうか。特に一つ目の文章について・・・。
私は「そんなの,当たり前だろう」と思った。初期ヒト科が使っていた石器を見ると,それで大型獣の狩猟をするのは不可能だからだ。たとえ,右手に石器をもち,左手に火(松明)を持っていたとしても,それで,襲ってきたライオンやヒョウを撃退できるわけがないのだ。撃退できない以上,喰われるのは当たり前である。同様に,ハイエナの群れや大型のヘビ,ワニに襲われたら,まず間違いなく,彼らの胃袋に直行だろう。常識的に考えれば,「ヒトは食べられる弱者である」というのは当たり前すぎると思う。
これは,現在でも同じで,常に大型肉食獣と同じ生活圏で暮らしている人々なら,「そいつらに出会ったら運が良ければ逃げられるが,そうでなければ食べられる」のは当たり前の感覚だと思う。
しかし,キリスト教文明の方々にとっては,「聖書には,人間は他の動物を支配するよう神が命じたと書いてある。だから,ヒトが動物に食べられるというのはありえない」となるようだ。何しろ彼らは,大真面目で「ノアの箱舟」の遺跡を探し,「ノアの洪水」の地質学的証拠を探すのに躍起になっている連中だ。最初に聖書ありき,で成立したのが西洋文明である以上,聖書の記述と正反対の仮説には,まず拒否反応を示したはずだ。
要するに,東アジア的な豊かな自然を背景にした多神教と,西アジア的な荒涼とした砂漠を背景にした一神教文明では,自然の捉え方,人間の捉え方が異なっているのだ。前者では,人も動物も自然も一体のもの,人も神も自然の一部である。しかし後者では,神は人に「自然を支配しろ」と命じた,と信じる以上,人は自然(や動物)と隔絶した存在と考えなければならなくなる。
そしてこれが,キリスト教文明国に発生した「科学」を時にねじ曲げていく。無意識のうちに聖書の記述に合わせて観測結果を読み取ってしまう。つくづく,一神教とは面倒なものだと思う。
だから,本書の著者は,たかだか「ヒトは動物に食べられてきた」のを証明するために,アウストラロピテクス・アファレンシスの頭部化石に開いた穴と古代のヒョウの牙がピッタリ一致することを示し,現在でも世界各地で人間が動物に襲われているというデータを示し,現生霊長類がいかにネコ科動物に食べられているかを膨大なデータで示す必要があったのだ。その結果,本書は回りくどいくて繰り返しが多くなった。キリスト教の教えにドップリと浸かっている欧米の読者を納得させるためには,ここまでしつこく説明するしかなかったのだろう。
本書の著者の方法論は「化石証拠と現生霊長類だけの情報源から,先史時代の人類を研究する」というものだ。要するに,動物に捕食されたことを示す初期ヒトの化石と捕食者を割り出して「ヒトが食べられてきた」ことを証明し,現生霊長類の「捕食されないための工夫」が初期ヒト科に受け継がれ,それに磨きをかけることでヒト科は進化したと説明する。
だが,本書を最後まで読んでも,「捕食されないための工夫」が「他の霊長類と異なるヒト科の進化」と結びつかないのである。なぜなら,「捕食を防ぐ行動・対策」は他の霊長類にも共通して見られる「霊長類に一般的な行動」だからだ(それは本書に明記されている)。
つまり,チンパンジーもボノボも初期ヒト科も,肉食動物による捕食圧を同等に受け,その対策をとってきたのに,チンパンジーは今でもチンパンジーのままであり,一方,同じ捕食圧を受けていた初期ヒト科は小惑星に探査ロケットを打ち上げている。この違いは明らかだが,それは「肉食動物からの捕食と,それに対する対策」では説明できないような気がする。
となると,本書の著者の「現生霊長類だけの情報源から研究する」という基本姿勢自体に問題があり,はっきり言えば間違っていると思う。
例えば,霊長類では大型になるほど植物食になるという一般則がある。同時に,ヒト科の歯が肉食動物のものではないことも明らかだ(ヒトの歯で肉を食いちぎるのは不可能だから)。そこで著者は,
確かに人の歯は肉を食いちぎる事はできないし,植物質の硬いものをすりつぶせる歯であるが,だからといって,「植物しか食べられない」と結論付けることはできないはずだ。食いちぎらなくても食べられる動物はいくらでもいるからだ。また,「ヒト科は肉を消化できない」に至っては生理学を無視している。胃液は肉(=タンパク質)のみを消化できるからだ。
本書の著者がどこで間違えたのか。それは,「肉食とは大型動物の肉を食べること」という現代欧米文化の常識(=先入観)を研究の土台にしたことだ。あれほど「聖書に惑わされるな」と書いておきながら,実は「欧米文化の常識」に惑わされているのである。だから彼は,「肉食とは豚や牛などの大型哺乳類を食べること」と考えてしまった。しかし,本来の「肉食」とは「植物以外のあらゆる動物(節足動物,軟体動物,両生類,爬虫類など)のタンパク質を摂取すること」であり,哺乳類を食べることではないのである。
さらに,本書の著者は,「ヒト科と他の霊長類の境目は二足歩行しかない」と最初に仮定しているが,これは二足歩行の過大評価ではないかと思う。二足歩行はたしかにヒト科の特徴ではあるが,それで初期ヒト科と他の霊長類の違いを説明するのは無理がある。霊長類全体を見渡すとわかるが,生息環境が二足歩行に向いていれば二足歩行を続けるし,二足歩行に向かない環境であれば無理に二足歩行する必要はない。
私は,ヒト科と他の霊長類や他の動物で最も違うのは,大脳の暴走的発達・進化だと考える。チンパンジーが木の枝という「道具」でシロアリを釣り上げたとしても,彼らが700万年後に製鉄技術を開発するとは思えないし,ボノボが多彩な言語を持っているとしても,「ギルガメシュ叙事詩」を書き記すとは到底思えない。
一方,ヒトの脳の機能は4万5000年前を境に爆発的に発達し,抽象概念を扱う能力を手に入れたが,それは,数百万年かけて増大させた脳があったからだ。その脳が,過去の出来事から未来を予測する能力を持つようになり,目の前の物事を数字や言語に置き換える能力を持ったのだ。
このような脳の機能の発達の前段階として,大脳皮質の神経細胞を増加させる必要があるが,そのためには脂肪とタンパク質を外部から摂取しなければならない(脳の乾燥重量の6割が脂肪,4割がタンパク質)。チンパンジーやボノボやゴリラと同じものを食べていては,ヒト科の脳は大きくなるはずがない。脳を大きくするにはまず脂肪とタンパク質を食べなければならない。
最初の人類が類人猿と分離したのが600万年前だが,400万年前までは脳のサイズに変化はなかった。そして,300万年前になると頭骨に変化が見られるようになり(アウストラロピテクス・アフリカヌスの脳容積は500ml。チンパンジーは400ml),脳の拡大が明確に見られるのは160万年前のホモ・ハビリスだ(脳容積640ml)。そして180万年前〜7万年前に生存していたホモ・エレクトゥスで脳容積は1040mlに達し,われわれホモサピエンスの脳は1350mlになった。
要するに,何らかの理由で木から下りて平地で生活するようになった初期ヒト科は,樹上生活で獲得した二足歩行の前準備によりスムーズに二足歩行をするようになり,生息環境の違いから,チンパンジーやボノボとは異なるものを食べるようになり,それが結果的に(あるいは偶然に),脳の容積増大の原因となった,と考えた方が理に適っていると思う。
初期人類の石器の変化を見ていると,250万年前に最初の礫石器が登場するが,それは同じ形で100万年間変化しなかった。つまり「別の形にしてみよう」という発想が,そもそもヒト科の脳みそに浮かばなかったからだろう。その後,160万年前にハンドアックスという改良型石器が出現するが,これも155万年間形態が変わっていない。石器が次に変化するのは4万5000年前であり,これを境に石器は一気に多様化し,道具としてブラッシュアップされていく。
ということは,初期人類の脳容積は600万年前のチンパンジーサイズから600万年かけて現在の大きさになったが,それは大きくなっただけで,それに見合う能力を持っていたわけではない,ということだ。初期人類の脳がその能力を開花させるのは4万5000年前以後なのだ。つまり,「脳容積の拡大」⇒「脳の機能向上」という順番である。脳の機能が向上したから脳が大きくなったのではなく,大きくなっても使い道がなかった脳が,4万5000年前に突如,別次元のものになったのだ。
となると,
本書は非常に優れた一般向け科学書だ。先行する研究がほとんどない状態からよくぞここまでまとめあげたと感心するし,欧米の研究者が陥りがちな「聖書の罠・キリスト教文明の価値観の罠」をここまで鋭く追求した姿勢にも感銘を受ける。だが,その彼を持ってしても,西洋文明によるバイアスを完全に排除することはできなかったようだ。
(2015/01/13)