不可触民と現代インド(山際素男,光文社新書)


 この本が解き明かすのは,なぜこの厳格な身分制度(カースト制)が21世紀に至るまで3000年にもわたって維持されてきたのか,なぜ圧倒的多数の民衆が“奴隷化”されてきたのか,なぜ仏教発祥の地で仏教が抹殺されてきたのか,という数々の謎である。そして,現代インドの暗黒部分と,それを打破しようとする不可触民たちの活動を生き生きと描き出している。読むとなんだか勇気が湧いてくる本である。


 さてカースト制であるが,世界史を勉強した人は知ってますよね。ブラーミン(バラモン)と呼ばれる僧侶,司祭階級を頂点として,その下にクシャトリヤ(王侯,戦士階級),その下にヴァイシャ(商人階級),そのまた下にシュードラがあり,その下に不可触民(現在では「指定カースト」と呼ばれている)がある強固な階層社会の事である。

 問題は何でこんな制度ができたかということ。実はこれまでインドでは,カースト制はあるのが当たり前,ないのがおかしい,としてきたのだ。ヒンズーの神様が作ったと教えてきたらしい。神様が創ったんじゃ,しょうがないよね。

 しかし,これはもちろん,正しくない。制度なんて人間が作ったものに違いないからだ。制度が自然発生的にできる訳がなく,誰かがある意図をもって作らない限り,制度なんてあるわけないのだ。

 では,カースト制度はなぜ作られたか?


 話は紀元前3000年頃に遡る。当時,インド亜大陸にはインダス文明を作った先住民が平和に暮らしていた(先住民の子孫は現在,南インドに暮らしているドラヴィダ人と言われている)。彼らは基本的に農耕民族だったらしい。

 そこに侵入したのがアーリア人と呼ばれる金髪・碧眼のヨーロッパ系の遊牧民。彼らは鉄器を中心とした武器で先住民を圧倒し,次々と征服していった。

 彼らは被征服民(=先住民)を支配するためにある制度を作り上げた。征服者の長をブラーミン(バラモン)とし,部下たちをクシャトリヤ,ヴァイシャと呼ばせ,インドは自分達が作ったとする神話を作り(これがラーマーヤナとマハーバーラタ),神話を元に宗教を作り(これがバラモン経 −のちのヒンズー経−),自分達が神に選ばれし民だったと被征服民に教育した。


 当初は上記の三階級だったが,被征服民をシュードラ(上位三カーストに奉仕するカースト −要するに奴隷だな−)と決め,さらにその後,シュードラの下に不可触民(現在は「指定カースト」と呼ばれる)を設定し,ありとあらゆる嫌な仕事(死体処理,糞尿処理,ゴミ集めなど)を押しつけたのだ。

 こういう仕事をする人間がいないと社会は成り立たないが,誰だってそれはやりたくない。だから,カースト外カーストとして不可触民を設定し,世襲的にそのような「汚れ仕事」をさせ,それは神様が決めちゃったんだから諦めようね,と教え込んだのだろう。
 こういう連中がいれば自分達は宗教的儀式に専念し,宗教的権威者集団としてあぐらをかき,「神様に祈ること」を仕事にしちゃえばいいのである。祈っているだけなら楽なもんだな

 この図式,わかりやすいし,理解しやすい。実際,ブラーミンと下層カーストのミトコンドリアDNAの解析によると,ブラーミンとヨーロッパ人種の差は,ブラーミンと下層カーストの間の差より小さいのである。要するに,遺伝子解析のデータからするとブラーミンと下層カーストは「人種が別」なのである。


 このような歴史の闇を明らかにしたのが,「インド憲法の父」と呼ばれているアンベードカルだった。彼はブラーミンの正体を見破り,その権威を攻撃し,偽善性を徹底的に追求した。不可触民出身の彼は猛勉強の末,ハーバードに留学し,ついには独立インドの初代法務大臣に就任するのだ。


 「王様は,民衆が自分を王でないと思った瞬間,王ではなくなる」

 支配者階級が一番恐れるのは,被支配階級に「実はやつらは偉くも立派でもない。王様は実は裸だ」と,正体がばれる事だ。だから支配者階級は,神話や宗教を総動員して自分達の正当性を被支配階級に教え込むのだ。


 アンベードカルはマハトマ・ガンジーの偽善性,欺瞞性を攻撃した。一般的にはガンジーは,不可触民を「神の子(ハリジャン)」と呼んで敬ったことから「不可触民の父」といわれているが,実はこれは歴史の捏造であるらしい(これはブラーミン出身のインドの歴史学者の言葉だぞ)。ガンジーはブラーミンであり,不可触民なんて最初から人間と思っていなかったふしがあるらしい。

 研究者によれば,ガンジーは「古き良きカースト社会」実現のためにインドの独立運動を行った。すなわち,ガンジーの考えた平等社会とは,労働力としての不可触民の存在を前提にしたものであり,彼はイスラム教徒の分離独立選挙は認めたが,不可触民の分離独立選挙は最後まで弾圧し,それを唱えるアンベードカルを脅迫さえしたのだった。


 ガンジーは次のように公式に発言している。

 ガンジーの偉大さについてイチャモンをつけるつもりはないが,「あんたのクソを始末してくれた人間がいることに気が付かないフリをしているガンジーさん,あんたは間違っているよ。クソを始末する人間を人間扱いしない社会を作ってどうするんだ!」と批判したアンベードカルの方が,圧倒的に正しいと思う。
 所詮ガンジーは貴族であり,貴族階級のためにインド独立をしたんじゃないだろうか。


 アンベードカルはヒンズー教の欺瞞性に気付き,インド本来の宗教であるブッダの教えを再発見する。ブッダの教えにはヒンズー教のような階級差別は存在しないのである。そしてそれは,インドが生んだ偉大な宗教なのである。実は,ブッダの教えを葬り去ったのがインドに侵入したアーリア人であり,それが自分達を“奴隷化”するためだった事を彼は発見する。

 そして彼は仏教に改宗し,彼に従う不可触民たちも続々と仏教に改宗した。アンベードカルの死後,その活動を受け継いだのが日本人の僧侶,佐々木秀嶺師であり,彼は現在,インド仏教界の指導者になり,最先端で活動しているのだという。

 この本では,このアンベードカルの思想を受け継ぐ「指定カースト」出身の人達の活動を生き生きと描いている。その高い知性と情熱,他者への慈しみと励ましの心には圧倒される。まさに頭が下がる思いだ。その姿は気高いばかりであり,精神の強さと高貴さには感動する。偉大な精神は人間にこそ宿るのだ


 さて,現在のインド社会であるが,「指定カースト」出身の政府高官,政府高級職員,最高裁判事はかなり増えているが(法律で「指定カースト」を優先して採用することが決まっているから),軍隊,警察,マスコミ,教育機関,主要基幹産業,銀行などからは体よく締め出されている。数億といわれる指定カースト民の全資産を合計しても,インドの二大財閥の資産には遠く及ばない。都市部においても「見えない障壁」は存在するし,田舎に行けば「シュードラを轢き殺しても事件にならない」らしい。

 また,ブラーミニズムという「ブラーミン至上主義者」を中心にヒンズー原理主義運動が起こり,仏教やイスラム教への攻撃をしている。そして,ナチズムを公然と賞賛する論文がブラーミン向けの雑誌に発表され,さらに,「アンベードカル憲法を廃止して,由緒正しいマヌ法典に準拠したヒンズー憲法に変える」ことを選挙の公約にしている政党も議席を延ばしている。

 「王様は,民衆が自分を王でないと知る」ことを最も恐れるのだが,現代インドにおいて「被征服民封じ込め」を目指す活動が勢いを得ているとしたら,それはまさに「支配階級による支配体制護持」のための揺り返しだろうと思う。

 この情勢が,「体制側による最後の悪あがき」であることを願うばかりである

(2003/12/24)

 

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