『素数に憑かれた人たち ‐リーマン予想への挑戦‐』(ジョン・ダービーシャー,日経BP社)


 面白かった! 400ページを超える大著であるが,ほぼ1日半で読破してしまった(読み飛ばした証拠でもあるな?)。以前から,数学に関する本は趣味として読んできたが,これは「リーマン予想」を解決しようとする数学者達の苦闘の歴史をつづったもので,数学部分の説明や数式が並んでいる章と,それに取り組んできた数学者の生涯やエピソードがつづられている章が交互に配置されていて,非常に読みやすかった。

 もちろん,数学の部分を理解しようとすると,微積分も複素数の計算もそこそこできることが最低限必要だが,私のように1/3くらいでも理解できたらいいや,程度でよければ,十分に読み物として楽しめる(・・・はずだ)


 主人公は素数,つまり「1とその数自身以外に約数を持たない2以上の自然数」である。小さい方から並べると2,3,5,7,11,13,17・・・である。この素数が古代から数学好きの関心の的だった。例えば現在でも,最大の素数探しにスーパーコンピュータが使われ,ものすごい桁数の素数が次々と見つかっている。なぜ大きな素数が重要かというと,データの暗号化に必要だかららしい。

 とはいっても,その数が素数かどうかを判定するのは大変だ。小さな数なら,2,3,5,7,11・・・と小さな素数から順に割ってみるとか,全ての桁の数字を足して3の倍数なら3の約数,という方法でなんとかなるが,500桁の奇数だったらそうはいかない。そこで数学者達はその数字2n+1という形で表される事が多い)が素数かどうかを判定する最も効率的なアルゴリズムの発見に努力してきた。


 一方で,素数が無限にあるのかと言う問題もある。感覚的には「素数は無限にある」事は予想できるが,それを証明するとなると,これまた大変だ。実はこれを紀元前300年頃,かのユークリッドがエレガントに証明している。

 彼の証明法は極めてシンプル。Nを素数とすると(2×3×5×7×11×・・・×N)+1は「2からNまでのどの素数でも割り切れず」しかも「Nより大きい」のだから,Nより大きな素数になる。だから素数は無限に存在する。実に美しく見事な証明ではないか。これが科学であり,科学の証明ってもんだよな。
 ううむ,ユークリッド,恐るべし!


 2以外の素数は奇数である。となると,「全ての偶数は幾つかの素数の和である」という予想も立てられる。例えば,10=5+5 とか 18=5+13 という具合だ。

 実際に,「全ての偶数は2つの素数の和である」という予想がある。ゴールドバッハの予想と言われるものだ。極めてシンプルだが,これが何と,21世紀に至っても証明されていないのだ。フェルマーの最終予想同様,中学生にもわかる単純明解な問題だが,シンプルな問題だからといって証明が易しいわけではないという事が,よくわかると思う。


 さて,素数の分布密度はどうなるだろうか。数の範囲を広げれば広げるほど,割る数(つまり素因数となりうる数)が増えていくのだから,感覚的には数が大きくなればなるほど,素数の密度は低くなることは予想できる。
 しかし,それを証明するのは,これまた大変だ。実際に1000くらいまでの素数の分布をみてもわかるが,素数の出現は非常に気まぐれであり,規則性は全くみられない。

 この問題に取り組んだのが世紀の大天才,リーマンである。彼は1859年(つまり,今から150年近く前だ)に発表した「与えられた量より小さな素数の個数について」という論文で,それがゼータ関数の零点の解明によって得られるだろうと予想した。
 厳密に言うと彼の予想は「ゼータ関数の自明でない零点の実数部は全て1/2である」となる。ちなみにゼータ関数は,オイラーが提唱し,その後,リーマンが複素化した関数であり(つまり,下記の式でzは複素数である),次の式で表される級数である。


 「ゼータ関数の自明でない零点の実数部は全て1/2である」というのは上記のzが次のようになるということだ(ちなみに下記のiは虚数のi,つまり2乗すると-1になるというあの数だ)


 これだけでは何が何だかわからないと思う。私だってわからない。しかしこれが世紀の大難問なのである。提唱されて以来140年以上が経過しているのに,誰一人として証明に成功していないのだ。幾多の数学者の挑戦を退け続けてきた難攻不落の要塞だった。


 上述のゼータ関数の式をいくら睨めていても埒が明かない。こういう時は,zに具体的な数字を入れて遊んでみるに限る。

 例えばz=1の場合,ゼータ関数は(1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 +・・・1/N)という級数になるが,これはNをどんどん大きくしていくとどうなるかというと,無限に大きくなるのである。
 これって意外じゃないだろうか。だって感覚的に考えれば,Nが大きくなれば1/Nは限りなく0に近づくのだから,Nが大きくなっても上記の級数はある部分から0+0+・・・+0に近づき,ある一定の数より大きくならないような気がするはずだ。
 ところがこの級数は,Nを大きくすればいくらでも大きな値を取るのである(これを「級数が発散する」という)。しかもその発散の仕方が非常に遅い。つまり,Nが増えてもなかなか発散するようなそぶりを見せない(このあたりは実際に計算してみるとよくわかる)。これが数学の面白いところだ。


 ではゼータ関数でz=2とすればどうなるだろうか。これも発散するかと言うと発散しないのである。それどころか,1と2の間のある数より大きくなる事はない。z=1 と z=2 でこれほど級数の振る舞いは異なっている。これだから級数は面白い。
 ちなみに,この「z=2のゼータ関数はどの値に収斂するか」という問題は「バーゼル問題」と呼ばれ,これまた長い間,数学者の頭を悩ませてきたが,天才オイラーπ2/6という数である事を証明した。何とここで,円周率のπが登場するのだ。何で分数を足しているのにπが出てくるのか,不思議じゃないですか? これは,このπという数字が,あらゆる「数の世界」に深く関与している事を教えてくれる証拠の一つに過ぎない。

 ここで z=4, z=6 にすると,πの4乗,πの6乗が登場することも確かめられている。律儀というか,お見事である。数学とはかくあって欲しいと思う。


 では,zをマイナスにとってみるとどうなるかと言うと,-2, -4, -6など負の偶数では零点となり,これは「自明な零点」とされる。リーマンが問題にしたのは,このゼータ関数が収斂するための条件であり,彼は上述のようにz=1/2 + ivとなることを予想したわけだ(しつこいようだが,iは2乗すると-1になる虚数のiである)
 ちなみに1914年にハーディ(インドの数論の異才かつ天才であるラマヌジャンの才能を発掘した事でも有名)が実数部が1/2の複素根が無限に存在することを証明している。


 と,ここまでは,「リーマン予想は単なる数学の難問なんでしょう? 実生活に何の役にも立たないんじゃないの?」と思われるかもしれない。ところがなんと,この「ゼータ関数の自明でない零点」問題は,量子力学に関わっているのだ。要するに,物理学の根底にかかわっていたのだ。

 1930年代,物理学者のダイソンは,実験で観測される量子のエネルギー順位(気まぐれな値を取るようにみえる)が何かの数式で表す事ができるのではないかと考え,ランダム・エルミート行列の固有値がそれに一致する事を見出した。
 そして,たまたまダイソンと雑談をした数学者のモンゴメリは,その行列式の形状因子がゼータ関数の自明でない零点を解明する数式と類似している事に気付く。何と,物理学の根底にある量子の振るまいが,素数分布と言う全く畑違いの数式で表されてしまったのである。


 なぜ,量子力学と素数が結びつくのか。それを解明したのがベリーだった(1986年)。カオス理論で結びつくのだ。
 彼は「リーマンのゼータ関数 ‐量子カオスのモデルか?」という論文で,リーマン演算子がカオス系の一つのモデルとなり,その固有値,つまりゼータ関数の零点の虚数部分は,その系のエネルギー順位になることを見出したのだ。素数分布と言う純粋数学の問題が,物理現象の根底に関わっていたのである。もう驚くと言うか,感動するしかないと思うが,どうだろうか。


 現代の数学のある分野は,リーマン予想が正しい事を前提に組み上げられている。「リーマン予想が真であるならば」で始まる数学定理は既に数百を優に超えている。リーマン予想とはそれほどエレガントで美しいのだ。


 ちなみに2004年6月にボルシアがリーマン予想を解いたと発表し,現在,世界中の数学者が確認作業を行なっているらしい。
 もしもこの証明が確かめられれば1994年のフェルマーの最終予想の証明以来の大ニュースとなるはずだ。


 生きているうちにリーマン予想が証明される現場に立ち会うことができる幸運を,かみしめようではないか。これは間違いなく,世紀の一瞬だ。

 

(2004/09/13)

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