『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド,草思社)


 私はシンプルな考えが好きだ。脳ミソがシンプルにできているから・・・。だから,シンプルな理論で混沌とした事象を見事に説明する考えや本に出会うと心底嬉しくなってしまう。この『銃・病原菌・鉄』はそういう一冊だ。
 これは上下2冊の大著である。上下巻そろえると3800円というお値段である。しかしこれは絶対に読んで欲しい。読む価値がある本だ。多くのことを教えてくれ,考えるヒントが満載だ。とにかく,とてつもない本である。


 15世紀,スペインの軍人ピサロはインカ帝国を滅ぼした。当時のインカは高度な政治体制と軍の組織を持つ巨大な帝国で,アタワルパが支配していた。一方のスペイン人達は銃は持っているもののインカ軍に比べると圧倒的に小人数だった。しかし,インカはあっけなく破れる。ピサロの仕掛けた簡単な罠にアタワルパが引っ掛かって捉えられ,軍組織はまたたく間に崩壊した。そして,インカ帝国を最終的に滅亡させたのはスペイン人達が持ち込んだ伝染病だった。ピサロ達にとっては普通の病気でも,インカ帝国にとっては未地の病気だった。抗体を持たない彼らは次々と伝染病に倒れていった。巨大なインカ帝国を崩壊させたのは「銃・伝染病・鉄」だったのである。

 スペイン人がインカを征服したのは歴史的事実である。だが,インカがスペインを侵略しなかったのはなぜだろうか。あれほど高い文明を持っていたインカが,なぜ銃を発明しなかったのだろうか。インカの地の伝染病がスペイン人に感染しなかったのはなぜだろうか。なぜアタワルパがピサロに罠を仕掛けなかったのだろうか。


 人類発祥の地であるアフリカ大地溝帯に暮らす人達がなぜ狩猟採取生活のままで,ヨーロッパやアメリカで科学文明の生活になったのはなぜだろうか。「暑い地域では苦労しなくても生活できるために人間は怠惰になり,寒い地域では工夫しなければ生活できないために自然に文明が発達した」と言う考えもあるが,それなら「暑い地域では苦労せずに食べ物が手に入るために,思索する時間がとれるようになり,哲学が発達した」と言う方向性もありえたはずだ。なぜそうならなかったのだろうか。

 文明が最も早く生まれた中国なのに,なぜヨーロッパを制覇しなかったのだろうか。なぜヨーロッパに攻め込まれたのだろうか。世界で最も早い時期に広範な地域が一つの国としてまとまり,一つの文化を持つ巨大帝国となった中国が,なぜ,フランスやイギリスのような小国に征服されなければいけなかったのだろうか。なぜ優れた文明を持つ中国は武器を発達させず,ヨーロッパの小国が武器を発達させたのだろうか。

 人類が最も早く定住生活に入った地域の一つがニューギニアだが,なぜそこが文明発祥の地にならなかったのだろうか。なぜこの地域の人達はつい最近まで,新石器時代とあまり変わらない生活様式のまま進歩しなかったのだろうか。

 馬を飼いならした民族はモンゴル帝国のように大きな軍事的優位にたつ事ができたが,それならアフリカの民族がシマウマを家畜化しなかったのはなぜなのだろうか。シマウマを飼い馴らせたらそれを駆って,地中海沿岸からヨーロッパまで制覇できたはずだ。なぜそれをしなかったのだろうか。


 このように,歴史には様々な「なぜ」がある。侵略と戦争はなぜ常に一方通行なのだろうか。


 この本は,著者の知人であるニューギニアの長老の言葉から始まる。「西洋文明はニューギニアに様々なものをもたらした。しかし,ニューギニアが西洋文明に与えたものはない。なぜ同じ人間なのに,ヨーロッパでは優れた文明が生まれ,ニューギニアでは高度の文明が生まれなかったのだろうか。その差はどこから生まれたのだろうか。我々が劣っているからだろうか・・・」

 この問いかけは非常に重い。アメリカとニューギニアでは純然たる文明の差が存在するのは事実だ。だから私達はつい「未開民族だから遅れているのだろう」と考えてしまう。


 だが,この本の著者はそうではないと考える。能力的に劣っているのではなく,たまたま「西洋文明」を編み出す方向に能力を発揮しなかっただけだと考える。そして,この差,この違いを生んだ原因を一つのシンプルな説で説明してしまうのである。そしてその考えは,極めて説得力に富んでいるのである。

 書いたのは文化人類学の専門家ではなく,医学部生理学科の教授である。そして,分子生物学,進化生物学も専門であり,分子生物学,遺伝学,生物地理学,環境地理学,考古学,人類学にも深い知識を持つというスーパーマンである。その,広大にして膨大な知識を元に,様々な事例を紹介し,その上で文明の違い,文化の違いが生まれた理由を単純明快に説明する。その説得力は脱帽物である。


 私達は「人類はまず最初に狩猟採取生活を行い,次第に作物を栽培する定住生活に移行し,地域社会がまとめられて国を作り,王制国家を作り,ついに民主主義国家を作った」と,漸進的社会進化論を信じているはずだ。意識的にせよ,無意識的にせよ,このように考えているはずだ。だから,民主主義でない国は遅れている野蛮な国と考え,狩猟生活をしていて麦も米も栽培していない民族を見ると,進化の途上にある連中だと判断してしまう。

 だが,この本を読むと,そういう考えがいかに浅はかで思慮の足りないものかがわかるはずだ。ニューギニアの人達が新石器時代同様の生活をしているのは彼らが知能的に劣っているためでないし,ヨーロッパに科学文明が発達したもの知能的に優れているためではなかったのである。暮らしている環境のちょっとした違いが,この差を生みだしていたのである。


 彼の驚くべき推論はこの本を読んで頂くしかないが,大きな感動が得られるであろう事だけは約束しておく。これは間違いなく,すばらしい本である。

(2004/06/28)

 

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